川柳えむ

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 婚約の話がとうとうやって来た。
 伯爵家のお嬢様である私は、上級貴族との繋がりの為に、侯爵家の知りもしない息子と結婚する。
 好きな人はいる。
 でも、その相手と一緒になることは許されない。なぜなら、その相手は従者だから。身分が違い過ぎる。
 しかも、ただの片想い。
 どうしようもないことだとはわかっている。それでも、手を伸ばしたい。届かないって、わかってるのに。

「今日は婚約者との顔合わせです」

 従者がいつものトーンでスケジュールを伝えてくる。

 ねぇ。あなたは、なんとも思ってないの?
 私が飛んでいってしまってもいいの?

 悲しくなって下を向いた。
 涙が零れそうなのを、必死に隠す。

「お嬢様?」

 そんな私に向かって、不思議そうに声を掛けてきた。そして、こちらを覗き込もうとする。

 嫌だ。見られたくない。こんな情けない顔。

 彼が伸ばしてきたその腕を掴む。

「届かないのに」
「お嬢様?」
「あなたの心には、届かないって、わかっているのに。それでも……」
「お嬢様」

 止められたって、止まらない。
 だって、簡単に諦めたくない。何があっても諦めない。今までだってそうやって生きてきた。だから――。

「私は、あなたと」
「待ってください」

 顔を上げると、真っ赤になった彼の顔がそこにあった。恥ずかしいのか、目を逸らしている。
 そんな表情、今まで見たことがない。驚いて、私は動けなくなってしまった。

「……待ってください。そんなの、私の台詞ですよ……。あなたと私は身分が違い過ぎる。本当は、こんな気持ちを抱くことさえ許されない。届かない相手」

 いつもは割と、従者だってことを忘れてるんじゃないかってくらい、遠慮なくいろんなことを言ってくるくせに。なんなら、従者らしくない行動だってあったこともあるのに。
 でもやっぱり、ちゃんとその自覚はあったらしい。

「……いいんですか? 本当に」
「……いいの。本当に。あなたが、いいの」

 彼がゆっくりと、しかし、力強く抱き締めてきた。

「こうなったら、もう、離しませんからね」
「絶対に離さないでよ」

 喜びの涙が零れる。
 届かないと思っていた想いが、ようやく、届いた。


『届かないのに』

6/18/2025, 5:05:31 AM