『何で南蛮の祭りなんか…』
年若い部下が、木の上でぶつくさ言っているのが聞こえる。彼は色とりどりの装飾を枝に施している一人だ。下にいる先輩連中から次々と飾り物を投げ渡され、落とせば囃し立てられるのを繰り返しているせいで機嫌が悪い。
そろそろ休憩にしても良いだろうと首から下げた呼子を高く鳴らすと、手元を軽く調えた者たちが各々足早に屋内へと戻って行く。木の下へ移動し、ちょうど飛び降りてきた部下に声を掛けた。
『なかなか華やかで良くなったね。』
『なんだか妙じゃありませんか? 願い事を書くじゃなし。』
願い事? ああ、それは七夕でしょ。
たとえ妙でも、城主の大好きな南蛮の品々を領地に流すため商人を誘致する意味合いが有るのだ。我々としても手は抜けない。それに…
『甘菓子を食べたり贈り物をするらしいじゃないか。』
お前も恋人と楽しく過ごせば良い。そう言うと、もともと寒さで赤らんでいた部下の顔が風呂でのぼせたようになった。
… ふふ、反応が良いね。私も一寸からかってやろうかな。
そうそう!と一つ手を打って、怪訝な表情で見上げてくる青年へにっこりと笑いかける。そのまま身を屈めて耳打ちした。良い新年を迎えるための験担ぎがあるそうだよ、と。
『祭りの前夜は赤い褌を付けてまぐわうのが慣例らしい。』
『… んなっ! なにを馬鹿なこと言ってんですか!!!』
のぼせを通り越して焚き火のように熱を放ち出した青年の顔に、笑いをこらえながらやれやれと首を振る。
『他国の伝統を馬鹿にするのは頂けないなあ。』
根が素直で真面目な青年はぐっ、と押し黙る。怒らせ過ぎたかなと思いながら見ていると、ふるふると体を震わせながら歯を食いしばっていた。少しの間を置いて、その歯の間から蚊の泣くような声が漏れ聞こえてくる。
『赤って…どんなです…?』
『ンフッ!!!… さあ? 緋色でも朱色でも紅(くれない)でも良いんじゃない?』
ついに耐えきれず漏れた笑いに青年は気付かなかった。頭から湯気を出しながら棒立ちでウンウン唸っている。涙目が綺羅綺羅していて、彼と初めて出会った頃の、ふくふくとしたほっぺたが思い出された。
知ってるよ、お前が浮ついて女子(おなご)に手を出すような子じゃないことくらい。でも、今まで知らなかった祭りを楽しむように、もっと周りを利用したって良いんだ。幸せになるために、お前はもう少し狡くなって良い。
頭巾の上から頭をくしゃくしゃと撫でてやる。いつもなら止めろと言うはずの青年は、まだウンウン唸っているだけだった。
… 祭りの当日。彼は顔に赤い紅葉を付けてはいたが、溌溂として上機嫌であったから、どうやら上手くやったらしい。
ばかさ… ゲホッゴホンッ! いや何、若さというのは素晴らしいねぇ!
【イルミネーション】
朝餉に来ない女(ひと)へ声を掛けに行った部下が、戸惑いながら戻って来た。曰く、我等の上司が彼の女(ひと)の部屋の前にただならぬ面持ちで座しているらしい。
何事かと残り少ない朝餉をかき込み、部下を下がらせて件の廊下へ行ってみると、脚を揃えて膝を折った上司が両手で顔を覆っていた。… とある予感が脳裏を過る。
『やっちゃった。』
やったか遂に…!
聞くが早いか自然と拳を掲げていた。部屋の主は、我々にとって特別な女(ひと)…上司の想い人なのだ。その公然の秘密のお陰で、男所帯の中にあっても彼女の身は保障されている。だからこの男が思いを遂げる事に何ら不都合は無いのだが… そもそも彼女を想うあまり、素顔を晒したくないと渋っていた男が、何故急に?
『包帯を替えたいと言われて、断りきれなくてね。』
これだろう? と言いながら、彼は指先で軽く引っ掻くように己の口布に触れた。その顔面は半分が焼け爛れ、唇の片端は一度溶けてまた固まったかのように歪み捻れている。
包帯を解いた姿を晒し、醜いだろう、という上司の言葉に、彼女はその歪んだ唇を撫でながら微笑ったそうだ。そして言ったという。どんな暗闇でも貴方とわかる、と。
『心臓が… いや、心が保たなくて。』
抑え難い愛おしさに、堪らず直に口を吸う。甘いそれを二度三度と繰り返している内に容易く箍は外れ、相手が拒まないのをいい事に体中吸うわ噛むわ… 日が昇って漸く、数え切れないほど赤紫の跡をつけた女の中で身震いする自分に気付いたという。私の獣性まだ生きてたよと呟く男に呆れた溜息が出た。取り敢えず体は清めたらしいが、おいそれと人目に触れさせる訳にはいかないと部屋の前から動かなかったらしい。この大男に一晩中手加減なしで愛されて、あの細い体の負担は如何許か想像に難くない。
『今日一日… いえ今後も、殊更大切になさるべきです。』
手当に食事の介助、機嫌取り、用足し… この男には換えの効かない役目が幾つもできてしまった。とにかく今は側に居なさいと部屋の中へ促す。何か食べやすいものを寄越してと言いながら、男の背は戸の向こうへ消えて行った。
入れ替わるように、廊下の隅から姿を見せた同僚と互いに目配せをする。疲れ切っているであろう彼の女(ひと)には悪いが、回復する頃には、これもまた公然の秘密なのだ。
【心と心】
あっ、と部下が声を上げた。
今度は何だ? さっき饂飩を食わせてやったろうが。食い物の名が出たら落としてやろうと、無言で拳の準備をする。
案の定ぐいと袖が引かれ、耳打ちと言うにはでか過ぎる声が耳元で俺を呼んだ。
『ほら、あそこ! あの女ですよ!』
… " あの女 "。無遠慮なその言葉に思わず息が詰まる。通りを挟んで向こう側の店先で、一人の女が上体を屈め商品を覗き込んでいた。藍色の小袖袴、耳の下あたりでぱつりと切り落とされた髪。部下に、ヘボのくせによく気付いたなと言いたくなるほど、前に見た時とは様子が変わっていた。
『顔怖っ… ちょ、どうしたんです?』
口数の多い部下にうるせぇ、と返して黙らせる。あの夜の怒りと屈辱は、夜毎繰り返し、ひたすら俺の中で煮えていた。
俺に拐われた時ろくな抵抗も出来ずにいた女。てめぇでてめぇの身も守れない… そんな女の情けで生き延びた、自分。
女が、顔に落ちてくる髪を耳に掛ける。だが長さが足りないせいで、すぐにまた落ちてくるようだ。苦笑する女の顔から目を背け、背負箱を担ぎ直して歩き出す。女と俺を交互に見ていた部下が、待ってくださいよ!と慌てて追ってくる。
『… あ、痛ぁっ!!!』
背後から上がった声に仕方なく振り向くと、地面に転がった部下に、よりによってあの女が駆け寄っていた。
… 子供か、お前は!!!
