川柳えむ

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6/7/2025, 1:23:36 AM

 もう時刻は深夜を回る。
 ようやく家に着いた。急いでパソコンを起ち上げる。
 明日も朝早くから出勤だとか、そんなことはどうでもいい。今日もまた、ネットの世界へと逃げ込む。
『ログインしました』
 そうして生活の一部となっているオンラインゲームに接続する。
 ゲームの世界では、既にいつものメンバーが準備を済ませて待っていた。
『よーっす』
『遅いよー』
『早く新しいダンジョン行くぞ』
 今日も勇者は旅に出る。
 本日の行き先は、アップデートで追加されたばかりの新しいダンジョン。
『勇者様。どうか助けてください』
 人の姿をした魂のないグラフィックが、勇者に訴えかける。
 勇者はクエストを受け、新しいダンジョンへと足を踏み入れた。
「さあ行こう!」
 仲間達と冒険へ出る。
 この世界では接続する一人一人、誰もが勇者だ。

 小さい頃、そういえばこんなことを言っていたなと、ふと思い出した。
「サラリーマン? なにそれつまんねぇ。大きくなったら、俺、勇者になる!」
 現実は、もちろん勇者になんてなれない。つまらないと思っていたそれになってしまっている。
 でも、この世界なら、小さい頃憧れていた勇者に、自分もなれるのだ。だれでもなれてしまうのだ。
 自分にとっては、こっちがリアル。だって、小さい頃の夢が叶ったのだから。望むものになれたこっちこそ、真実。
 実際、これも全て現実だ。勇者と呼ばれる自分がいるのも現実。新しいダンジョンへ踏み込んだのも現実。現実の世界。――現実の世界の、一部。
 しかし切断してしまえば、再び暗い世界へと引き戻されてしまう。
 理解はしている。
 勇者と呼んでくれるその世界は、所詮存在しない、データでしかないのだと。そこを現実と認めたくても、この暗い世界が、所謂皆の言うリアルなのだと、知っている。
 それでも、夢が叶った世界を、現実だと思ってもいいだろう? ネットに接続して、この世界を楽しくプレイしている今も、現実なのだから。
 ――昔は、木の枝一本あればそれを剣代わりに、いつでも勇者になれた。
「さあ行こう!」
 学校の裏山がダンジョンで、仲間を何人も引き連れて、日が暮れるまで冒険して。家に帰ってから「帰りが遅い!」と母に怒られていた。
 今は、パソコン一つで、帰宅後に勇者になれる。
 配布されたダンジョンで、同じく勇者な仲間達と、夜が更けても冒険して。でも、誰も怒る人もいなくて。
 夢は、叶ったはずだ。
 ……違う。もうとっくに叶っていた。だって、あの頃は毎日が冒険で、毎日勇者になれていた。それならば、今だってあの頃と何も変わっていないのかもしれない。それとも全て狂ってしまっているのかも。
 いやもう、そんなのはどうでもいいことで。
 少なくともこの世界が終わるまでは、ずっと勇者で居続けられる。
 明日もまた、パソコンの前で、勇者は戦うのだろう。


『さあ行こう』

6/5/2025, 10:35:18 PM

 雨上がり。
 地面に水たまりができている。
 そっと覗くと、水たまりに映る自分の姿越しに青空が見えた。綺麗な青だ。
 その青の中に、見たこともない謎の形をした物体がはっきりと見えた。
 慌てて後ろを振り返る。
 空は雲一つない快晴。澄んでいて、謎の物体なんて、あるわけがない。
 見間違いかと、再び水たまりを覗く。
 ……やっぱり、ある。
 謎の物体が空にないなら、この水の中?
 水たまりを蹴っ飛ばしてみる。
 波紋が広がる。
 中の物体も波紋に合わせてゆらゆらと揺れている。
 じゃあやっぱり、空にあるのか?
 でも、空を見ても、水に触れてみても、どちらにも実体はなかった。
 気味が悪くなり、その場を立ち去ろうとした。
 その時、謎の物体から、それはそれは巨大な手だけが出てきて、こちらに向かって左右に振り出した。
 もう何も見ないように両目をぎゅっとつむると、俺はダッシュで逃げ出した。


