「ありがとう」とは感謝の気持ちを示す際の言葉である。「こんにちは」「ごめんなさい」とともに日本三大挨拶となっている(個人の感想です)。
「ありがとう」と声に出して言うには相当な勇気が必要である。しかし、今日はバレンタイン。バレンタインは好意を示すための日、だけではない。感謝を伝える日でもある。親、友達、恋人、恩人、誰でも良い(みんなでも良い)。直接でなくても良い。ありがとう、そう伝えてみてはいかがだろうか。チョコと一緒に。そういえば今日、チョコを貰った人はいるだろうか。僕は貰っていない。ずっと家にいたからだ(家にいなくても貰っていないだろうが)。僕の住所を知っている人は同学年には一人しかいない。だから仕方がない(と自分に言い聞かせる)。
いつも読んでくださりありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
ずっと、迷っていたんです。伝えるべきかどうか。でもこういうお題なので、そっと伝えたいと思います。高校受験、第一志望に推薦で受かりました(自慢つづきます)。
ま、まあ、僕ですから。受かって当たり前です(内心ドッキドキ)。中学校の出席日数が少なくて内申が低かったり(3年2学期は1と2ばっかり)、受験校の倍率が結構高かったりしたのですが、ホント一安心。でも、これからです。まあ、高校生活も頑張ります。これを見ている(かもしれない)受験生の皆さん、お先に失礼します。待っているので、是非来てください。僕でさえも出来たんだから貴方ならきっと出来る。
だからって明日からゲーム三昧って訳じゃあないよ。勿論、中学校の復習、高校の予習も頑張ります。これで一区切りついたかな。
そもそも記憶とは以前の経験や学んだことを覚えておくことである。お分かりだろうか。《以前の》である。つまり、未来の記憶は存在しない。
……そう断言して良いのだろうか。もしも以前が未来だとしたら?もっと分かりやすく書けばもしも以前、タイムマシンか何かで未来へ旅行し、その後現代に帰ってきたのだとしたら?ドラえもんなんかは未来の記憶がありまくりである。セワシ君との日々、未来デパートのお買い物。これはこの2025年現在からすると大体100年後の記憶である。そう、未来の記憶はあるのだ!
ここまでの文章を馬鹿が何か書いとるわ、と鼻で笑った人、本当にこれは馬鹿だろうか。それならば、貴方は未来の記憶などというものは存在しないと切り捨てることが良いことだと考えているのか。色々な見方から仮説論理推測結論を出すことが大発明への第一歩だと僕は思う。
以前、「heart to heart」というお題があった。それから一週間も経っていない。心系のお題が多いなあと感じる今日この頃である。
その時は英語が苦手だと書いた。このアプリの運営はそれを読んでいたのだろうか。「ココロ」と片仮名で表記するとは。大胆な行動をとったものである。それほど僕に「心」に関して文章を書いてほしいのかと一度自分に酔いしれてみる。そっちがその気なら僕は意地でもココロで文は書かない。……と書いておきながらも、気になり調べたところ、「ココロ」という会社があるらしい。運営はそっちを書いてほしかったのか?
この度は勘違いにより、皆様に不快な思いを与えてしまい、大変申し訳ございません。サンリオの子会社、株式会社ココロ、ココロをよろしくお願いいたします。
まず、押さえておかなければならないのは「星に願う」「神に願う」というのはあくまでも最終手段であるということだ。
人事を尽くして天命を待つ、という言葉があるように、まずは自分なりの最善の努力をしなければならない。その上で願うのだ。信じ、願うのは何でも良い。神でも星でも仏でも、信じることで救われるというならばいくらでも信じて良い。今の時期、受験でピリピリしている人も、仕事の成功を願っている人もいると思う。でも、そんなとき努力すれば心に余裕ができる。結果、うまくいく。
果たして勉強したところが出るだろうか、相手に気に入られるだろうか。その段階で初めて願うのだ。ほら、貴方が頑張っているのなら、願うことは悪いことではない。星に願って、成り行きを任せよう。