日々の疲れが、大事な何かを奪う時がある。
一つひとつ真剣に向き合って生きている人ほど、
この現象に陥りやすいと感じる。
奪われていくのは、
時間、楽しみ、心の余裕、果ては夢でさえも。
挙げればキリがないが、ある時ふと、
笑顔だと思っていた自分の顔が“作り笑い”だと
誰かに指摘される前に涙で気が付いた。
現代は『生きづらい社会』だと言われている。
常に不安定で、正解の無い情報過多の毎日。
ネガティブな情報が氾濫した川のように流れ、
疲れた心に怒涛の勢いで流れ込んでくる。
日頃の歪な人間関係で疲弊した心に構わず、
別の場所から発した、誰かの情報の棘が刺さる。
多くの人が、情報と言葉の棘に傷付けられる。
ネットもリアルも、棘が蔓延している。
「離れよう」
心がそう警告したなら、素直に従えば良い。
いっそ全て断ち切って、また気になりだしたら
その時に以前と変わりなく戻れば良い。
“場所”は逃げることはなく、待っていてくれる。
数ある場所の中で、“居場所”を探せば良い。
もしくは、自分で作るのも良い。
しばらく離れたいなら、それも良い。
猫のように、気ままに場所を選べば良い。
今いる場所、見ている場所に
もやが掛かったように、疑問が浮かんだら、
たまには、違う世界を見てみよう。
何か、新しい視点を得ることが出来るだろう。
その時きっと、場所の視え方も変わってくる。
あとは、自分で自分の居場所を選ぶだけだ。
『たまには』
「時間は、人類に与えられた平等なものだ」
という人がいる。
これは半分正解で、半分不正解だ。
1日24時間、1年365日といった時間ならば平等だ。
しかし、命に与えられた時間は、平等ではない。
平和な暮らしをしていると忘れがちだが、
そもそも人は、自分がいつ死ぬか分からない。
今日、病と戦い力尽きる人がいる。
今日、事故で命を落とす人がいる。
今日、自ら命を絶つ人がいる。
今日、産声を上げずに天へ還る子がいる。
今日、理不尽に人生を奪われる人がいる。
今日、明日……
見えない未来に怯える必要は無いだろう。
しかし、それは必ず、ある日突然やってくる。
奇跡を期待出来るほど、幸運も平等ではない。
我々に与えられた時間は、決して平等ではない。
時に残酷なほど、あっという間に過ぎていく。
時計の針を戻すように、遡ることは出来ない。
この瞬間も、刻一刻と未来が今に変わっていく。
私は、あなたは、
今日、どう生きるか?
『時計の針』
何かに追われていないか。
形のない不安と恐怖に焦っていないか。
このままじゃいけないということぐらい、
誰かに言われなくても自分で分かっている。
このまま道を変えなければ、
同じことが繰り返されるということも。
本当の願いを口にすれば、否定されるだろうか。
それとも誰かが手を差し伸べてくれるのだろうか。
本音と弱音を吐けない弱さを、また包み隠す。
何かや誰かと戦い、打ち克つ強さは私には無い。
過去や他人の目から逃げる生き方しか知らない。
きっとどこかで、腹を決めなければならない。
残された時間があとどれぐらいあるのか。
生きていくことに、僅かでも望みを持ちたい。
もう同じ過ちは、繰り返したくない。
険しい道を、一歩踏み出す勇気が欲しい。
本当に歩みたい道は、退屈な今の連続には無い。
『やりたいことをやろう』なんて、口では簡単。
無力な自分だからこそ、人と同じ道は歩めない。
自分の気持ちを抑えても、未練が私を縛り続ける。
いつか耐えきれなくなって、溢れ出した気持ちが
私に全てを捨てさせるかもしれない。
その時私は、自分を肯定出来るだろうか。
たとえ泥臭くて惨めな姿になったとしても、
私はもう、自分の気持ちに嘘は吐けない。
『溢れる気持ち』