まるで魔法。
それは、俺には使えない魔法。
「っ、うぅ…、なんで、なんで…っ」
あいつが泣く声が遠くで響く、とある病室の前。
さっき先輩が入っていったところを見てしまった俺は、持ってきた紙袋片手に病室の前に佇むしかできなかった。
はは、と自嘲を漏らして、見上げた茜色の空。
…俺の前じゃ、そんなふうに泣いてくれなかった。
魔法 #187
(同性愛ですいちお)
「止まないねぇ」
「…そうだね」
適当に相槌を打ちながら、ずっと止まなければいいのに、とか思っている俺がいた。
「あ〜、傘持ってくればよかった。傘ない時に限って土砂降りなの、なんなの」
窓の外を見てうなだれるきみに、はい、とタオルを渡して、風邪引くよ、なんて下心を隠したこころのうら。
ありがとぉ、とのらりくらりとタオルを受け取るも、きみはもたもたしていたもんだから、つい、
「わっ」
「ちゃんと拭かないと。あと濡れたままじゃ気持ち悪いでしょ。俺の服貸すからそれ脱いで」
ばさっと被せたタオル。
触れた手は冷たくて冷たくて、なんだか苦しくなった。
「…ち、ちかいんですけど…」
「え、あっ、ごめん」
絞り出すような声に慌てて、ぱっと手を離す。
やってしまった。やっちゃった。
「あはは、あまりにも冷たくてびっくりしちゃった」
つらい、くるしい。やめたい。
貼り付けた笑みがこんなにも恨めしい。
そう簡単には、いざという時に剥がせなくなってしまった仮面の笑顔がこんなにも俺の首を真綿で絞めつける。
…と。
気づいた時にはまた落っこちる。
目線を向けた先にいた。
「…こっちがびっくりしたよぉ…」
「……え…」
「み、見ないでっ」
「…真っ赤」
「っ、言葉にしなくていいぃ!」
冷たい手の甲で口もとを覆うのは精一杯の抵抗なのか。
これはどんな感染症よりも恐ろしい伝染病。
使い捨ての仮面の笑顔がぱりぱりと音を立てた。
火照った顔のふたり、脈を吐く心臓のまま、虹を探すように窓から土砂降りの空を見上げる。
君と見た虹 #186
(やばい…カフェインと頭痛薬ないと動けない身体になってしまった。せっかくひとつ終わらせたのに、まともに頭が働かない。休みたいのに休めない)
明日でおわる!!あとちょっと…!
…明日が一番やばいんだけど
……は?(焦り越えての困惑)
「───先輩…っ!!」
「……え」
「っ、よかったぁ…。よかったあっ。やっと目ぇ覚めたって聴いて…っ、俺、おれぇ…っ」
先輩に抱きついた俺は、先輩がしばらくなにも言わないことに、抱き締め返してくれないことに、違和感を抱いたことを覚えている。
「…せんぱい…?」
涙でぼろぼろの顔を上げると、困ったように儚く笑う先輩がそこにはいた。
「…えっと……ごめんね、誰、かな?」
その瞬間から俺の世界は色を失ったままだ。
あなたは誰 #185
「ただいまー、…ん?なにしてるの?」
「あ、おかえり。夕飯作ってみてるんだ。なにもしないのはさすがに申し訳ないし…」
なるべく急いで帰ってきたのであろう晴仁に、ふわりと笑みが漏れる。ほら俺のためにこんなにも必死になってくれる。
晴仁は俺の世界で唯一の、そしてかけがえのない輝き。
「そんなことしなくていいのに。菜月は俺に捕まってればいいんだってば。でもありがとう」
「んふふ」
後ろからぎゅっと痛いくらいに抱きしめられて、滲んだ笑みが零れる。
うれしい。
あったかい。
ひつようとされてる。
「…ごめんな」
「……んーん」
とたんに消えるように震えた晴仁の声に、さらとちいさく首を振る。
外の空気で冷えた晴仁の頬に擦り寄る。
謝らなくていいって言ってるのに。
「…晴仁がいなかったら俺いまいないよ」
躊躇う晴仁にこてんと頭を預ける。
晴仁のなかでは結論出てるくせに。現にこうして俺を捕まえてるじゃないか。そういうとこだよ、ほんと。
「菜月はこれでしあわせ?」
「うん、しあわせ」
「…ん、俺も」
黒く堕ちた瞳に、歪んで滲んだ笑み。
世界の端っこの、ふたりだけのせかい。
滲んだ笑みを返しては、唇をどちらともなく触れ合わせた。
地獄から連れ出してくれてありがと。
輝き #184
(“警察は失踪事件として調査を進めています”)