たそがれ(黄昏)……日が沈み、薄暗くなった頃。
これは、「『たそがれ』る」で動詞になる。
たそがれる(黄昏る)……たそがれどきに徐々に暗く
なる。物思いに沈む。俗な言い方。
今、はもう暗くなりきっているか。
ただ、今の僕は黄昏時だ。小説を一冊読み切って、達成感、充実感とともに余韻に浸っている。
両親はもう、五十を過ぎた。鋭い読者なら、僕が何を言いたいか分かるかもしれない(あるいは鈍くとも分かるだろうか)。
――人生のたそがれに差し掛かっている。
きっと明日も、同じような日だ。1日1日が違うなんて、そんなアニメみたいなことは、ありえない。
朝、起きて(あるいは眠れないかもしれない)、ニュースを観ながら、朝食を食べる。ゲームをして、勉強をする(かなぁ?)。この文章を書いて、晩飯を食べる。そして、寝る。……そう、標準的で、考え得る限り、一番幸せな「日常」。名探偵コ○ンのように、事件が起こる訳でもなく、ドラ○もんのように、未来の道具が出てくる訳でもない。きっと明日も、今日と変わらず悪夢を見て、父さんに怒られて、将来に不安を抱える。それを全て含めて日常だから。だからこそ、希望も持てる。
きっと明日も、この一直線は進む。脱線はしない。ただ、線路上に置かれた些細な緊張感と、障害物を楽しむのだ。それで良い。きっと明日も通常運行だ。
僕は今、静寂に包まれた部屋で1人、文章を書いている。かといって、自分の書いたものを推敲しているわけではなく、それに酔いしれているわけでもない。
虚ろな目、とでも言うのだろうか。焦点の定まらない、何処を見ている訳でもない目。恐らく、静寂に包まれた部屋に1人、それも7時8時など「夜」という時間帯は、いつもこんな目をしている。何せ、午前1時に起きてそれから、ほぼ寝ていないのである。今日は特に焦点がブレている。今日は早く寝たい。いや、眠らなければならない。
静寂に包まれた部屋が僕の睡眠に対する欲求を加速させているのか。それならば、何か明るい曲を流してみればどうだろう。少しは眠気が飛ぶのではないか。
意識というものはもう、何処か遠くへと飛んでしまったようで、、、、、、、、、、もう風呂入って寝ます。
別れ際に、貴方はそっと振り向いた。何かを悲しむ様に。何かを憐れむように。それは僕の心に、僕の頭に鮮烈に焼き付いた。
貴方の目は、何を語っていたのか。何を考えていたのか。今でも僕は何も知らない。ただ、「別れた」という既成事実だけが僕を行動に駆り出した。そして、自分を騙したという、嘘さえも、自分を自己嫌悪に陥らせることを助長させた。
別れ際に、僕はそっと振り向いた。貴方は誰だという疑問とともに海の底へと沈んだような。そんな目をしていた。
僕は何も知らない。貴方は何処へ行くのか。貴方は何処にいるのか。ただ、「会いたい」と考える自分に呆れる。だからもう、僕は何も知らない(さっきから何を書いているんでしょう?)。
通り雨は厄介なヤツ。あれ、天気予報じゃ晴れの予報だったのに。天気予報が通じないなんて、もう無敵じゃん。なんだろう、明智光秀みたいな(?)。
通り雨は傘を使えないのだ。魔法も効かない、打撃攻撃も効かない。ラスボスだ。どうだろう、通り雨=ラスボスなんて、考えたことあるだろうか。多分、99.99%の人が考えたことがないと思う。……てことは、僕は0.01%に入った訳だ。ううん、名誉なんだか、不名誉なんだか。
ただ、僕はそのラスボスとやらに遭遇したことがない。これを読んでいる人の中にラスボスにやられた人(通り雨でずぶ濡れた人のこと)も、ラスボスを討伐した人(通り雨を見事傘で防いだ人)もいるだろう。
ただ、勇者たる者、最悪の想定は常にしておくべきだ(さっきからなんの話でしょう)。