夢で見た話

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10/11/2023, 6:47:03 PM

淡い光がゆれている。朝が来ているのだ。
微睡みの中で、それまで見ていた夢がぼやけてゆく。

        『――んおにいさまー!』
        『おだてな――も、わた―がはらう――』

目覚めると、ぺらぺらの薄いカーテンが朝日に透けていた。いつも通りの平日の朝。支度をし、急いで出勤すると、隣の席から、いつもの声が掛かった。おはよう。

『おはようございます。』

今日も先輩より遅れてしまった。気まずくて謝罪をしたら、先輩はうふふ、と笑う。いいよ。私、近いの。と言って。
優しくて、明るくて、いい人だ。入社してからずっと、その印象は変わらない。何度目だったか部署の飲み会で、嫌な事とかストレスが溜まったらどうしているんですか、と聞いたことがある。先輩は目を細めて笑い、

『夢で素敵な男の子に会って癒やしてもらうの。』

と言っていた。はぐらかされたのだと思う。
そう言えば、揺れる光の中に居る夢は、入社して今の部屋に住み始めてから見るようになった。いつもぼやけている、でも優しい、多分、いい夢。

先輩のキーボードが軽快な音を立てる。どうしてか、にやりとした悪戯な笑顔を見、自分をからかう明るい笑い声を聞いたような気がして、その横顔から慌てて目を逸らした。
…そんな姿は、見たことがない筈なのに。

まだ人も疎らなオフィスの窓越しに、淡い光がゆれている。
先輩の目尻が濡れたように光っている。

……働こう。
よく働いてたくさん稼いで、いつか、ご飯を奢ると言ったら彼女は頷いてくれるだろうか。


【カーテン】

10/10/2023, 1:44:51 PM

奥女中の一人が、あの娘(こ)に縋って泣いていた。
はて、他の者なら好いた男を奪い合った末の修羅場にみえなくもない。が、あの娘(こ)に限っては無い話だ。
それに何だか様子がおかしい。

『おお、遂にやりおった!』

城主の覗きに付き合わされている状況もおかしい。
女中は涙に暮れて座り込み、あの娘(こ)の袴を掴んで顔を埋めている。十中八九は目を逸らす有り様なのに、この殿は何をやってるの?

『あの女中は近々、誰ぞに呉れてやるゆえ心配するな。』

近侍が数人やって来て女中の肩を支え、その内一人があの娘(こ)に付き添って去っていった。
残るは訳知り顔の殿ばかり。恐れながらと説明を求めると、知らんのか?と束の間呆れ、にたり、と人の悪い笑みを浮かべる。

『あの女中、あやつに懸想して一夜の情けを求めておったのよ。』

えっ?! 抱いてくれって?!?!?!
女人が、女の子に? イヤイヤ奥ではそういう事もあるとは知っているし、あの娘(こ)はいかにも男装の麗人という風だけれども!!!!!

薔薇は薔薇は気高く……いや百合か、などと混乱しながら急いで詰め所へ戻り、部下に報連相を問い質す。
面の皮の厚い(面一枚分!)部下は、まさかご存知ないとはと素っ惚け、

『恋敵に不自由はしませんぞ。腕の見せ所ですな。』

と、宣った。冗談じゃないよ!!!!!


【涙の理由】

10/9/2023, 12:44:17 PM

自分の事を情けない、なんて思うのはもう嫌だ。
一角の…とまでは言わないけど、誰の目にも恥ずかしくない男になりたい。傷だらけになっても僅かな銭を投げるように施される日々で、よくそんな事を思ったなぁ。
土の上に大の字で転がって、碌でもないあの頃を思い出す。

『今日は終いだ。』

着ているものを洗っておけよ、だって。
上司ってものは容赦がない。キビシイ。毎日ボロボロくたくたになるまで鍛錬鍛錬、出来なきゃ死ぬぞなんて何度言われたっけ?
でも、決めちゃったしなぁ、この人についてくって。
初めて、自分で。

顔に冷たいものが触れて、唇がビリッとした。目を開けると白い手拭い。あと、白い、細い手。
えっ、やだなぁ。そんな心配そうな顔しないでよ。

『…ありがと。』 うわ俺、声ガッラガラ!!!

