たまには、本当の意味で「休む」ことがある。
私はふだん、休日でも休むことをせず、むしろ本当の自分の活動に精を出す。
朝起きた時から夕方までずっと何か意味のある活動をしようとする。
手を動かして、後の自分が見返すことのできる成果を作り続けている。
そうしないととてももったいない。
だけど、疲れすぎているときは思いっきり休んでみることにしている。
おいしい温かい飲み物を用意して、背もたれに甘えて座ったり寝転がったりして動画を観る。
外国の老夫婦がおやつを作る動画、VLOG、旅行動画、料理のレシピ動画。
あとは本やネットの文章を読んだりもする。
本当にそれしかしない。
休むと決めた日にはとことん休む。ものすごく贅沢な時間の使い方。
しかし、その休息も意味のないものではないと思っている。
中東のおばあちゃんが焼く平たいパンの作り方、見たことのないお菓子の名前なんかは、昨日までの自分が知らなかったこと。
今日休まなかったら一生知り得なかったかもしれないもの。
少なくとも、それを知らなかったことの自分とは違っている。
だから大丈夫。
つまり、休むことは停滞ではないという話でした。
/たまには
ひとつのドリップパックから2杯のコーヒーを作ってしまう。
どういうことかというと、1杯目、ふつうに抽出したパックをとっておいて、カップが空になったらまたそのパックからコーヒーを抽出するということだ。
要は出涸らしを飲んでいる。
人によってはあまりにも許せないことかもしれない。冒涜的だと罵られ、石を投げつけられるかも。
こんなことをする理由は以下のとおりである。
- 作業中は「味のある液体」を飲んでいたいから
- 普通にまっとうなコーヒーをおかわりするとカフェインのとりすぎになるから
- 「ドリップパックは1回抽出したらもう捨てる」という常識を疑って2回目を出してみたところ、そこまで悪くなかったから
- 単純にひどくケチだから
- 名残惜しいから
だから私はこんなひどいことをする。がさつ、ならずもの、野蛮人、人でなし。
ちなみに作業中に「味のある液体」を飲んでいたいのは、なんかそれっぽい雰囲気を作らないと作業をする気分に切り替わらないからである。
どんな味がするのかというと、煙っぽいにおいのする、ちょっとだけコーヒーの味がするっぽいお湯といった味がする。
まずくもないがうまくもない。「おいしくない」という感じだ。(楽しくもなんともないが吐きそうな味がするわけではないし毒もないので摂取することができる、という感じ)
ただし私基準なので、一般的にはまずい可能性がある。
/お気に入り
子供の頃は笑うのが下手だったらしい。
笑ったつもりで口角がめちゃくちゃ下がっていたらしい。
とにかく口に力を入れたら良いと思っていたのかもしれない。
今はきちんとした笑い方を心得ている。
・微笑むには頬の上の方に力を入れて口の端を上げること
・舌を上顎に付けて、意識を顔の真ん中に持っていくこと(これをしないと力の入れ方が片側に寄ってしまう)
・場合により、いい具合に目を細めること
/スマイル
ほんとうに好きな物ほど誰にも言えない。
友達にも言う気にならない。
匿名性の高い捨て垢でなら言える。
そこは自分と地続きではないからだ。
好きな物、もとい好きな作品を語ると、自分とその物が結びつけられてしまい、私のプロフィールのひとつになってしまう。
そうすると、私のひとつひとつの行動に責任が生じる。
その作品を好きな人々として恥ずかしくない自分でいなければならない。
モラルに反することをしないとか、そういう当たり前のことではない。
髪がきれいかとか、服に毛玉がないかとか、背筋が伸びているかとか、所作が綺麗かとか、ひげの剃り残しがないかとか、万人に認められるオシャレをできているかどうかとか。
だから、何のことも好きじゃない自分でいる方が楽なのだ。
あと、好きは嫌いと同じくらい弱点だから、晒さないほうが賢明なのだ。
/どこにも書けないこと
1000年先の人間も今と同じ言葉を話すだろうか? おそらくそうはならない。
今から1000年前、1023年。日本は平安時代である。
今よりも月はでっかく空に浮かんでいた時代、人々は現代人の何倍もの時間をかけて発話していたらしい。知らんけど。
当然、今の言葉はその当時のものとはだいぶ様変わりしている。(古典のテストは本当に大変だった)
そして現代も、いつも新しい言葉が生み出されている。
若者ことば、ビジネスに相応しくない言い回しなどと言われているものも1000年後には一般化して辞書に載るのかもしれない。
私はその未来を面白く思う。
過去は記録の中にだけ残っていればいい。
伝統を大事に受け継いでほしいなどは、今の人間のエゴだと思う。
将来その時代を生きる人たちにとって必要がない、不適切なものならば、捨てられて踏みつけられてもかまわないとすら思う。
だって私は今そうしたいから。
/1000年先も