誘喜

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5/30/2024, 10:35:00 AM

 明日は、中間テストがある。国語のテストで出る(であろう)長田弘さんの「はじめに…」という詩がある。

星があった。光があった。
空があり、深い闇があった。
終わりなきものがあった。
水、そして、岩があり、
見えないもの、大気があった。

 ここで言う「終わりなきもの」とは、無限に広がっていく世界―。例えば、宇宙、例えば、心の豊かさ、、、だと思う。旅とは少し違うと思われるかもしれないが、勿論、挑戦も終わらない。終わってはならない。挑戦することが生きるうえでの大義の一つなのだから、欠けてしまうと、意思を持てなくなる。挑戦も旅だ。終わりの見えない旅。終わりが見えないからこそ僕たちは貪欲に挑戦を求め続ける。終わりのない世界。終わりのない可能性を求め続けるのだ。
 この詩には、続きがある。ぜひとも、調べて、読んでほしいと思う(名前を使ったのだから、これくらいの宣伝はしないと)。

5/29/2024, 10:42:37 AM

 ごめんなさい。
 この言葉を口に出して“心から”伝えた人は何人いるだろう。幼い頃、いたずらをして「ごめんなさい」。学校で忘れ物をして「ごめんなさい」。
 これは沢山の人が言ったことがあるだろう。ただ、それは、心から発した言葉だろうか。オモテヅラだけの物ではないだろうか。本当に反省していただろうか。
 「ごめんなさい」この中身を開いたら、「別にこれくらいよくない?」「こいつ、説教垂れやがって。」なんて物が出てくるかもしれない。ただ、どう思っていようが(たとえ、それが嘘でも)、「ごめんなさい」は大切だと思う。
 僕はあと3,4年で成人する。そしたら、何かしらの仕事に就く。もう、成人になった以上、「大人に責任を転嫁する」ということが出来なくなる。なぜなら、自分が大人だから。自分の責任は自分で背負う。失敗したら、首が飛ぶ。ごめんなさいでは済まされない。

 「ごめんなさい」を本心から言えるのは、今のうちなのだ。

5/28/2024, 10:22:45 AM

僕は小学4年生の頃、「1年間半袖チャレンジ」と題し、進級の4月からずっと半袖だった(そんなヤツ、クラスに1人はいるよね)。そのチャレンジが成功したかどうか。……結果は、成功か失敗かでいえば失敗だろう。というか、大失敗だった。その年の12月、僕は入院した。心臓の病気らしい(詳しくは教えられなかった)。毎日のように39度の熱が出て、そして何より、暇だった。僕は恨んだ。誰をか。「1年間半袖チャレンジ」の考案者をだ(つまり、僕だ)。
 退院したのは2,3ヶ月後。院内に何が、どこにあるか把握した頃だった。

 僕は今、中学3年生だ。これを読んでいるのは僕より年上の方が多いかもしれない。ただ、僕と同年代、もしくは年下の方もいるだろう。全ての方に言いたい。

余計な事は、しない方がいい

5/27/2024, 11:38:13 AM

 天国と地獄―。そんな物が存在するのか。これは、信仰に関わるのではないかと思う。「握手」という物語があるのだが、その中で、修道士が「天国はあるか」という質問に対し、「あると信じたほうが楽しいでしょうが。死ねば、何もないただむやみに寂しいところへ行くと思うよりも、にぎやかな天国へ行くと思うほうがよほど楽しい。」と答えている。天国や地獄を「信じる」というより、「信じたい」「信じれば救われる」という気持ちが奥底にあるのではないかと思う。
 いいことをすれば天国へ。悪いことをすれば地獄へ。この仕組みは子供を躾けることにも一役買っているのではないか。「そんな悪いことをしたら、地獄に落とされるぞ」親に何度言われただろう(親は別に宗教を信仰しているというわけではないのだが)。余談はこのくらいにしておくが、もともと信仰の対象だったものが世の中の常識になる―。これは偉大ではないかと思う。