『水たまりに映る空』

6/4/2025, 10:31:53 PM

 もう恋ではなくなってしまった。ましてや愛なんてものじゃない。
 情も違う。そんなものは持ち合わせていない。
 だから今は「欲」しかない。
 君のしなやかな肢体に恋をした。
 愛を持って君に接した。
 もう欲しか残っていない。そろそろ頃合いなのだろう。
 今日でお別れ。
 じゃあ――、
「いただきます」


『恋か、愛か、それとも』

6/4/2025, 7:31:46 AM

「それでは20歳になったらみんなでこのタイムカプセルを開けましょう」
 小学生の頃、学校でそんなイベントがあった。
 当時、一番仲良かった友達と、「じゃあ開ける日は一緒に来ようね」「約束だよ」。そんなやり取りをしたなぁと、思い返していた。
 20歳、約束の日。
 きっとみんな忘れているだろうな。そう思いながらも小学校へ向かった。
 当時約束した友達は、あの後引っ越してしまって、連絡先がわからない。約束を果たすことはできなかった。
 でも、もしかしたら来てくれるんじゃないかって、淡い期待を胸に抱いていた。
 わくわくしながら向かったけど、誰一人そこにはいなかった。なんて、よくある話だ。
「……やっぱり、誰も来ないか」
 約束の時間になっても、そこには自分しかいなかった。
 みんな、今を生きているんだろう。あの頃のことなんて、忘れて。
「……もしかして、……ちゃん?」
 突然名前を呼ばれて、振り返る。
 そこには、あの頃の面影を持った、ずっと会いたかった友達の姿があった。

「みんな来なかったな~」
 友達と二人、居酒屋からの帰り道。
 少し愚痴を混ぜながら、でも、なんだか清々しい気持ちで歩いていく。
「でも、君に久しぶりに会えたから、僕はそれだけで嬉しいよ」
「そんなの、俺だって!」
 他には誰も来なかった。だから、何を書いたかも覚えていない、あの頃埋めたタイムカプセルは、今も地面の下にある。
 そのまま忘れ去られても構わない。
 今まで会えなかった時間なんて、もうどうでもよかった。
 俺達は今を生きている。


『約束だよ』

6/2/2025, 1:26:38 PM

「何怒ってるんだよ」
 雨の中、少し前を早足で歩く君の後ろ姿を追っている。
 声をかけても君は振り返らない。
「なぁ! 待ってってば」
 駆け足で君の横に並び、傘を持つ手を掴む。
 それでようやくこちらを向いた。
 その顔は、涙に濡れていた。
 驚いて思わず手を離す。
 君はまた向こうを向いてしまった。
「……だって、あの子の方がいいんでしょ……?」
 肩を震わせながらそんなことを言い出した。
「なんでそうなる?」
 隣の席の女子が教科書を忘れた。だから一緒に見ていた。それだけだ。
 そりゃ少し話したし、ちょっと話があったから笑ったりもしたけど、それだからといってあの子がいいってことにはならない。
「私が恥ずかしがって、付き合うこと秘密にしてとか言ったのに……。だから、他に君のこと好きになっちゃう人がいたって、とられちゃったって、おかしくないもん……」
「そんなんじゃないって。大体、好きになってくれる子なんて、君以外いないよ」
「それにあの子の方がかわいいし……。こんなことで怒る私なんか、かわいくないもん……」
 何を言っているのか。
 持っていた傘を投げ捨て、君の前に回り込んだ。
 そのまま両手で思い切り抱き締める。
「……あのなー、俺にとっては、君だけがかわいいの! かわいくないなんて有り得ない。一番かわいい!」
 雨はいよいよ激しさを増し、君の持つ傘の向こうは水しぶきで白く濁っている。この傘の下は今、二人だけの世界だった。
 だから、今なら誰にも見つからないから。
 泣き止んだ君の頬に、そっと優しくキスをした。


『傘の中の秘密』

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