歩みを進めるごとに、かさりかさり、と乾いた音が木霊する。日の落ちた遊歩道に人影はない。
等間隔に並んだ街灯が枯葉の敷かれた道をぼんやりと照らす。
やけに静かな夜だった。
車道を走る車の音も、いつもどこかで鳴っているサイレンも、風の音も、虫の声も、羽音さえ聞こえない。
ただ僕の足音だけが、響いている。
かさり、
―――かさり、
かさり、
―――かさり、
僕のものに重なり合って、別の誰かの足音が聞こえる。
それは歩調を合わせるように、付かず離れず追いかけてきた。
立ち止まり、振り返る。
深閑とした闇が伸びているだけだった。
自宅の玄関のドアを閉めて三和土で靴を脱ぐ。
廊下を歩くその後ろから、
―――ぺたり、
―――ぺたり、
僕は何を連れてきてしまったのだろう。
老人特有の臭いが鼻腔をつく。
枯れ枝のような節くれた腕を持ち上げて、何かに縋るように指先が痙攣している。
六畳間に置かれた介護ベッドの上で、祖父は残り少ない生命を細々と生きていた。
祖父の手を取る。
かさついた冷たい掌。僅かに握り締めるだけで折れてしまいそうな。
かつて僕の頭を撫でてくれた暖かな温度はそこにはなかった。
瞳を覗き込むと、祖父はがらんどうの目で僕を見ていた。
否、僕ではないどこかを見ていた。
僕が好きだった眼差しは、残酷な時の流れに連れ去られてしまった。
誰よりも優しく、時折厳しく、僕を愛し律してくれた祖父の目。
ほんの少し色素の薄い黒目が、隔世遺伝していると気づいたときの幸せ。
鼻の奥がツンとして、唇を噛んだ。
祖父の手を掛布団の中に仕舞って、また来るよ、と呟く。
沢山の事を忘れてしまった祖父に約束事など無意味かもしれないが、僕は、祖父を繋ぎ止めていたかった。
後ろ手でふすまを閉める、その隙間に、
―――。
微かに届いた声は、僕の名前だったような気がする。
この手紙が無事にあなたに届いていることを願います。
このようなことを伝えても、たちの悪い悪戯だと思うかもしれません。
けれど、これは真実なのです。
すぐそばに彼女はいますか?
あなたが一生添い遂げると決めた彼女です。
もしそばにいるのなら、悟られないようにひとりになってください。
この手紙を読み終えたらすぐに逃げてください。
どこでも構いません。彼女から離れられるのなら。
彼女に小さな違和感を覚えていますね。
幸せだと自分に言い聞かせて、その綻びに気付かない振りをしている。
しかし針の先ほどだった綻びは、いずれ大きな闇となり、あなたを呑み込んでしまいます。
彼女は悪です。
あなたを破滅させる。
悪魔は悪魔の顔をしてはいないのです。
あなたがあなたでいられるうちに、あなたのままで。
ぼくはもうだめです。
それは呪詛だった。
たった一言で、君は僕を縛り付ける。
――待ってて
君の薄い唇から紡がれたその言葉は、
無慈悲に僕を絡め取る。
蜘蛛の糸にかかった虫のように、息も絶え絶え藻掻きながら僕は。
君に食されるのを待っている。
放課後の図書室で、すれ違いざま君の持つ本のタイトルを盗み見る。
僕もその本、好きなんだ。
いつまで経っても言えない一言を、今日もまた飲み込んで。