「どうして」
「もうついていけない」
「おかしいよ」
何が悪いのか、正直わからない。
オレはオレができる精一杯を生きているだけだけれど、それすら人と違うらしい。
泣いているばかりの彼女たちの背中を見送って、けれどやっぱり生き方を変えることはできなかった。
「でもそれがおまえの生き方なんだろ?」
―生死の境目を細い車輪でクルクルこいで、ボロボロになった身体でたった一つを追い求める。目の前にしか目を向けられないおまえに振り向く機能なんかついてないよ。
「ひどいなあ」
「酷いと思ってないだろ」
「振り向きますよ、確認に」
「確認だけな、頭だけ」
クスクス笑うその人は、オレの方を見ないまま菜箸を振る。
オレは一人暮らし用の小さなテーブルに頬杖をついてそれをジッと見つめる。
平均より少し細い身体は、たよりなさそうに見えて頑固な芯が通っている。
「あなたは」
「ん?」
「あなたは一度だってオレの生き方を否定したことないよね」
「………否定しねーよ」
「どうして?真っ先に怒りそうなのに」
身体があげる悲鳴で生を謳歌するオレに、誰だって顔をしかめるのに。この人だけは、いつだって。
「おつかれって、それだけ」
だってさ。
できあがった肉野菜炒めが乗った大皿をテーブルに置いて、オレの目の前に座る。
「無理して、死にそうになって、実際何度か死にかけて、でもおまえ笑ってんだぜ。こんな日はもう二度と訪れないみたいな顔して、一瞬一瞬、たまらなく楽しそうでさ。そういうの見てると、否定なんて考え浮かばねえよ」
パチリ。目を瞬いた。
食器棚から取り出したおそろいの茶碗。
つやつやの白米と、これまたおそろいのガラスコップ。
そそがれた手作りの麦茶は市販のものより少し薄味で。
差し出された箸を反射で受け取れば、全然気にしていないこの人は手を合わせて食べ始めた。
「…ねえ」
「ん?」
「ねえ」
「だからなんだよ」
「オレの灯火になって」
「………………ハァ?」
「どこにいたって帰ってくるから。あなたのところに、戻ってくるから。おかえりって、おつかれって、オレを出迎えて」
「………」
「………」
「え、ヤだけど」
「なんでっ!」
「待ってるとかイヤだね。オレから行ってやるわ」
「…………ッ」
あぁ、やだな。敵わない。
「あとそれ言うなら灯台だと思うぞ」
「?」
「まじかあ」
間違ってないよ。
だってこんなに、オレの心の中心で小さな灯火が存在を主張している。
あなたに触れて育った光を抱いて、ただいまを言うから。
お題「心の灯火」
「一日の終わりに必ず消してね」
曲がりなりにも知名度が高い私達のLINE。
マネージャーがいうには、どこから情報漏洩するかわからないから、きちんとしなければいけないらしい。
消したところで、と思うけれど、復元してまでどうこうするのはもう警察に通報する案件だというから、自衛としてしっかりしなさい、だって。
いつも、またねってベッドに転がって打ち込んで、また明日って返事が来たら全てのトーク内容を削除していく。
なんのためらいもなかった。
そういうルールだからね。
別に重要な話はしていないし。
たぶん一週間後も、同じ会話を繰り返してるんだろう。
*
**
***
****
「―――――ッッッ!!!!!」
いなくなった大切な友達へ。
返事できなくてごめんね。
だってさ、見たら消さなきゃいけないもん。
君のスマートフォンは解約されてしまったから、LINEのトーク欄は【メンバーがいません】。
二人で出掛けた夕方の海のアイコンだったそれは無機質な初期設定。
だけど、その日はまだお昼だったから、どうでもいいトーク内容はそのまま残ってる。
私は一人の仕事中で、またあとでって言って、君の仕事がんばってって返事は通知欄に並んで未読状態でトーク一覧に①がついている。
この未読を既読にしちゃったら、消さなきゃいけないから。
だからまだ、これは開けない。
君の生きた証を消すのは、あまりに辛すぎるから。
お題「開けないLINE」
好きな人がいる。
彼はみんなに人気者で、いつも誰かと一緒にいる。
私はそのなかの一人というわけで。
だけどそれだけで終わるつもりなんてなくて、彼の唯一になりたい。
どうすればいいかな。
真偽不明の恋愛必勝法が載っている雑誌をめくって、そのなかの一つが目に入った。
『魅力的な香水でさりげなく!』
中身を熟読して、これだって思ったの。
同じ香水をつけ続けて、標的のそばに居続ける。
あの人が街を歩いていて、似た匂いがしたら私を思い出すくらい。
彼に意識してもらうことができたら、もう私の勝ち。
さっそく買った甘い匂いの香水を、さりげなくさりげなく、注意しながらうなじにつける。
