深雨

Open App


認知症手前の方達と話して気付いたことがある。

彼等は5分前の記憶は無いが、50年前の記憶は
とても鮮明に、かつ詳細に憶えている。
かつての恋人の名前や誕生日はもちろん、
起きた出来事の年月日まで憶えていたりする。

5分前に、私が来た理由は当然忘れている。
短期記憶については、殆ど残らないことは
知識としてよく知ってはいるが。

では、残っている長期記憶は?

人は、様々な経験を経て『思い出』を作る。
60年以上生きれば、その数は膨大だ。
彼等が語る思い出も、長い人生の歴史に刻まれた
『大切な1ページ』には違いない。
色濃く残るページ数は人それぞれだろう。

その中で、何度も熱く語る大切なページがある。
どんな人にも必ずあるそのページは、
映画を観ているかのように色鮮やかだ。
話すのに夢中の彼等は、どこか若々しくも見える。

しかし、ここで気付いたことがある。

もし、残された時間が長くない彼等や、私達が、
死ぬ前に患う最後の病が認知症だとしたら。
今ある殆どの記憶が、失われたとしたら。

最後の記憶に残る『思い出の1ページ』こそが、
人生において『最高の宝物』ではないか。
僅かに残る虹色の記憶が、死ぬ前の彼等や私達の
確固たる心の支えになるのだと。
いくら富や名声、友人の数などを誇っても、
最期の瞬間に憶えていなければ、虚しく消える。

私達は今、心の支えとなる思い出のページを、
虹色の記憶を、いくつ作れただろうか?

過去を塗り替えることは出来ず、
灰色の記憶は灰色のまま消えていく。

今は過ぎ去った日々のページ。
色鮮やかで美しい虹色のページを、
最期にいくつ、めくれるだろうか。


『過ぎ去った日々』

3/10/2023, 12:59:35 AM