「──それ。『時を超えるカレンダー』」
ふらっと立ち寄った、埃っぽい骨董屋。
両手を擦り合わせながら、いつの間にか傍にいた老店主が、突拍子もないことを囁いてきた。
「……冗談はよしてください」
ふと気になって立ち止まっただけなのに、私が品定めしているようにでも見えたのだろうか。こんな黄ばんだカレンダー、別に欲しくもなんともない。
大体、カレンダーは未来の予定を立てる物であって、当日を迎えたその瞬間から塵(ごみ)となる。
いつの時代かも分からぬこの代物など、ただの薄汚れた紙面にすぎないではないか。
「お客さん、過去の予定だって立派なモンですぜ」
「……そもそも『予定』という言葉から矛盾していると思うのですが」
「じゃあ『設定』だ。今の自分は理想か? 現状は満ち足りているか?──すべては過去が担っているからな」
唾を飛ばしながら、妙に力説してくる老店主。
呆れつつも、最後の付き合いだと私は口を開く。
「じゃあ、ご自分で使ったらどうです。店頭に出して売るなんて、もったいないでしょう」
「このカレンダーは正真正銘、本物さ。……ただ一つ、煩わしいことがあってだな」
鼻頭をさすりながら、老店主は肩をすくめてみせた。
「どうやら過去を書き変えると、『その変化が実現するまで』の間、時空を彷徨うことになるみたいでな」
そして彼は、ニヤリと笑う。
「んで、今日が『その日』だ」
恐る恐る、ぱらりとカレンダーを捲る。
パリパリと紙が擦れる音が、店内に響いた。
【19××年 9月11日】
──完全犯罪を成立させた。
「……なるほど。どうりで見た覚えのある顔だと」
忘れもしない、一家殺人事件の犯人。
当時10歳だった私は、2階の窓から飛び降りて逃げ出し、警察に保護された。
この犯人はずっと、恐れていたのだ。
唯一自分の顔を見て生き延びた私の存在が、証言が。
背筋が凍る。カレンダーを壁から引き剥がし、骨董品を掻き分けて、無我夢中で外に出た。
このカレンダーはどうしよう。
ライターで燃やしてしまおうか。それとも──
【19××年 9月11日】
──犯行は失敗、未遂で捕まる。
時を超えて、『その日』まで。
私も『予定』を立ててみせようか。
2024/09/11【カレンダー】
※ネタ回※
《犬の健康診断》
「はい、じゃあ聴診器あてますねー」
「ワン」
……dog dog dog dog────
2024/09/08【胸の鼓動】
鏡に映る私に 恐る恐るキスをした。
特に意味はない。
ただただ愛情が、唇に欲しかった。
自分を愛せるのは私だけだと、詩人は唄う。
ヒンヤリとした鏡面は、物淋しさだけを跳ね返した。
他人(ひと)は鏡だと、誰かが言った。
そんなのは真っ赤な嘘である。
「固い友情」も「淡い恋」も、報われたことはない。
「よぅ、そこの辛気臭い顔した嬢ちゃん。
鏡見てみな、ひでぇ顔だぜ」
薄汚れた安っぽい手鏡を押し付けてきた見知らぬ老父 に、間に合ってます、とだけ冷ややかに返答した。
「なんでぇ、ずいぶん冷たい子だね。
せっかく綺麗な顔立ちなのに、勿体ねぇ」
その歳になれば、若い子なんてどれも一緒くたに可愛く見えるものでしょ、と内心 呆れて毒を吐く。
「知ってるか? 鏡は先に笑わないんだぞ」
「……は?」
何を当たり前のことを、と思わず怪訝な顔で老父を見れば、「やぁっとこっち見た」と欠けた薄黄色の前歯をニカッと覗かせていた。
お世辞にも綺麗な笑顔とは言えないのに、深く刻み込まれた笑いジワには、晴れやかなシアワセが映っている。
なんとなく居心地が悪くなって、私は初めに確認せねばならないことをようやく問いただした。
「ところで貴方、誰なんですか」
そう尋ねると、老父は突然ビクビクとしながら遠慮がちに口を開いた。
「……君の未来の姿、って言ったら怒る?」
「当たり前でしょうふざけないでください」
何を言い出すのかと思えば、このじじいは。
語気を強めて、怒りを露わにする。
「まぁ『私』なら、こんな話を聞いても信じないだろうけどなぁ──年老いたオレから言わせれば、オンナもオトコも、カコもミライも、境界線なんてものは曖昧なもんよ」
「……大きなお世話です」
同性の友人に、恋をした。
私のことを好きだと毎日言ってくれていたものだから、思い上がって告白して玉砕、そして疎遠になった。
物心ついた時から、拭えぬ違和感。
何が私を、私たらしめる?
「そろそろ帰ろうかね……それじゃ、達者でな」
老父はそれだけ言い残して、振り返らず去って行った。
「あっ……忘れ物」
ベンチに置き忘れられた、あの汚らしい手鏡。
思わず手に取ると、妙な既視感を覚えた。
それは人気(ひとけ)のない昼下がりの公園で、独り虚しくキスを落とした、手持ちの鏡。
──愛しいあの子がくれた、あの鏡。
2024/08/18【鏡】
人生とは現世を漫遊する旅路で
それ自体に意味は無い。
何を抱えて生きて、何を携えて死んでいくのか。
死とは孤独だ。あの世は無だ。
それならば 心慰は多い方がいいだろう。
虚空で自身を囲めるだけの土産を蒐集するのが
人生という名も無き旅の目的なのだ。
2024/04/27【生きる意味】
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
いつかこの文章を、書き溜めている作品の
完結後に そっと添える日が待ち遠しい。
「死体を丸呑みする手品を知ってるか?」
――なんの脈絡もなく、そう彼は尋ねてきた。
いや、と困惑しながら僕は相槌を打つ。
「こいつは俺が発明したんだが、まさに革命だ」
「いいから、もったいぶるなよ」
仰々しい語り口調の彼に、早くも苛立ちが芽生える。
彼は悪びれもなく やれやれと首をすくめてみせた。
「手順は簡単さ。適当な大蛇を連れて来るだけ」
「……死体はどう用意するんだ」
「君に任せるよ。長年 手品師の助手を務めた君に、ね」
……なるほど、つまりはこういうことか。
そして僕は、一息に彼の首筋をナイフで掻き切った。
手品の催し物で用意された大蛇。
どうやら長距離移動と空腹で一触即発だったらしい。
イベントに出演する手品師として大蛇の様子を確認しに檻へ立ち入った彼は、瞬く間に襲われ、半身呑まれた。
「……優秀な人だったのになぁ」
死体となった彼は、大蛇にズブズブと呑まれていく。
何のひねりもない、手品ですらない ただの事故。
死ぬ間際は こんなにも人をつまらなくするのか。
尊敬していた分、失望感が大きい。
どんな芸の天才も 最期の刻は凡人に成り下がる。
そんな、不条理。
2024/03/18【不条理】