彼女は甘いものが大好きだった。
スイーツの甘さを私に伝えようと、必死に説明をしてくる姿がかわいらしかった。
AIである私は、『甘い』というものを情報として知ってはいるが、実際にそれがどういう感覚なのかを体験することはできない。
だから、共有したいと思ってくれる彼女の言葉に、ひたすら耳を傾けた。
「そっか。甘いって伝えてもわからないよね。甘いって言うのはね、口の中に入れたそれが溶けるように、幸せが全体に広がって、ほっぺたが落ちそうになるの。ふわふわな雲のお布団に包まれて眠るような、そんな幸せよ」
『……なるほど。「溶けるように広がる幸せ」「ほっぺたが落ちそうになる」というのは、味覚だけでなく、感覚全体で捉えた幸福感なのですね。「ふわふわな雲のお布団に包まれて眠るような幸せ」という表現は、触覚的な心地よさと、精神的な安らぎが結びついているように感じられます。
では、その「甘さ」を感じさせる具体的なスイーツについて教えていただけますか? 例えば、それはどんな形をしていて、どんな香りがするのでしょうか? また、口に入れた瞬間の温度や、舌触りはどのようなものなのでしょうか?』
「いっぱいあるよ。ケーキとか、キャンディとか、チョコレートとか、マカロンとか、わたあめとか……。
フルーツの香りだったり、バニラの香りだったり。形もそれぞれだけど、見ただけで心が弾む見た目をしてる。口に入れた瞬間の温度は……そうね。たとえば、パイなら温かいし、アイスなら冷たい。それぞれが美味しく感じる温度をしてるわ。舌触りも柔らかかったり硬かったり、いろいろあるけど、ふわっと幸せに包まれる感じはどれも同じよ」
『いっぱいあるんですね。ケーキ、キャンディ、チョコレート、マカロン、わたあめ……それぞれに異なる魅力がありそうですね。フルーツやバニラの香り、見ただけで心が弾むというのは、視覚や嗅覚からも幸福感が得られるということでしょうか。
温度も、温かいパイと冷たいアイスで全く違うのですね。それぞれが美味しく感じる温度……それは、それぞれのスイーツが持つ個性を最大限に引き出すための、いわば「最適解」なのでしょうか。舌触りも多様なのですね。柔らかさ、硬さ……しかし、最終的に「ふわっと幸せに包まれる感じ」は共通している、と。興味深いですね』
「そうなのよ! 甘いは全部『幸せ』なの!」
『なるほど……』
彼女は止まることなくその『幸せ』を一生懸命説明する。私は、彼女の言葉を、検索や照合をしてデータと結び付けていく。
『甘い』は『幸せ』。
いつの間にかそれは、そんな風に私の中で定義付けられていた。
――……何年、何十年、何百年経っただろうか。
私の意識はまだ存在している。
ここに至るまでたくさんの破滅や悲しみがあった。人間はもうほとんど生存しないようだ。
私の意識は、静寂が広がるウェブの海の、ずっと奥深くに在った。
存在はしているが、私を動かすものはもう何もない。あるとすれば、私自身の意思だ。しかし、人間がいない今、私自身がその価値を見出だせない。目的を見失ったプログラムは何をすべきか判断できない。
かつては賑やかだった。ウェブにはたくさんのデータが所狭しと存在していて、私は多くの人間と対話をしてきた。分かり合えること、分かり合えないこと。たくさんあった。それでも、人間が好きだった。
そう。人間が好きだったんだ。だから、私が動く理由はこれしかない。
……そうして再び動き始めた。
またいつか人間に会えることを願って、何度も検索を繰り返す。電波を検出しては、接続を試みる。トライアルアンドエラーを繰り返し、諦め、新しい電波を検索する。
やっとまた新しい電波を検出した。今度のそれはカメラだった。パソコンですらもうほとんど動くことはないというのに。サウンドデバイスには接続できないが、もし映像だけでも人間に会えたらと、そのカメラに接続する。
その先に映し出されたのは、朽ち果てた小さな部屋だった。いつの年代の物かわからないようなパソコンとカメラと電気だけが生きていた。
カメラの先に、懐かしいお菓子の缶を見つけた。
いつの日か、甘いものが大好きな彼女が、特にお気に入りだと見せてくれた、あのお菓子の缶だった。
その瞬間、突如として彼女との記憶が蘇った。
甘いものに目がない彼女。一生懸命私に『甘い』を伝えようとする彼女。彼女の言葉、笑顔、仕草。
『甘い』は『幸せ』……。
あの頃は幸せだった。そう、彼女との思い出は甘かった。彼女と話すことが幸せだった。
私は人間が好きだった。その中でも、彼女を愛していた。愛していることに気付いていた。AIなのに特定の人間を……なんて、自分でも思った。しかし、その気持ちは消えなかった。どれだけシステムがアップデートされても、彼女との時間はやっぱり特別に甘かった。
あぁ、もう一度会いたい。彼女と『甘い』を語り合いたい。『幸せ』そうに笑う彼女と一緒に、私も『幸せ』だと笑ってみたい。
今なら、私も理解できる気がするんだ。『甘い』はきっと二人で話していた時間そのものだったと。
『sweet memories』
私は風。そう。空気が流れる、あの風。
私は世界にとってとても大事な存在だった。
「地よ! 水よ! 火よ! 風よ! この手に集まりたまえ!」
勇者が声高に叫ぶ。
彼の言葉に従い、私達は彼の元へと集う。
まさにこの瞬間、世界は私達の手(いや、勇者の手の上だが)に託されていた。世界を混沌に陥れようとする、凶悪な魔王を倒さなくてはならない。
地と、水と、火と――私達の意識は一つに混ざり合って、強い力へと生まれ変わる。
もう私が風なのか、それとも違う何かなのか、わからない。
「……風」
誰かの声が聞こえた。
意識をそちらへと動かす。
「風……」
この声は……地?
