今年、どんな1年だっただろうか。
世間的には、新型コロナが5類に引き下げられて行動制限が無くなったり、WBCの優勝、スポーツや文化芸術等の才能溢れる若きスター達の躍進、記録的な異常気象による世界中の災害、大企業や大手組織による長年の不正・コンプライアンス違反、ウクライナ侵攻の長期化、イスラエルとパレスチナの紛争、政治とカネの問題…と様々だった。
不安定な時代の中で、あなたはどう生きたか?
充実した1年になった人もそうでない人も、
まずは、今年1年頑張った自分を労おう。
そして今日1日、お世話になった周りの人達に労いと感謝の言葉を伝えよう。
挨拶と大掃除、年末年始の準備を終えたら、
時間をとってゆっくり自分と向き合おう。
紙に書き出しながら、今年達成出来たこと、
来年やってみたいことや目標を掲げよう。
周りの目や世間が作った価値観ではなく、
自分の心が本当に「やりたい!」と叫ぶものを。
欲しい物や行ってみたい所なども自由に。
小さくても大きくても、遠慮はいらない。
あなたは、自由なのだ。自由に生きて良い。
誰かの為だけでなく、自分と大事な人達の為に。
自分に嘘をつくと自分が傷付いてしまうから、
必ず、自分の心に正直になって欲しい。
さあ、1年間を振り返ってどうだっただろうか?
『1年間を振り返る』
あなたは、自分を大事にしているだろうか。
最近の寒暖差で体調を崩す人も少なくない。
「仕事を休むと迷惑がかかるから」
「これぐらい大丈夫だから」
このような言い訳をしていないだろうか。
疲れの蓄積を、無視していないだろうか。
薬を飲むだけで、誤魔化していないだろうか。
当然だが、自分の面倒は自分で見るしかない。
人任せに出来るのは、子どもと高齢者だけだ。
特別な病気や障害がない限り、大人ならば
自分で自分を理解し、工夫する必要がある。
厳しいようだが、こう書くには理由がある。
社会はあなたを助けてくれるかもしれないが
殆どの場合、会社はあなたを助けてくれない。
始まりは微熱や頭痛等の不調で済んでいても
最終的に、心身に不調をきたしてしまって
社会復帰が難しい人達が数多くいる。
生きる不自由さ、難易度が格段に上がって
生きているのに死んでいるような人もいる。
後悔する前に、気付かなければいけない。
私達は、自分を大事にしなければいけない。
他人を大事にするのは、それからでも良い。
いつも他人ばかり優先してきた優しい人は
それもなかなか難しいかもしれない。
しかし、体のSOSはきちんと聞く必要がある。
誰かに向けていた優しさを
たまには自分にも向けてみよう。
最期まで自分を大事に出来るのは
自分しかいないのだから。
『微熱』
人は失敗を恐れる。
何をするにしても、問題なく事が運んだ方が良いに決まっている。あるいは誰かに怒られたり失望されたくない。そう考えるからだ。
しかし、現実はそう上手くいかない。
何事も最初から成功するほど簡単ではないし、自分は思ったより器用ではないと思い知らされる。
そして失敗を咎められた経験が多い人ほど、失敗を隠してしまう。きっと指摘してくるその人も、過去に同じような失敗をしているのにも関わらずだ。
自ずと人は失敗というものに敏感になってしまう。
だが人生は無数の失敗の繰り返しだ。
失敗の数だけ、成功への道が鮮明化してくる。
失敗の数だけ、視野が広くなる。
失敗の数だけ、他者に寛容になれる。
失敗の数だけ、大きく成長できる。
失敗の数だけ、その人の魅力を奥深いものにする。
だから、何も恐れなくて良い。
取り戻せない失敗は、思ったより少ない。
多くの失敗は、前に進むための原動力になる。
私達は無意識の内に様々な選択をしている。
休日に行きたい所から、いつかやりたいことまで。
ある年齢になると、自分の将来をどうするのか、
具体性をもって問われるようになる。
既に決めている人もいれば、そうでない人もいる。
自分の進むべき道を決めるように言われた途端、
どの道が正しいのか分からなくなってしまう。
問題集と違って、正解がどこにも載っていない。
正解は、人の数だけあるのだ。
誰に聞いても正解を教えてくれないし、
誰かの正解が、自分にとって不正解の場合がある。
だから人の数だけ、迷いが生じる。
ここで失敗したくないと、足がすくむ人もいる。
迷えば迷うほど、行動に移すのが難しくなる。
それでも人は、いつか選択をしなくてはならない。
自分の中の、正解を導き出すために。
選んだ道が正解かどうかは、行ってみないと分からないし、死ぬまで分からないかもしれない。
どのみち最初から、正解を引き当てるのは稀だ。
だったら、選んだ道を正解にしていけば良い。
失敗も遠回りも、全ては正解に繋がっているのだ。
『上手くいかなくたっていい』
世界には、様々な宗教がある。
宗教の数よりも、たくさんの神様がいて、
それぞれの神様が確固たる役割を持ち、
迷える人々を戒律で戒め、教え導き、
今も世界中の信者から厚い信仰を集める。
あなたには、信じる神様がいるだろうか?
