「もし人間に余分な部位があって、それが何度でも再生可能なら――人間はその部位を切断して遊ぶだろうか?」
何言ってるんだ、と口を挟む余地すら無い様子で、彼は眼球を激しく動かし言葉を探している。かなり興奮しているのか、瞳孔が開き、涎が顎を伝っていた。
「子供の頃、退屈な時に例えば手遊びをしなかったか?――つまり、動物のする遊戯の原点は『体』を使った遊びだということだ」
「……それで君も例外なく、『体』で遊んでいるのか?」
半ば強引であったが、やっと僕が口を挟めた。
――注射痕。
僕は医師ではないので、この見立てが正しいのか分からないが……同じところを決まって刺しているのか、彼の左腕の皮膚が赤黒くただれている。
先ほどからの異様な興奮も、薬物によるものと考えれば説明がつく。問いたださずにはいられなかった。
「……スリルだよ。別に薬物が好きなわけじゃない」
形相がガラリと変わる。
今にも首を絞められそうな、殺意に近い気迫を感じた。
「いかにも薬物中毒者の言い訳に聞こえるな」
彼の神経を逆撫でしすぎないよう顔色を窺いながらも、あえてはっきりと指摘した。
皮膚の変色具合や注射痕の数から見て、かなり大量に薬物を摂取している可能性が高い。このままでは、捕まる前に彼の体が限界を迎えてしまうと思ったのだ。
「いいやスリルだ。お前らが俺にしたことと何が違う?」
ガリッ、と彼の奥歯が軋む音が聞こえた。
彼の醜く歪む顔の皺には、激しい憎悪が詰まっている。
吊り橋効果で恋に落ちるように。
陰口で共感し合って友情を深めるように。
社会の目を掻い潜って罪を重ねてみるように。
人間にとって、スリルとは娯楽だ。
数年前、僕たちは彼を利用してスリルを楽しんでいた。
それがある日突然、彼は行方をくらませたのだ。
心配なんて誰一人せず、死んだとかパクられたとか散々馬鹿にして、卒業する頃には全員綺麗さっぱり忘れた。
その彼が、目の前にいる。
「……そもそも、僕は君に会いに来たんじゃない。【当時同じグループの一人】からの連絡でここに来たんだ」
アイツはどこにいる?
そう尋ねる前に、彼はふらりと物陰に消えた。
そして腕が飛んできた。――腕が、飛んできた。
その手首には、ギラついたブランド腕時計。
数ヶ月前にアイツから自慢された物と酷似している。
鈍い金属音を立てながら、彼が斧を引き摺って現れた。
……なるほど。体を切断という最初の比喩は、ドラッグの使用で出てきたうわ言などではなく、『事実』から想起されたものだったのか。
「まぁ、過去のことなんか忘れて楽しもうや」
人間のする、カラダアソビ。
いじめ。ドラッグ。暴力。
――そしてそれらの先に待ち受ける、冷たい死。
「待って待ってくれ僕は嫌々従ってただけ――」
そのスリルの代償はいつも、『体』。
2024/11/12【スリル】
自由の羽を広げること。
それは、両翼の先にいる誰かを傷付けうること。
あの澄みきった大空に思いを馳せ、人々は謳う。
自由を求め、自由を愛そう、と。
長く監獄にいた。
それはきっと、誰が犯人でもよかったであろう罪。
「僕がこの世に生を受けたことは、きっと罪なのだろう」
そう言って、自分を、この世界を呪った。
僕の姿に同情こそすれど、救おうとする者はいない。
僕をめぐって、世界中が議論した。
それでも僕の今日は、明日は、その先は、檻の中。
羽の生えた赤子。
そのニュースは、たちまち世界を震撼させた。
鳥でもない。人間でもない。
どちらの種からも仲間はずれの僕。
これは祝福を受けて生まれた天使か?
それとも人間に擬態したおぞましい悪魔か?
