君の背中を追って、走り続ける。
一生懸命に。置いていかれないように。
「ねぇ、一緒に行こうって」
しかし、徐々に距離は空いていく。
君は後ろを振り返らず、どんどん先へ行ってしまう。
「ねぇ、置いていかないで」
わかっていた。君は先に行ってしまうって。
それでも、少し期待していた。私の隣にいてくれるんじゃないかって。
「ねぇ、一緒にマラソンゴールしようって言ったじゃーん!」
去年もそう言って置いていかれたからわかっていたけど!
勝手に一人で先に行くなー! 嘘つきー!
『君の背中を追って』
花が咲き乱れる野原を見つけた。
子供の頃を思い出し、友達と二人で座り込んだ。そこから花を一輪摘む。
「昔、花占いってやったよね」
「やったやった。好き、嫌い……ってね。奇数の花びらを持つ花でやれば好き確実なのにね」
あの頃の思い出話に花を咲かせる。
「久しぶりにやってみようかな」
「え〜?」
「好き、嫌い、天国、地獄、大地獄、アイ、ラブ、ジェー、ケー、ど、れ、に、し、よ、う、か、な……」
「待って待って。いろいろ混ざってる。あと花びら多いな!」
『好き、嫌い、』
濡れたアスファルトから立ち上る湿気の混じった雨上がりの匂い。
濃い灰色の、重い雲の隙間から降りる天使の梯子。
雨宿りに一人入った四阿からそっと辺りの様子を窺う。
雨は止んだ。人通りは少ない。
もう帰れる。でも、まだ帰りたくないな。
せめてもう少し、涙の跡が渇くまで。
『雨の香り、涙の跡』
疲れた。
理不尽に耐えて耐えて耐えて。
ようやくそれが終わったかと思えば、また次の理不尽。
私の糸は常に張り詰めている。
たくさんの理不尽が重なって、その糸を引っ張って。
もう限界だって。
糸がプツンと切れた。
『糸』
婚約の話がとうとうやって来た。
伯爵家のお嬢様である私は、上級貴族との繋がりの為に、侯爵家の知りもしない息子と結婚する。
好きな人はいる。
でも、その相手と一緒になることは許されない。なぜなら、その相手は従者だから。身分が違い過ぎる。
しかも、ただの片想い。
どうしようもないことだとはわかっている。それでも、手を伸ばしたい。届かないって、わかってるのに。
「今日は婚約者との顔合わせです」
従者がいつものトーンでスケジュールを伝えてくる。
ねぇ。あなたは、なんとも思ってないの?
私が飛んでいってしまってもいいの?
悲しくなって下を向いた。
涙が零れそうなのを、必死に隠す。
「お嬢様?」
そんな私に向かって、不思議そうに声を掛けてきた。そして、こちらを覗き込もうとする。
嫌だ。見られたくない。こんな情けない顔。
彼が伸ばしてきたその腕を掴む。
「届かないのに」
「お嬢様?」
「あなたの心には、届かないって、わかっているのに。それでも……」
「お嬢様」
止められたって、止まらない。
だって、簡単に諦めたくない。何があっても諦めない。今までだってそうやって生きてきた。だから――。
「私は、あなたと」
「待ってください」
顔を上げると、真っ赤になった彼の顔がそこにあった。恥ずかしいのか、目を逸らしている。
そんな表情、今まで見たことがない。驚いて、私は動けなくなってしまった。
「……待ってください。そんなの、私の台詞ですよ……。あなたと私は身分が違い過ぎる。本当は、こんな気持ちを抱くことさえ許されない。届かない相手」
いつもは割と、従者だってことを忘れてるんじゃないかってくらい、遠慮なくいろんなことを言ってくるくせに。なんなら、従者らしくない行動だってあったこともあるのに。
でもやっぱり、ちゃんとその自覚はあったらしい。
「……いいんですか? 本当に」
「……いいの。本当に。あなたが、いいの」
彼がゆっくりと、しかし、力強く抱き締めてきた。
「こうなったら、もう、離しませんからね」
「絶対に離さないでよ」
喜びの涙が零れる。
届かないと思っていた想いが、ようやく、届いた。
『届かないのに』