またね!
このお題を見たとき、少し(というか、かなり)、ニヤついた。運営さんは僕を見送ってくれているのかな。ありがとう、またね!
まあ、一区切りつきました。ひとまず、終わりたいと思います。色々なことを書きました。色々な想いを告げました。ここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございます。僕、とてつもない飽き性で、何かをやり遂げたことがほとんどありませんでした。今回も例に漏れず中途半端な形で終わってしまったけれど、またいつか、再開できたらな、と思います(次は自分のスマホで)。将来仕事場で、学校で、あるいはプライベートで会えたら、文章のこと、お互いのことについて、呑みながらでも話せたらなぁ、と思います。その時は奢ってください。お願いします。
本当は最後に書きたいことはまだ沢山ありました。書ききれないので、またいつか、この場に戻ってこれたらなあと思います。運営さん、一度でも読んでくださった皆さん、ありがとうございました。またね!
春風に運ばれるぽかぽかの陽気。
春風を照らすキラキラの日差し。
春風が運ぶ春の知らせ。
春風とともにやってくる出会い。
それら全てが愛しく思えるような、そんな春。「春」という特別な季節に吹く風は、また愛しい。別れと出会いには、ずっと春風が吹いていた。だからこそ、大多数の人にとって春というのは味の違う季節。不安、期待、希望、そんなものが全部詰まっている。春風とともに、どこへ行こう。春風とともに、何をしよう。そう問いかける暖かな日。
そういえば、明日で最後ですね。春風とともに、貴方はどこへ行きますか?僕は今までの、さらに向こうへ進んでいきます。
そっか、もう卒業式シーズンも終わり頃かあ。卒業式、泣きましたか?僕は、行ってません。不登校のクセに卒業式だけ出席するのはなんとなく気まずいから。
だから、みんなが帰ったあと一人で、校長室で卒業証書を受け取りました。ほんの5分にも満たないくらい短い時間。父さんはそれで泣きかけたそうです。高校の卒業式ではみんなと一緒に涙を流せるかな。そうなることを願います。別に涙を流すことは悪いことじゃありません。それが男らしくないとか、そういうことを言ってくる人は無視していいです。感動の涙はそのことに対して深く思い遣った証。悲しい涙は何かを求める、向上心の証。全ての涙に意味があると思います。それを否定する権利は誰にもありません。
別れの涙は、出会いの笑顔のために大切なもの。また、会いましょう、その一言が、ぽっかりと空いた心の穴を埋めてくれると信じています。
塵も積もれば山となる、ということわざがある。これは、いい意味でも、悪い意味でも通じると思うのだが、今回はいい意味で使おうと思う。
朝起きる、心地良い日差しを浴びる、朝ご飯にがっつく。朝の何気ない日常。でも、それは小さな幸せ。スマホで漫画を読む、筆記用具があって、勉強する環境が整っている。これも小さな幸せ。おやつを食べて、漫画を読む、文章を書く、晩御飯にありつく。これだって小さな幸せ。温かい風呂に入って、ふかふかのベッドで眠る。これは全て、僕が春休みの間に毎日のように繰り返していること。でも、それは何ものにも代えがたい大きな幸せ。
静かに起きられない人がいる。朝ご飯を食べられない人がいる。勉強をできない人がいる。風呂にも入れない人がいる。安眠できない人がいる。そんなことを毎日のように繰り返すことができる僕は大きな幸せを得ているのかもしれない。
爛漫というのは、花が咲き乱れている様子のこと。ということは、春爛漫は春に花が咲き乱れていること。春は長い長い冬が明けて植物動物が顔を出し始める頃。ある意味、一年で一番賑やかな季節かもしれない。
そういえば、先日、東京で桜の開花宣言がされた。春といえば桜だよなあ。花見にも、入学式にも、大抵桜がついている。もはや桜は日本の文化に根付いているといっても過言ではない。桜の凄いところは、見方によってイメージが変貌すること。春「爛漫」とあるように、明るい雰囲気を撒き散らしたと思えば、ある時には妖艶なオーラを醸し出す。
無邪気さも、上品さも持ち合わせている。そんな花は他になかなかないのではないか。今年も、春爛漫を精一杯満喫しなければ。