天津

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幸せとは

幸せは、難しく定義しようとすればするほど遠のいていくくせに、簡単には掴ませないと言いたげに複雑な様相を見せるから意地が悪い。
心から楽しくいられればそれが幸せ、と言い切れれば楽なのだけれど、全力で失敗して本気で悔しがれるのも幸せだ、なんて考え始めるときりがなくて、幸せのシーンの数だけ無限に定義が生まれる。場合分けしてまとめてみたり視点を変えたりと手を尽くして輪郭を描こうとするのだけれど、どれもしっくりこない。
おそらく何もかもが幸せになりうるし、不幸せにもなりうる。だからどうだっていい、というわけでもなくて、幸せになろうとしなければ幸せを取り逃がすようにも思う。
幸せは生きがいに似ている気がする。岐路に立たされたら方向を決めなくてはならないし、普段から多少意識しないでもないけれど、適当にやり過ごせるし、適当に満たされもする。色々考えて、幸せのことがよくわからなくなってきたけれど、今は岐路でもなんでもないから、適当でいいのかもしれない。岐路であっても、枝が倒れた方角で甘んじていい気もする。とりあえず今日も、あたたかい布団で眠りにつける幸せを享受して、それで満足しようと思う。
2023/01/05

1/4/2023, 5:03:48 PM