冬晴れ
空が青いだけで空気が澄んで見えるのが不思議だ。魚の骨のような街路樹の枝間がいつもより透きとおって見える。
冷ややかな日陰も、天井が抜けているから気分がいくらか明るい。とはいえやっぱり寒いから、あちこちにできた陽だまりを気づくと目で追っている。
信号待ちの陽射しが身に染みる。信号待ちの冷気が骨身に徹する。
にぎやかで心地良い散歩日和だ。
しかし実のところ眠いし暇じゃないから、ただただ足を回転させ、早く着こうと努めている。
用事があるのがもどかしい、冬晴れの朝。
2023/01/06
幸せとは
幸せは、難しく定義しようとすればするほど遠のいていくくせに、簡単には掴ませないと言いたげに複雑な様相を見せるから意地が悪い。
心から楽しくいられればそれが幸せ、と言い切れれば楽なのだけれど、全力で失敗して本気で悔しがれるのも幸せだ、なんて考え始めるときりがなくて、幸せのシーンの数だけ無限に定義が生まれる。場合分けしてまとめてみたり視点を変えたりと手を尽くして輪郭を描こうとするのだけれど、どれもしっくりこない。
おそらく何もかもが幸せになりうるし、不幸せにもなりうる。だからどうだっていい、というわけでもなくて、幸せになろうとしなければ幸せを取り逃がすようにも思う。
幸せは生きがいに似ている気がする。岐路に立たされたら方向を決めなくてはならないし、普段から多少意識しないでもないけれど、適当にやり過ごせるし、適当に満たされもする。色々考えて、幸せのことがよくわからなくなってきたけれど、今は岐路でもなんでもないから、適当でいいのかもしれない。岐路であっても、枝が倒れた方角で甘んじていい気もする。とりあえず今日も、あたたかい布団で眠りにつける幸せを享受して、それで満足しようと思う。
2023/01/05
日の出
幼い頃の自分にとって、日の出は野暮なものだった。
うっかり早く目覚めた朝の、時が止まったような静寂の中で、眠る家族の薄い呼吸を聞きながらそっと窓際に寄ると、空気はまだ青く冷え冷えとしていた。誰も何も動かない死んだような風景に、自分だけが動いている不思議さ。借りぐらしの小人になったような、秩序や監視に縛られない全能感を覚えた。やがて、冷え切った窓外のごみごみとしたまちの果てが明るんでくる。すると、それまで身を包んでいた静謐な自分だけの時空間が、熱された硝子のように溶けていく。街がゆっくりと目を開ける。まちのあちこちで草木が頭をもたげ、歯車が徐ろに回りだすような音を、皮膚に感じる。音が満ちていく。一人でなくなってしまう。そうして、特別な時間の終わりをどうしようもなく悟るのだ。
幼い頃の自分は、日の出を残念に感じていた。しかし、残念に感じつつも、その残念さを味わうことができていたように思う。今はあんなにも純粋に感じることはできない。夜中から起きたまま迎える日の出を繰り返しすり減った感性は、もう底をついて取り戻せない。
2023/01/04