しどろもどろで礼を言う部下に、女はいえいえ良いんですよと明るく笑った後、無事で良かった、と呟いた。
『良い人でしたねぇ!… なんか悪いことしちゃったな。』
街道から裏道へ入ると部下が言った。のほほんとしたその言葉に、今度こそ固い拳骨を落とす。
その拍子に、懐から小袋がぽとりと落ちた。守り袋を模したそれには、あの女の髪が糸のように巻かれて入っている。
【眠れないほど】
黄金色の蝶が、顔のまわりを舞っている。
辺りには芳しい香気が満ちていた。不思議な話だが、それはひらひらと舞う蝶の翅から、絶え間なく漂ってくる。少なくとも彼等には、そうであると感じられた。
吸うたびに頭がくらりとするほど甘い、幸せな匂いだと。
『… 改めて見ても、醜いねえ。』
『お前の顔だよ。』
忍者の言葉に、びしっと裏拳を見せて農夫が返す。同じ体格に同じ顔。双子と見紛うには彼等は些か異質だった。顔から脚まで這う傷跡と、そこに巻かれた包帯まで全てが同じで、どうにも別人と断ずることはできない。
どうして畑仕事なんかと問う忍者に、城が落ちてねと農夫が返す。忍者から走るビリリと激しい怒気を受け、農夫は笑いながら、お前が私とは違うことを願っているよ、と言った。
…悲しい笑みだった。忍者はふっと息をつき、目を伏せて呟く。もしそうなれば、あの娘(こ)とも永遠の別れだ、と。
『… いや? この夏、妻に迎えたよ。』
農夫の言葉に忍者は目を見開いて、嘘っ!と叫んだ。農夫はあっはっは!と声を上げ、どこか得意げに笑っている。
『… ま、お互い楽しくやるさ。』
どちらのものとも判らないそんな言葉を交わして、互いに霞みゆく自分の影法師を見送った。…甘い匂い。黄金色の蝶へゆるりと手を差し伸べる。そこに絹糸が絡んだかと思うと、最愛の女(ひと)の胸の中で目覚めたところだった。
これじゃ芳しいわけだ。でも彼女の肩は、布団からはみ出てしまっている。お前、冷えたらいけないよ…
ほやほやとしながら、できるだけ優しく、自分の胸へ彼女を収めた。ああ、とわにこうしていられたら。
『未来の夢を見た… いや、過去かな? … まあいいか。』
柔らかい。暖かい。良い匂い。
愛おしい何かがくっついて、微睡みながらうふふ、と微笑っている。
【夢と現実】
彼女は歩くのが速い。サッサッと音がしそうなほど速い。
急ぎの用でもあるのかと、声を掛けるのを止めたこともあるくらいだ。
男の私がそう感じるのだから、およそ女子(おなご)の歩き方ではない筈なのだが、いつも結髪に袴姿なものだから、
却って “ 凛々しくて素敵! ” だなんて周りには評判が良い。
『お前の脚が短いんじゃないのか?』
話しながら歩くとすぐ数歩ずつ遅れると零すと、先輩から辛辣な言葉が返ってきた。違いますよっ!
そんな謎と不満を燻らせながら過ごしていたある日、お使いに行く彼女に付き合うことになった。
いつもと違い、小袖姿の彼女に多少ドギマギはしたが、並んで城下への道を歩いて行く。
なんだ? この違和感。話す、聞く、話す、聞く…
… あっ!
いつもなら間に挟まる『二歩進む』が今日はないんだ。
得心顔の私を不思議そうに見上げた彼女に、事の次第を話してみると、目を丸くして言った。気付いてなかったの、と。
『私に合わせようと、歩幅を縮めてくれているでしょう?』
そう、なのか? 自分では気付かなかったけど、女子(おなご)はゆっくり歩くものだ、とは確かに思っている。
今の彼女のように。だから彼女と歩く時、私が無意識に小股で歩いていたのだって、あながち的外れじゃなかったってことだろう。僅かな心の澱が濯がれて、気分がスッキリする。
だったら明日からは、いつもの君に合わせて歩くよ。
女子(おなご)だからではなく、君だから、と思って。
そうやっていれば、ずっと二人並んで、いつまででも歩いて行けるだろう。それはとても… 悪くないことだ。
【距離】