弓を引く。繰り返し、繰り返し。
幼い内に身に付けたことは、長く自分を助けてくれる、とは父の言だ。その通りだったと改めて思う。
『精が出るね。』
振り返り、声の主に一礼。すぐに気付く。憂いの気配。
あの女はまだ目覚めぬらしい。
数刻前、あれは死装束に解いた髪、死人の顔色で担ぎ込まれた。死んだ、と思った。ぐにゃりとした体を抱き抱え、医師を呼ばわる獣じみた光る眼を見るまで。
上司は、手持ち無沙汰な様子で縁側に腰掛けた。眼は平素の落ち着きを取り戻していたが、視線は力なく、肩は落ちている。親しい者にしか気付けぬ程の変化。
おそらく、付き切りの看護をできる人間からあぶれてしまったのだろう。元来我々の仕事は、性質(たち)が違うから仕方がない。…仕方ない、が。
できることが、ない。その苦しみを知っている。
この方がかつて生死の間にあった時、私はどっち付かずの若造で、側で世話をすることも仕事を肩代わりすることも、他の何も、何も、できなかった。
持っていた弓を差し出す。その場凌ぎの、稚拙な気休めに。
上司は目を見開き、少し笑って手を揺らした。気を遣うな、と言うように。
『お前の事はいつでも、頼もしいと思っているよ。』
いいえ、わたしは、あのひから、
いつだって、これしか、おもいつかないのです。
妬み嫉み羨みは、不思議とない。
代わりに、堪らない切なさが胸から吹き出した。
おい、馬鹿女。解っているのか。
この方に想われていることを。私に認められていることを。
その幸甚を。
やり場のない感情は矢尻の形を取り、巻藁を強く貫いた。
【力を込めて】
10/7/2023, 1:53:34 PM