信じたい神様というのは、
特定の宗教や神様でなくても良いのかもしれない。
助けを懇願した時に救ってくれる神様
忘れた頃に手を差し伸べてくれる神様
捨てられた時に拾ってくれる神様
思わぬ幸せを運んでくれる神様
良い出会いを導いてくれる神様
何かに宿り豊かにしてくれる神様
進むべき道を示してくれる神様
才能を見つけ出してくれる神様
人は、不運から救われた時や、
大きな幸福を感じた時、神様がいると感じる。
そんな時、人は感謝の想いを抱く。
感謝を抱き続ける人に、また神様が現れる。
日頃の行いが大事だと教えられてきたのは、
行いによって現れる神様が、良くも悪くも変わり、
人生をも変えるかもしれないから。
私達がした良いことも悪いことも、
『人』を通じて神様からその結果が伝えられる。
もしかしたら、私達の身近にいる人達は、
姿を変えて現れた『神様』なのかもしれない。
あなたには、信じたい『神様』がいるだろうか?
目に見える『人』
目に見えない『神様』
どちらを信じるとしても、
常に誰かが傍にいてくれることだけは確かだ。
『人』が傍にいないならば『神様』が、
『神様』を感じなくても『人』が、
あなたや私の隣にいてくれるだろう。
感謝の気持ちを持って過ごしてみよう。
周りの全ての人が『神様』に見えるだろう。
『神様へ』
認知症手前の方達と話して気付いたことがある。
彼等は5分前の記憶は無いが、50年前の記憶は
とても鮮明に、かつ詳細に憶えている。
かつての恋人の名前や誕生日はもちろん、
起きた出来事の年月日まで憶えていたりする。
5分前に、私が来た理由は当然忘れている。
短期記憶については、殆ど残らないことは
知識としてよく知ってはいるが。
では、残っている長期記憶は?
人は、様々な経験を経て『思い出』を作る。
60年以上生きれば、その数は膨大だ。
彼等が語る思い出も、長い人生の歴史に刻まれた
『大切な1ページ』には違いない。
色濃く残るページ数は人それぞれだろう。
その中で、何度も熱く語る大切なページがある。
どんな人にも必ずあるそのページは、
映画を観ているかのように色鮮やかだ。
話すのに夢中の彼等は、どこか若々しくも見える。
しかし、ここで気付いたことがある。
もし、残された時間が長くない彼等や、私達が、
死ぬ前に患う最後の病が認知症だとしたら。
今ある殆どの記憶が、失われたとしたら。
最後の記憶に残る『思い出の1ページ』こそが、
人生において『最高の宝物』ではないか。
僅かに残る虹色の記憶が、死ぬ前の彼等や私達の
確固たる心の支えになるのだと。
いくら富や名声、友人の数などを誇っても、
最期の瞬間に憶えていなければ、虚しく消える。
私達は今、心の支えとなる思い出のページを、
虹色の記憶を、いくつ作れただろうか?
過去を塗り替えることは出来ず、
灰色の記憶は灰色のまま消えていく。
今は過ぎ去った日々のページ。
色鮮やかで美しい虹色のページを、
最期にいくつ、めくれるだろうか。
『過ぎ去った日々』