少なくとも今は、よっぽどまともだ。毎日扱かれて死に体なのも自分だけじゃないし、傷を作れば可愛い女の子が診てくれるし。…たまに、二人だけでお団子でも食べに行きたいなぁ、なんて夢も見られる。
日陰者には違いないけど、まだヘボだけど、まともな人間に成れたような気がしてる。だんだん嬉しくなってきて、笑ったらまた唇がビリビリいって泣き笑い。
ごめん、手拭い汚しちゃって。 …え? 君のじゃないの?

『あいつ、本気で辛い時ほどヘラヘラしやがる。』

上司が…あの人がぁ? 言ってたって?

……だめじゃん、俺!!!
まともどころじゃない、一角の男にならないと!!!
とっておきの、秘密兵器の、バッチリ決まった、懐刀の、…
とにかく、右腕にならないと!!!!!

今までずっと触れずにいた手をぎゅっと握って飛び起きた。


【ココロオドル】

10/7/2023, 1:53:34 PM

弓を引く。繰り返し、繰り返し。
幼い内に身に付けたことは、長く自分を助けてくれる、とは父の言だ。その通りだったと改めて思う。

『精が出るね。』

振り返り、声の主に一礼。すぐに気付く。憂いの気配。
あの女はまだ目覚めぬらしい。

数刻前、あれは死装束に解いた髪、死人の顔色で担ぎ込まれた。死んだ、と思った。ぐにゃりとした体を抱き抱え、医師を呼ばわる獣じみた光る眼を見るまで。

上司は、手持ち無沙汰な様子で縁側に腰掛けた。眼は平素の落ち着きを取り戻していたが、視線は力なく、肩は落ちている。親しい者にしか気付けぬ程の変化。
おそらく、付き切りの看護をできる人間からあぶれてしまったのだろう。元来我々の仕事は、性質(たち)が違うから仕方がない。…仕方ない、が。

できることが、ない。その苦しみを知っている。
この方がかつて生死の間にあった時、私はどっち付かずの若造で、側で世話をすることも仕事を肩代わりすることも、他の何も、何も、できなかった。
持っていた弓を差し出す。その場凌ぎの、稚拙な気休めに。
上司は目を見開き、少し笑って手を揺らした。気を遣うな、と言うように。

『お前の事はいつでも、頼もしいと思っているよ。』

いいえ、わたしは、あのひから、
いつだって、これしか、おもいつかないのです。

妬み嫉み羨みは、不思議とない。
代わりに、堪らない切なさが胸から吹き出した。

おい、馬鹿女。解っているのか。
この方に想われていることを。私に認められていることを。
その幸甚を。

やり場のない感情は矢尻の形を取り、巻藁を強く貫いた。


【力を込めて】

10/6/2023, 6:02:26 PM

ふと目覚めた。そして眠っていたと気付いた。
上がってきた部下からの報告書に目を通したのは覚えている。取り纏めて明朝一番に上司へ届けるつもりだった。

『こんな所で寝て、お前。仕事熱心も大概だよ。』

その上司が背後に居るものだから、思わずびくりと体が跳ねる。文机に肘をぶつけた。
自分相手に気配を殺しきれる者はそう居ないが、その一人が直属の上司なのだからタチが悪い。
まあ、そうでなくては、別の意味で頭が痛いに違いないが。

『いいよいいよ。仕事は終えてくれたんだし。』

お疲れさま。貰っていくね、と件の報告書を揺らして立ち上がり、出て行きながら言葉を次いだ。

『あ、そうそう。先刻お前の家に使いを遣ってね。』

久方ぶりに父と会えると、子供たちが喜んでいる頃だよ。
告げられた突然の休暇に再度驚き、慌ててその背中を呼び止める。振り向いた上司の目は、緩く弧を描いていた。

『頑張ったらね、その分ご褒美が有るものらしい。』

私も欲しいから、邪魔をするんじゃないよ。
そう言って今度こそ、彼は去っていった。
今まですっかり忘れていた、うたた寝の夢の断片が蘇る。
大切な御方。もう会えない人。
あの上司が甘えることを許されたであろう、最後の人。

幼かったあの頃のように、あの子に口添えしご褒美を呉れる女(ひと)が居るのです、と彼の人へ伝えたい。
…いや、次は必ず伝えよう。きっと死ぬまで繰り返し、夢で会うだろうから。

ごゆっくり!と、見送ってくれた部下の笑顔を背に家路につく。上司がその恋人へするように、早く帰って妻の髪の香を吸いたい。


【過ぎた日を想う】

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