形の無いもの。実体として存在しているものではなく概念として存在しているもの。言葉だってそう。想いも幽霊も、運命の赤い糸も。ただ、僕は僕として、実体が存在している。
――形の無いものって、なんだ?僕は形がある。証拠は?と訊かれても、答えられないけど。ただ、周りから見たら、どうなんだろう。例えば、疎遠になったあの人は?人なのだから、存在している筈。でも、僕からすると、記憶の彼方にひっそりと住んでいる形の無いものでしかない。結局、形があるか無いかなんて、他人の主観に委ねられるんだろうなあと思ったりする。
日本人は昔から、万物には精が宿っていると考えていた。これも形の無いものだ。いや、本当は形として存在していて、僕等が見えていないだけかもしれない。
そう、主観に委ねられるのだ。
僕はジャングルジムで遊んだ覚えがない。改めて考えると、何で遊んでいなかったんだろうと。え、今から遊べばいいって?流石に怖い。
もう一つ、遊べない理由がある。単純に、ジャングルジムを置いている公園が滅多にないのだ。最近、危ないから。という理由で減らされているらしい。怪我人が出たら困るのは分かるが、幼い頃から慣れ親しんだ遊具がなくなっていくのは悲しい気もする。
この調子だと、滑り台も無くなりそう……。もしかしたら、その頃にはバーチャルも普及して、公園という物もなくなっているかも。
世界はどんどん変わっていくなあと感じる。ジャングルジムを通して、こんなことを学ぶとは思わなかった。いつまでも同じ世界だと思わないことだな。
あ、また声が聞こえる。ざわめき。嘲笑。陰口。
一人でいる時、怖い。怖いのは人の声。いや、怖いのは人。被害妄想だなんて、言わせない。
僕は、俗に言う「敏感子」らしい。敏感な子供。右脳が活発に動いて、一人でノリツッコミしたり、一人で会話するような子供。洋服のタグが気になる子供。心当たりはないだろうか(5人に1人はいるとのこと)。
その代わりに僕が得たのは、小説に感動出来る感性。だから、嬉しいとは思わないけど、悲観的にも捉えていない。
小さな刺激で疲れてしまう。そんな子供が居るということを知ってほしい。そして、誰にでも優しい世界(難しいかもしれないけど)を作ってほしい(それか僕が作るのかな)。
造語か?秋恋?国語辞典に載ってない。「あきこい」なのか「しゅうこい」なのか「しゅうれん」なのか。でも辞典に載ってないということは、明確な意味はないってことだよな……。
明確な意味がないということは、人によって捉え方が変わるのではないか。秋というモノに恋するのか、秋という時期に恋をするのか、、、僕は前者かなぁ。秋は紅葉に紅い空に夕暮れに、僕の好きな色、赤ずくめだ。
いやぁ、秋に恋してます。でも、一番好きなのは、夏。なんか、、、すんません。いや、秋も好きだよ!うん(2番目に)。まぁ、季節なら、二股だろうが四股だろうが良いよね。
あなたは秋に恋してますか。「秋」に恋してますか。僕は、「秋」に恋してます。
あなたは大事にしたい物があるだろうか。
過去?自分?自信?それとも、ゲームとか?全部、アリだと思う。人それぞれ違うだろうし、僕にそれをとやかく言う筋合いはない。
僕の大事にしたい物、、、意志かなぁ。何度か触れたことがあるけど、やっぱり、意志は自分の考えを示すモノ。これがなくなったら、自分でいられなくなるのではないか。そんな不安がある。……要するに、僕は僕でありたいってこと。だからこそ、僕は自分の意志を他人に否定されるのが嫌。それが自分自身を否定された気になってしまうから。自分の考え方を表には出さないけど、心の奥底でしまっておくことくらいはしておきたい。
相手の大事にしたい物を考えることは、相手を思い遣るのと実質同義である。その気持ちを汲み取って、何かしてあげられることはないか、探していきたい。