雛人形を早く片付けないとと行き遅れるという。そんな話は聞いたことない?
雛祭りが終われば、もう出番は終了。また来年ね。と、もう用無し扱いみたいで可哀想だ。
ところで、私の地域は雛祭りが一ヶ月遅れだった。
三月三日が終わっているのに出していていいの?
雛祭りが三月三日だということを、いろんな情報から知っていたものだから、そんなことを小さい頃の私はずっと疑問に思っていた。
まぁそんなわけで立派に行き遅れたわけですよ。あ、は、はははぁー……。
『ひなまつり』
天界から堕とされた。
元々位の高い天使だった。周りに頼られていたし、真面目にやることをやっていた。何も問題はないと思っていた。
それが、罠に嵌められた。
結果、世界には疫病や貧困、争いなど、様々な厄災が広がってしまった。
取り返しの付かないことをしてしまった申し訳なさや後悔と、なぜこんなことになってしまったのかという疑問、そして恨みや憎しみが心を支配して、ぐちゃぐちゃなまま、天界から堕とされた。
これからどうしたらいいのか。何もわからなかった。
ただ、たった一つ心に残ったものがあった。
――復讐心。自分を陥れた者へ必ず復讐してやるという固い意志だった。
それが今の自分を生かして動かす動力源。たった一つの希望である。
『たった1つの希望』
「君って好きな人いる?」
人が少しずつ捌けていく放課後の教室、彼女の隣の席に勝手に座って、そう声を掛けてみた。
俺を怪訝そうに見ていた彼女が、途端に顔を薄い紅色に染める。
「あなたには関係ないでしょう?」
「誰か当ててみようか」
彼女のそんな返答など気にせず、笑ってその名を言ってやる。
「五組の坂崎君」
彼女は焦って俺を見る。
その顔はいよいよ真っ赤になって、声を荒らげた。
「ど、どうして……!!」
「あー、マジで当たっちゃった?」
「――~……っ!」
からかう俺が嫌なのか、無言でひたすら鞄に荷物を詰めている。
「でもさー趣味悪いよねぇ。坂崎君ってさ、噂によると何股もしてるっていうじゃない? 君もそのうちの一人になりたいわけ?」
刺激するように続ける。
彼女がこちらを向いた。
「変なこと言わないでよ! あなたがあの人の何を知っているっていうの!?」
「君よりは知っているつもりだけどな。男の間では有名だけど? 女の間ではどう王子様に映ってるか知らないけどさ」
「もういい! 私、もう帰るんだから!」
鞄を持ち上げ教室の扉へと向かおうとする彼女の腕を、掴んだ。
「何……!?」
怒った様子で振り向く彼女の唇を、出し抜けに塞ぐ。
――間。
「……なっ、何するの!?」
「君は、そいつと付き合いたいの? 付き合って何をしたいの? こういうことがしたいの?」
いつの間にか二人きりの教室で、静かに彼女を抱き寄せた。
「――…………っ!!!! ……っ!!」
彼女の抗議の声も耳の奥まで届かない。
ただ、俺の呪縛を必死に振り解こうとする、その表情から伝わってくる。
そう、それでいい。
――あぁ、その君の嫌そうな瞳。
もっとずっと近くで見ていたいんだ。
『欲望』
逃げ出した。
きっと疲れていたんだ。
いつも通り出勤していた。なのに、会社の最寄駅に着いたっていうのに、足が動かないんだ。
「いきたくない」
そのまま、電車のドアは閉まり、こんな自分を乗せたまま進んでいく。
……どこに行くんだろう?
どうしよう。今引き返せばまだ間に合う。でも、体が、心が、行きたくないと言っている。
なら、もういいや。このまま、行けるところまで行ってやろう。電車に乗って、どこまでも。
こうして、初めて無断欠勤をしてしまった。
窓の外の景色は、都会から少し田舎へと姿を変えていく。
終点まで来て、僕は電車を降りた。
さっきからスマホが鳴りっぱなしだ。スマホの電源を切ると、辺りを散策してみることにした。
個人経営だろう店が駅前にぽつんとある。しかし、まだ開店していない。他の店は見当たらないし、少し先は閑静な住宅街といったところか。どうしようかな。
適当に少し歩くと、見たことないローカル線が走っていた。
今度はそれに乗って、行けるところまで行ってみることにした。こんな行き当たりばったりの旅も楽しいね。
列車に乗って、どこまでも。僕の心が晴れるまで。
『列車に乗って』
会社へ向かう電車に揺られる。たくさんの人にぎゅうぎゅうと押し潰される。息苦しさを感じながら窓の外へと目をやる。流れる景色を見ながら「なんでこんなことをやっているんだろう」と、ふと思う。
遠くの建物を見て、あれが何の為の建物なのか想像してみる。答えはわからないけど。
あれは何だろう。近くで見てみたいな。それよりも、もっと遠くへ行ってみたい。この窓の外よりもっと向こうへ。もっと遠くへ。
会社の最寄駅に着いても、このまま乗り続けていたとしたら、一体どこへ行けるんだろうか。そういえば、試してみたことはなかった。
たまにネットで綺麗な風景写真を見ては、行ってみたいなぁなどと思ってみたりもするが、実際に行ったことはない。結局、一歩踏み出す勇気がないのだ。
大人になって、自分で稼いで、行動範囲も広がって。行こうと思えばどこへでも行けるはずなのに。子供の頃の方がずっと自由にどこへだって行けた。その事実が、無性に悲しくなった。
そして、決めた。
気付けば会社の最寄駅。すぐさまスマホを操作し始めた。
この間ネットで見たあの街へ、今度こそ行こう。次の休みに行こう。泊まりたいと思っていたホテルに泊まろう。
自由って、踏み出してしまえば、こんなに簡単なものだったんだと気付いた。
早速予約を終えると、軽くなった心で会社へ向かった。
『遠くの街へ』