僕は今、静寂に包まれた部屋で1人、文章を書いている。かといって、自分の書いたものを推敲しているわけではなく、それに酔いしれているわけでもない。
虚ろな目、とでも言うのだろうか。焦点の定まらない、何処を見ている訳でもない目。恐らく、静寂に包まれた部屋に1人、それも7時8時など「夜」という時間帯は、いつもこんな目をしている。何せ、午前1時に起きてそれから、ほぼ寝ていないのである。今日は特に焦点がブレている。今日は早く寝たい。いや、眠らなければならない。
静寂に包まれた部屋が僕の睡眠に対する欲求を加速させているのか。それならば、何か明るい曲を流してみればどうだろう。少しは眠気が飛ぶのではないか。
意識というものはもう、何処か遠くへと飛んでしまったようで、、、、、、、、、、もう風呂入って寝ます。
別れ際に、貴方はそっと振り向いた。何かを悲しむ様に。何かを憐れむように。それは僕の心に、僕の頭に鮮烈に焼き付いた。
貴方の目は、何を語っていたのか。何を考えていたのか。今でも僕は何も知らない。ただ、「別れた」という既成事実だけが僕を行動に駆り出した。そして、自分を騙したという、嘘さえも、自分を自己嫌悪に陥らせることを助長させた。
別れ際に、僕はそっと振り向いた。貴方は誰だという疑問とともに海の底へと沈んだような。そんな目をしていた。
僕は何も知らない。貴方は何処へ行くのか。貴方は何処にいるのか。ただ、「会いたい」と考える自分に呆れる。だからもう、僕は何も知らない(さっきから何を書いているんでしょう?)。
通り雨は厄介なヤツ。あれ、天気予報じゃ晴れの予報だったのに。天気予報が通じないなんて、もう無敵じゃん。なんだろう、明智光秀みたいな(?)。
通り雨は傘を使えないのだ。魔法も効かない、打撃攻撃も効かない。ラスボスだ。どうだろう、通り雨=ラスボスなんて、考えたことあるだろうか。多分、99.99%の人が考えたことがないと思う。……てことは、僕は0.01%に入った訳だ。ううん、名誉なんだか、不名誉なんだか。
ただ、僕はそのラスボスとやらに遭遇したことがない。これを読んでいる人の中にラスボスにやられた人(通り雨でずぶ濡れた人のこと)も、ラスボスを討伐した人(通り雨を見事傘で防いだ人)もいるだろう。
ただ、勇者たる者、最悪の想定は常にしておくべきだ(さっきからなんの話でしょう)。
秋🍁
何か、最近は異常気象みたいなので、四季が二季になるみたいなことを聞いた。つまり、春と秋がなくなるっていうこと。
それに伴って、桜と紅葉もなくなるカモという話。春といえば桜、秋といえば紅葉という感じもあるから、悲しい気もする。
今日は少し涼しかった。でも明日からはまた、暑くなるらしい。寒暖差が激しいので、体調を崩さないように注意しないと。もしかしたら、今年は夏から冬になるかも。
「秋の紅葉シーズン!」というのが聞けず、「紅葉見物の渋滞に注意」というのを見ることが出来ない。何気なく見聞きしていたことを出来ないというのは、寂しい。「秋🍁」、今のうちに満喫しましょう!
窓から見える景色、、、こんなお題、前にもなかったっけ。見返してみると、「自慢の広い窓の奥には雲しかない」みたいなことを書いていた。窓から見える空みたいなことじゃないかな。
窓から、窓から、窓から、、、なんっっにも見えない。真っ暗。やっぱり、もう9月も終わるからなあ。もう夜が長くなってきているんだろうなあ。結局、今回は自慢の広い窓の奥には、暗闇しかなかった。
でも辛うじて車の光沢が2つ見える。車は大人1人1台は持つというのは田舎特有なのかな。
本当に真っ暗。街灯の灯りもない。勿論、ビルの光もない。あぁ、僕の街は田舎だなあ。