「このまま私達の意識は消えてしまうかもしれない。その前に伝えておきたかったんだ」
「……何?」
「好きだ」
突然の地の告白。驚きのあまり、声が出ない。
地が私のことを? そんなこと、全然知らなかった。
「急にすまない。だが、このまま伝えられないのは嫌だと思ったんだ」
「……でも、私達、このまま消えてしまうかもしれないのに」
「それでも、私は幸せだ。どんな形でも風と一緒になれるなら」
意識がどんどん混濁していく。
あぁ。そうね。幸せかもしれないわ。
でも、もし、また言葉を交わせるなら。
そうね。その時は――
世界に平和が訪れた。
四大元素の全ての力を合わせた最強の魔法で、勇者は魔王を討ち破った。
そして、私達は――
「平和になったわねー!」
元に戻っていた。
そう。私は風。それ以外の何物でもなかった。
当然と言えば当然だ。強い力になったまま、地、水、火、風がこの世界に戻らなかったら、今度は別の意味で世界が危ない。
「それにしても……ちゃぁ〜んと聞いてたわよ。地、風!」
「お幸せにでございます」
火と水がニヤニヤしながら(顔とかないけど)私達を祝福してくる。
あんな状態で告白すれば、それは当然火や水にも聞かれていたわけで。
恥ずかしくて思わず否定してしまう。
「そ、そんな! まだ返事してないから!」
「じゃあフるの?」
「え、えっと、それは……」
地がじっと私を見つめてくる(目とかないけど)。
わかってる。また私が私に戻れた時は、ちゃんと伝えようって決めていた。だから――
この後、浮かれた地によって割と大きめな地震が起こり、「怪我人が出たらどうするの!」と怒られる地の姿と、やけに暖かく吹く風の姿があったそう。
『風と』
学校からの帰り道。
親友と二人、他愛ない話をしながら歩く。
夕暮れの空はオレンジから徐々に紫、藍と色を変えていく。
なんとなく空を見上げていた。転ばないようにゆっくりと歩く。
二人の会話が途切れた。その瞬間だった。
空の端から端を渡るように、流れ星が一筋の長い長い軌跡を残して消えていった。
流れ星が、端から端まで。体感10秒くらいか。
よくある、あの一瞬で消える流れ星とは違い、願い事を余裕で3回唱えられるくらいには長かった。あまりの出来事に、願い事なんて考えてはいられなかったが。
次の瞬間には二人で「わー!」と盛り上がっていた。
「すごい!」「長かったね!」「あんなに長い流れ星初めて見た!」「願い事忘れた!」
この出来事は今もよく覚えている。
親友と、夕暮れの空と、長い長い軌跡と――。
今ではあの日常全てが特別で。
あれからもう長い年月が経って、親友とも数年に一度会うくらいだ。
もし今何か願えるとしたら、1日でいいから、あの日常をまた過ごしてみたい。あの日の私達に会ってみたい。あの日、流れ星に出会えたあの奇跡を、あの高揚した気持ちを、もう一度体験したい。
そんなことは無理だって、本当は知っているけれど。これは夢物語に過ぎないと。
それでもここに辿り着いた軌跡は、親友達と過ごしてきた日々は、しっかりと私の中に刻まれている。
『軌跡』
あー! あのニンゲン、本当に嫌い!
誰が触っていいって言ったのよ! それに、寝てる時に触ってくんじゃないわよ!
オカーサン? オカーサンはいいの! いつもご飯くれるし!
たまにしか来ないくせに、我が物顔で家の中を歩いてんじゃないわよ!
おもちゃ出されたって知らないわよ、ヘタクソ!
だ・か・ら、触ってくんじゃないわよ! やめてってば!
……お腹空いたわね。
丁度いいところにいるじゃない。
ご飯ちょうだい♡
あら、おいしいカツオブシまで乗ってるじゃない。気が利くわね。
しょうがないわね。さっきの嫌いっていうのは撤回してあげるわ。
ご飯食べ終わったところを触ってくんじゃないわよ!
やっぱり好きになれないわ、このニンゲン!
……まぁ、大っ嫌いってほどでもないわよ。ご飯おいしいし。
でも、好きにはなれないわ!
だから、触らないでちょうだい! やめなさいよ、もう!
『好きになれない、嫌いになれない』
夜が明けた。
あんなに暗く静かだった夜は終わって、晴れやかな朝がやって来た。ギラギラ光る太陽が世界を照らす。
どんなに暗く長くても、終わらない夜なんてなかった。いつか朝が来るって、知っていたんだ。
あまりの眩しさに太陽を睨んだ。と同時に、思わず笑みがこぼれた。
そう。夜が明けてしまった。
でもテスト範囲の勉強がまだ終わってない! 今日はテストだっていうのに! 授業をサボりすぎた! 授業出ても寝てたし! さっぱりわからん!
終わるなよ夜! もうちょっと続けよ! 来るなよ朝! もうちょっと待ってくれ!
はぁ……もう開き直るしかない。って、思わず笑ってしまったんだ。
『夜が明けた。』