香水と私の匂いがまじって、世界にたった一つの香りができあがる、らしい。店員さんの受け売りだ。
彼はいろんな人と仲が良くて、どんな小さなことでも気付いてくれる。
どんな反応してくれるかな。
楽しみでスキップしそうな気持ちで道を歩いて、大学の敷地内に入る。
「あっ」
さっそく見つけた彼に、運命ってものを感じる。
けれど、彼の隣。いつもいつもそこを陣取っている後輩のあの子。ナマイキな後輩だって言うあの子の先輩兼彼の友達が逆隣にいて、話しかけるタイミングを見失った。
結局、講義の合間に少し話しただけ。
でもさりげなくって書いてあったし、初日はこれくらいかな。
そう思いなおして、明日に備える。
少しずつ少しずつ、私を刻みつけるの♡
****
「不愉快」
「なんでえ」
「ジョーネンの臭いって感じ」
「ジョー……?あぁ情念。おまえよくそんな言葉知ってたなあ」
「あなたは変なのに好かれやすいんだから気をつけてくださいよぉ」
「おまえも含めてな」
「オレは相思相愛だからいーの。フロ行こ。臭い落とさないと抱き心地サイアク」
「へーい」
お題「香水」
赤、青、黄色、水玉模様にかわいいキャラクター。
色とりどりの傘が道を占領する歩道の脇に立つ小さな商店の軒下で、ぼんやりと彼女が空を見上げていた。
頭にかぶった花柄のタオルはすでにびしょ濡れで、丁寧にみがかれたはずのローファーはドロドロの泥でコーティング。
彼女の手には通学カバン一つ。残念ながら傘の類は見当たらなくて、同じく隣に濡れネズミで立った僕はぺたんこのカバンの中で存在を主張している折りたたみ傘を思った。
「やまないねえ」
ざあざあと降り続く乱暴な雨音の中で、彼女の声は鮮明だ。
「突然降ってきて災難だったな」
ゲリラ豪雨。正しくそう称される天気に2人で空を見上げる。
そして僕は、なんでもないような顔をして彼女を見た。タイミング良く彼女は小さなくしゃみをして、無意識だろう、夏服でむき出しの二の腕を撫でこすった。
「なぁ」
風邪を引かれたら大変だ。さっさと出さなかったことを不愉快に思われるかもしれないけれど、そんなこと気にしていられる状況じゃない。
カバンに手を突っ込んで折りたたみ傘を取り出しながら声をかけたけれど、彼女は空を見上げて佇んだまま。
「なあって」
「わあ!……どうしたの?」
「傘貸してやるから帰れよ」
一歩近付いて肩を掴んだら彼女はびっくりして跳ねた。あまりの反応にうまく喋れたかはわからないけれど、押し付けた折りたたみ傘を手に取ったので良しとする。
大したものは入っていないからカバンを傘代わりにしても問題無いだろう。
そう思って踏み出した身体は、残念ながら歩道に飛び出ることはなかった。
「どうした?」
「借りたからには、今は私のものだよね」
「……まぁ、そうだな」
「じゃあ一緒に帰ろう?方向同じでしょ」
僕が返事をする前に、彼女は僕を追い抜いて歩道に出る。今は彼女のものになった折りたたみ傘をくるりと回して、快晴みたいな笑顔で笑った。
***
「さっきはごめんね」
「ん?」
相変わらずやまない雨の中を、肩を濡らしながら歩く。
背が高くて良かったと思ったのはたぶん今日が初めてだ。
「雨の音と心臓の音がすごくて全然気付けなかったよ」
「………………なんで心臓?」
「え……あ、……っ」
パチリと瞬きしながら見上げてきた彼女の顔が真っ赤に染まって、ぎゅっと自分の通学カバンを握り締めて傘の下から飛び出した。
「ちょ……っ!?」
「送ってくれてありがとう!また明日!」
彼女の家にたどり着いてしまったらしい。手動の門を開けて、早口で別れの挨拶をした彼女は家の中に入ってしまった。
あの赤い顔は、期待してもいいんだろうか。
お題「雨に佇む」
向かい合わせに立つと少し緊張してしまうから。
お話するときは背中合わせになりましょう。
照れたように笑う君の体温を感じながら、
他愛ない話を繰り返す。
君の笑い声はひそやかで、
深く耳奥に染み込んで離れやしない。
幸せだね。
幸せだわ。
明日何をしようか。
明日何をしようね。
今日の夕飯はシチューにしましょう。
ご飯にかけてもいいかな。
子供みたいだわ。
子供みたいかな。
たくさんの話をした。
たくさんの日々を過ごした。
けれど一度だって。
君の顔を見たことがなかったね。
声を憶えている。
体温を憶えている。
けれど顔を知らないから、どこかで君とすれ違っても君だとわからない。
それが少しだけ物悲しくて。
君はどんな顔で笑うんだろう。
今更、向かい合わせを恥ずかしがった君ときちんと話し合えば良かったと思うんだ。
お題「向かい合わせ」