晴間よ、死んでくれ。
僕がこう言うと、聞いた相手は大抵、嫌な顔をする。気取った言い回しだと非難し、奇をてらった比喩だと勘違いをする。
晴間とは幼なじみの名前だ。死んで欲しいのは僕の幼なじみで、朝の報道にてしばしば耳にするような陽射しのある日間のことではない。
物憂げな空
パンこねたい。
小さな命
家屋の裏手に十坪ばかりの庭園がある。広くは見えぬがさっぱりと心地の良い茶畑であった。
水彩画にどうも興が乗らぬ折り、しばしば枯木の根を数えて旦那は、橋下の秋風に吹かれるススキの如く、意欲が蘇り湧き増すのを待ち呆けていた。
丁度今しがた旦那の座りこける辺りに、以前よりふてぶてしく寝そべる猫を見つけたのが己以外の猫族の見始めであろう。向かいの家を住み処としている純粋な白の猫であった。ぱきりと物静かに庭園を鳴り渡った足音に午睡から寝醒め、彼女は上品に瞼を持ち上げた。明瞭に、鮮やかに記憶している。己を射て見差す真丸の瞳は、人間がどうしてか妙に重宝する琥珀なんて物より一層清んで綺麗であった。
先の、いけ図々しくも私の情線へ響を与えた報道を己に知らせたのも、この白猫だ。
誰彼も残ること無く今日に至るまで、虚弱な旦那を一人残して、奴の身寄りは姿を見せなくなった。人間族の言葉でそれを、死んだというらしい。
我儘な奴の、孤独な背中が時折哀れで気の毒になる。旦那を構ってやれる連中はもう己しか居ないらしい。
しょうがないので私は、細かく皺の刻まれた、骨張った手を温めるように愛々しくすり寄ってやった。
Love you
ベチャベチャしたココア色の化物が両手にこびりついてくる。妙だ。パン生地をこねてたはずだ、チョコ味のちぎりパンを、私は。
けれどでも、趣味で料理やお菓子づくりを嗜む私は知っている。というのも、前にピザをつくったことがあった。ピザも手にまとわりつくタイプの生地だった。
妙だと思うのは、ピザの時にはこねるうちに手にくっつかなくなったのに対して、この化物は永遠にまとわりついて離れてくれないことだ。
生地の化物を払って、スマホを起動した。
パン生地 くっつく
いくつかサイトがヒットした。
枯葉
弟の顔がなくなりました。
まぶたや鼻筋の平たいながらに不規則な顔面の凹凸に、昨日まで存在した眼球や鼻、唇がないのです。
奇妙なのは、いえ、それだけで十分奇妙ですが、とにかく気味が悪くて仕方なかったのは、他の家族がそのことを塵ほども不思議に思わないことでした。
弟の顔がない。半狂乱で訴える私の方が家族の目には不気味に映ったのです。
ソファーに深く体重を預けては、ひどく背中を丸めて座る姿勢は弟そのものでした。小学生ながらに、ずぼらな兄を真似てろくに部屋着を着ない下着姿も弟そのものです。けれどでも、顔がないのです。
弟は顔のない顔で私を見ていました。顔は戻らないままです。
今日にさよなら