秋🍁
何か、最近は異常気象みたいなので、四季が二季になるみたいなことを聞いた。つまり、春と秋がなくなるっていうこと。
それに伴って、桜と紅葉もなくなるカモという話。春といえば桜、秋といえば紅葉という感じもあるから、悲しい気もする。
今日は少し涼しかった。でも明日からはまた、暑くなるらしい。寒暖差が激しいので、体調を崩さないように注意しないと。もしかしたら、今年は夏から冬になるかも。
「秋の紅葉シーズン!」というのが聞けず、「紅葉見物の渋滞に注意」というのを見ることが出来ない。何気なく見聞きしていたことを出来ないというのは、寂しい。「秋🍁」、今のうちに満喫しましょう!
窓から見える景色、、、こんなお題、前にもなかったっけ。見返してみると、「自慢の広い窓の奥には雲しかない」みたいなことを書いていた。窓から見える空みたいなことじゃないかな。
窓から、窓から、窓から、、、なんっっにも見えない。真っ暗。やっぱり、もう9月も終わるからなあ。もう夜が長くなってきているんだろうなあ。結局、今回は自慢の広い窓の奥には、暗闇しかなかった。
でも辛うじて車の光沢が2つ見える。車は大人1人1台は持つというのは田舎特有なのかな。
本当に真っ暗。街灯の灯りもない。勿論、ビルの光もない。あぁ、僕の街は田舎だなあ。
形の無いもの。実体として存在しているものではなく概念として存在しているもの。言葉だってそう。想いも幽霊も、運命の赤い糸も。ただ、僕は僕として、実体が存在している。
――形の無いものって、なんだ?僕は形がある。証拠は?と訊かれても、答えられないけど。ただ、周りから見たら、どうなんだろう。例えば、疎遠になったあの人は?人なのだから、存在している筈。でも、僕からすると、記憶の彼方にひっそりと住んでいる形の無いものでしかない。結局、形があるか無いかなんて、他人の主観に委ねられるんだろうなあと思ったりする。
日本人は昔から、万物には精が宿っていると考えていた。これも形の無いものだ。いや、本当は形として存在していて、僕等が見えていないだけかもしれない。
そう、主観に委ねられるのだ。
僕はジャングルジムで遊んだ覚えがない。改めて考えると、何で遊んでいなかったんだろうと。え、今から遊べばいいって?流石に怖い。
もう一つ、遊べない理由がある。単純に、ジャングルジムを置いている公園が滅多にないのだ。最近、危ないから。という理由で減らされているらしい。怪我人が出たら困るのは分かるが、幼い頃から慣れ親しんだ遊具がなくなっていくのは悲しい気もする。
この調子だと、滑り台も無くなりそう……。もしかしたら、その頃にはバーチャルも普及して、公園という物もなくなっているかも。
世界はどんどん変わっていくなあと感じる。ジャングルジムを通して、こんなことを学ぶとは思わなかった。いつまでも同じ世界だと思わないことだな。
あ、また声が聞こえる。ざわめき。嘲笑。陰口。
一人でいる時、怖い。怖いのは人の声。いや、怖いのは人。被害妄想だなんて、言わせない。
僕は、俗に言う「敏感子」らしい。敏感な子供。右脳が活発に動いて、一人でノリツッコミしたり、一人で会話するような子供。洋服のタグが気になる子供。心当たりはないだろうか(5人に1人はいるとのこと)。
その代わりに僕が得たのは、小説に感動出来る感性。だから、嬉しいとは思わないけど、悲観的にも捉えていない。
小さな刺激で疲れてしまう。そんな子供が居るということを知ってほしい。そして、誰にでも優しい世界(難しいかもしれないけど)を作ってほしい(それか僕が作るのかな)。