星
とある騒ぎも一段落した頃、
正常性を取り戻した日常にて
私は命をつないでいる。
騒ぎにより正気を失った私の目は懸絶したようで、
人が人と映らなくなった。
私の知る人とは、
頭は星や恒星のように輝きはるか彼方に浮き、
その体躯は夜空を固めた宝石のように美しく、
まるで鈴が鳴るような美しい音で喋るものであった。
今私の目に映る其れ等は、
薄橙の皮を被り、内は赤黒い肉で埋まっている。
口と呼ばれたものから溢れる音は蝉声のように喧しい。
だが、医者が言うには
人とはもともとそういうものである
らしい。
私の視界はあの輝きで満ち満ちていた。
あのような輝きに当てられていたものだから、
この世界は暗くて仕方がない。
あのような星がなくては私は前が見えない。
己の足元さえ覚束ない。
この手は冷えて鈍りきり、触れても何も感じない。
家族と呼ばれていたものが騒ぎ立てている。
五月蝿くて仕方がないが、
あれらに私の声は聞こえぬもので黙れとも言えなかった。
醜悪しか映らぬ目を閉じる。
髪と言われた部位の長い人が言っていた「にんちしょう」とは何なのかだけが気がかりだった。
私はそれに罹患しているらしい。
騒ぎの中盤あたりでそのことを伝えられた。
今一度問い正した方が良いのだろうが、
しかし閉じた目を再び開けるのも煩わしかった。
嗚呼、私の星はどこへ行ったのだろうか。
願いが一つ叶うならば、私は海で死にたい。
死んだ後の私の体は醜く膨れ上がって魚や鳥に啄まれるだろう。
焼かれるのとは違って、
何日も爪痕を残して、
最後は骨になって海底に沈み込むだろう。
海底に私の骨と魚の骨が並んで居る。
その時に目玉が残っていれば良い。
海底をこの目で見たい。
生き損なった体で、旅をする。
だから私の願いは海で死ぬこと。
最も、この動けぬ体では死んでいるも同然だろうけど。
嗚呼、言わなきゃ良かったな。
あんな事言わなきゃ今頃なぁ。
嗚呼、しなきゃよかったな。
あんな事しちまったから今はなぁ。
嗚呼、嗚呼、あーあ。
もう疲れちまったよ。
たかが一度バックレたくらいで何だってんだ?
あんだけ殴って叩いて叫んで食らったやつが
いねぇんだから良いじゃねぇかよ。
それとも俺は都合のいいサンドバッグだったてのか?
ふざけて舐め腐りやがってよ。
生憎おれはいつまでもやられっぱなしのカワイイタマしてねぇんだ。
八つ当たりしてぇんなら御社にどうぞっつってな。
電車に揺られたせいでんなこと考えちまったけどよ。
もう終わりだろ、あんたらとの縁ってやつは。
しつこくかけてきやがって電話なんて捨てたよ。
バッキバキに折ってやってな。
あんたらの前から消えてやったその足で、おれは今海に来た。
悔しいときはここって決めてんだ。
嗚呼、まあ、こんなに綺麗なんだからもういいかってなんだよ。
おれはあんたらをあきらめてやるからさ、
嗚呼、あんたらもさっさとあきらめな。
散々あんたらが罵ったグズはもうそこにゃあ帰らねぇ。
嗚呼、もう自由に生きんのさ、おれは。
学校の帰り道、リュックを持ったまま急ぎ足で進む。
バッグの中には、隠したゲーム機たちと沢山のお菓子、お気に入りの布団、友達のぬいぐるみそして大好きな本を詰め込んだ。
もうそろそろ春休みというところで、
授業数も先生の監視の目も甘くなってきた今が絶好の機会なんだ。
道を逸れて、懐かしいボロ家の中に忍び込む。
昔の俺の家。
火事で焼けて半分くらい消えた家。
俺の部屋だけ無事で、父さんと母さんは部屋と一緒に焼けた。
土地の権利はまだうち、というか爺ちゃんにあるみたいで未だに取り壊されない家に入り浸っている。
俺の部屋だけはそのままだから、
まだほとんどの時間をバレないようにそこで過ごしてる。
昔からあったぬいぐるみの中に新入りを混ぜて、ちょっと埃のかぶったクッションの群れに飛び込んだ。
そのままゲームとお菓子を引っ張り出す。
ひとしきり日課の素材収集とかデイリーをやったら、
布団と本を引っ張り出して夜を待つ。
本に飽きたら、今度は趣味のものづくりに没頭する。
母さんはよく綿が散ってるとか破片が落ちてるとか怒ってた。
父さんはそれをよく諌めてた。
もう聞けないけど。
俺の部屋の窓からは外がよく見える。
そこからみる外が一番綺麗で好きだった。
煤けた窓ガラスから、ぼんやりと月が浮かぶ。
もう二度と幸せになれない部屋を映し出す。
俺から秘密にしなきゃいけない場所。
記憶から消したほうがいい場所。
なかったことに出来たらいい場所。
秘密の場所。
でもなんだってどうにも出来ない。
過ぎた時間は戻せないし、人体はそんな都合よくできてない。
月がてっぺんまで登った。
こんくらいになると爺ちゃんが迎えに来る。
さっさと荷物をまとめて、余った時間でぬいぐるみを整える。
お菓子は結局食べなかった。
足音が聞こえる。
ベッド代わりになってくれたクッションを
綺麗に積み上げて、立ち上がる。
ドアが開いて、懐中電灯の明かりが俺を照らした。
秘密の場所とぬいぐるみに別れを告げて、手を引かれるままに帰る。
爺ちゃんはこの時だけ俺に何も言わない。
顔も見えないから何を考えてるのかもわかんない。
でも手は冷たくて、それでいてしっかりと握るから怖いだろうなと思ってる。
愛娘と義息子が死んだ家。
それに入り浸る孫がどう映って見えるのか。
道の途中で振り返る。
まだ焦げた秘密の場所。
ばいばいが言える日まで、後何日だろうと視線を戻した。
目に映る貴方はいつも歌っていたような気がする。
その姿が色濃く残っているだけなんでしょうけど、
それしか残んないくらい、よく歌ってたな。
いっつも違う歌を何個も歌っていたけど、
順番が違うだけでラインナップは同じだった。
気になってつい調べちゃったんだよなぁ、貴方の歌ってたやつ。
全部、死んだ人を思ったり後悔する歌だった。
誰にも吐き出せなかったか、閉じ込めることで解決しようとしたか。
結局歌としてこぼれていたみたいだけどね。
貴方が最後に歌ってたのは確か、火を付ける歌と子供を隠す歌。
連れて行ったんでしょう。
自分の弟も一緒に。
ガソリンをまいて、マッチに火をつけて、眠った弟を抱きしめて。
炭になって、性別の特定さえできなくなってたらしいよね。
どんな顔でそうしたの。
どんな顔で死んだの。
私の中には今でも貴方の歌が響いているよ。
安らかな寝床に火をつけるように、私を焼いてんの。
貴方を焼いた火の余波がさざめくように染み付いてる。
貴方の歌っていた歌を、今度は私が歌ってる。
染み付いた後悔。
貴方へ巡らす思案。
あなたと同じように。
きっと死に方も同じになるでしょうね。
貴方だけが色濃く残っているんだから。