これまでの人生の半分を実験体に費やして
もう半分は見世物として世界中で展示された。
今日はサーカスの一幕に呼ばれたらしい。
観客の歓声や悲鳴を聞くたび、心底感情が冷えた。
劇団長にマイクを向けられた。
インタビューに答えろ、という無言の圧力。
「……『今まで皆さんは散々、この翼を作り物だ、飾りだと言ってきた。でもそれは違う。僕のこの姿は、自由を求め、自由を愛するためにある“本物”なのです』」
台本通りのセリフ。芝居がかって大袈裟に泣く劇団員。
全てが嘘で塗り固められた、この舞台。
唯一“本物”であるのは、この憎い立派な翼だけ。
「――自由の羽を広げること。
それは、両翼の先にいる誰かを傷付けうること」
舞台裏で、どよめきが聞こえた。
従順だった僕が突然台本を無視したのだから、当然だ。
僕はお構い無しに、勢いよく両翼を広げた。
ほんの瞬く間に、近くの団長と劇団員の首が飛ぶ。
観客は演出だと思ったのか、席を立たなかった。
劇団員が血相を変えて逃げる様子でようやく異常事態に気がついたようで、一拍遅れて大パニックに陥る。
研究施設から解放されて以降、僕は足先に生えている猛禽類に似た鋭い爪を集めて、大量に羽裏に縫い付けた。
未練がましくとも、望みがどんなに薄くとも。
僕もあの澄みきった大空に、思いを馳せていた。
長年しまい込んできた、この翼。
今この瞬間、反逆の咆哮をあげている。
無駄な賭けかもしれない。
それでも自由を求めずにはいられない。
――僕のこの愛おしき体は、飛べない翼じゃない。
2024/11/11【飛べない翼】
ススキを花束にして渡したら、グーで殴られた。
「殴ることないじゃんかよぉ」
痛む頬を手で擦(さす)りながら、俺は文句を垂れる。
目の前には、俺よりもずっと小さい女の子。
「やかましい! 戯言(たわごと)を抜かす元気があるのなら、もっと可愛い花を持って来ぬか!」
この可愛らしい風貌で、なんて横暴なヤツなんだ。
俺も負けじと声を張り上げる。
「お前こそ、文句言う前に礼が先だろ?! 失礼なヤツめ!」
「失礼は汝(うぬ)じゃ! 稲穂ばかり寄越す人間らに飽き飽きした故、汝に別の花を持って来いと申したのじゃ!」
クラスでよく声がでかいと叱られる俺。
しかしその倍の声量で反撃されて、ちょっと泣きそう。
「ススキを舐めんじゃねえよぉ……花言葉いっぱい持っててさぁ……縁起もいいのにさぁ……」
後半は鼻声でぐしゃぐしゃだった。
俺の「男泣き」というより「マジの号泣」を見せられて流石に困惑したのか、女の子はバツが悪そうにたじろぐ。
「ふん……まぁ、こうして見ると悪くないのぅ」
散らばった束のうち一本を手に取り、女の子が呟いた。
未だべそをかく俺にそっと近付いて、顔を覗き込む。
「……はて、何やら甘い匂いがするが」
そう言われてやっと、俺は二つ目の目的を思い出した。
泥まみれのランドセルから、キャラメルを取り出す。
「これ……お前にやる」
恐る恐る、女の子は包み紙を剥がして口に含んだ。
不安げな顔が、瞬く間に輝かしい笑顔になる。
「…………悪くないのぅ」
自分の顔が緩んでいることに気が付いたのか、すぐに元の顰め面に戻ってしまった。素直じゃないなぁ。
「――なんだか今年は、やけに豊作だね」
「……もしかして、ススキが効いたのかなぁ」
「ススキ?」
「ううん、何でもねぇや」
2024/11/10【ススキ】
君は写真が下手くそだ。
奮発してご馳走したフレンチは残飯みたいだし、旅行先の景色はモチーフが悪くて特別感がないし――そうだ、いつの日か隠し撮りした私の寝顔なんて最低の出来だった。
下手くそでも、楽しそうに撮っていたのに。
君はいつも、肌身離さずカメラを持っていたのに。
――ある日突然、君は写真を撮ることをやめた。
「なんで撮らなくなっちゃったの?」
「……もう、撮る意味がなくなっちゃったから」
私が尋ねると、君は寂しそうに微笑んだ。
目を合わせてはくれなかった。
「未練タラタラじゃん。うける」
「……そうだね。君に未練タラタラだよ」
私は死んだ。
そして退屈な私は、君に憑きまとっている。
「フィルム越しでしか君を見れなくなって、気付いたんだ――君のこと、どれだけ僕はこの肉眼で見ただろうって」
だからこれは自戒なんだと。
そう言って、君は俯く。
反則でもいいから、もう一度私を見て。
君の好きなカメラで、いくらでも。
――次はフィルムじゃなくて、脳裏に焼き付けてよ。
2024/11/09【脳裏】
例えばそう、小麦粉を特効薬として飲ませるような。
嘘。偽物。紛い物。そして、プラセボ(偽薬)。
ヒトの思い込みというのは、実に不確かなものである。
「騙し騙し生きていく人生に、如何程の価値がある?」
君の瞳に映る世界に、眩(まばゆ)い真実は無いのだろう。
疑心暗鬼に唆(そそのか)された、哀れな男。
「人生に意味を見出すのに、君は幼すぎるのさ」
そう、君は幼い。
だから「私」というプラセボに、依存する。
希死念慮を患う人々に、定期便で「毒薬」を渡す仕事。
そこに勤める私が派遣された先、それが君。
週に一回、私は君に「毒薬」を送り届ける。
有難がって「服毒」する君は、滑稽とも言えた。
そんな物で、死ぬわけないのに。
「いつになったら死ねるんだろう」
虚ろな目で、君はそう呟いた。
時の流れは早く、君が「服毒」し続けてもう半年。
そろそろ気付いても良いはずなのだが。
「……そのうち死にますから。ほら、今週の分」
意味がないこと。
それは「服毒」であって、「服毒し続ける人生」ではない。
そう伝えるにはまだ、君にプラセボが足りない。
2024/11/08【意味がないこと】