川柳えむ

Open App
2/22/2024, 9:48:22 AM

 この世界は数年前まで魔王の影に怯えていた。世界征服を企む魔王は、その凶悪な能力を持って、人間を恐怖のどん底に落としていた。
 そう。数年前まで、この世界に勇者が現れ魔王を倒すまでは。
 勇者一行は魔王を討ち、世界には平和が訪れた。
 人々は勇者に感謝した。人々は幸せだった。きっと、この世界が平和になって、勇者達も幸せだと思っていた。
 人々は勇者達が多大な犠牲を払っていたことを知らなかった。

 どこを見るでもなく、外をただぼんやりと眺めていた。
「今日は道具屋の材料集めだよー!」
 泊まっている宿の部屋に、一人の女が元気良く入ってくる。そして、ぼんやりしている男を見て、小さく溜め息を吐いた。
「もうすぐ出発するよ。準備してね」
 彼女はそう一言だけ告げると、パタンと小さな音を立て、部屋から出て行った。
 彼は特に反応しなかったが、聞いていたようで、仲間数人で材料集めへ出掛けていった。

 戻ってくると、もう夕方だ。
 町の広場から音楽が流れてくる。たまに訪れる吟遊詩人の歌声だ。
 この町に滞在して数日。何度かその様子は目撃していた。ただ、今日はいつもと違った。この声に、聞き覚えがあった。

 彼等は走り出した。
 広場に佇む吟遊詩人。それは、よく見知った人だった。
「死んだかと思ってた……」
 彼が、吟遊詩人の姿をした女に向かって、絞り出したような声で言う。
(今まで何してたんだよ)
(会いたかった)
(生きてて良かった)
 言いたいことはまだたくさんあったが、ただ一言だけ。
「おかえり」
 仲間達みんなが、手を差し出して彼女に向かって笑い掛けた。

「――誰ですか?」
 吟遊詩人が言う。
 その言葉に、まるで雷にでも撃たれたかのような衝撃を受けた。
 彼女は、全ての記憶を失っていた。

 彼女を連れて宿へとやって来た。
 出会ってから今まであった出来事――自分達は魔王を倒した勇者一行で、女がその仲間だったこと。そして、その際に死んだと思われていたこと――たくさんの思い出を彼女に話した。しかし、とうとう記憶を取り戻すことはなかった。
「なんで」「どうして」そんな疑問ばかりが仲間達の胸中に渦巻く。
「今日はもう寝よう」
 話を切り上げ、それぞれが床に就いた。それぞれの想いを胸に。

 翌朝。
「おはようございます」
 聞き慣れない敬語で、食堂で会った彼女は彼に挨拶をした。
「おはよう……」
 どう接していいかわからず、お互いに口数が少なくなる。
「あの……」
 彼女がゆっくりと口を開いた。
「……よければ、私も旅に連れて行ってくれませんか」
 どうして急にその考えに至ったのかわからず、面食らう。
「だって、もしそれが本当に私だったら、きっと大切にしてもらってたんだろうと思って。それに……純粋に楽しそうだなって!」
 彼女が笑う。
 その顔が、よく知った笑顔で、彼もつられて笑ってしまった。
「あぁ、もちろん」

 覚えていないのなら、また最初から始めてればいい。元々知らない者同士で始まった物語なのだから。
 0からでも、きっと楽しい旅になるって、もうわかっていた。


『0からの』

2/20/2024, 10:34:58 PM

 一緒にいたのは愛情というより同情だった。
 辛い過去を曝け出してくれた君を、守ってあげたいと思った。
 だから、君のわがままを何でも聞いてあげた。すぐ泣き出してしまうのも仕方ないと思ったし、怒るのはきっと俺に心を許してくれているから。

 ……ちょっと疲れた。
 幼馴染みで腐れ縁の女友達に弱音を吐いた。怒られた。それは彼女の為にならないと。
 同情はいいが、わがままを全て聞いてあげるのは間違っている。

 彼女と少し話すことにした。
 家に帰ると、彼女は包丁を持って立っていた。「どこに行ってたの?」
 ――今、一番同情してほしいのは俺の方かも。


『同情』

2/19/2024, 10:46:03 PM

 生き物を飼わないようにしている。

 一人暮らしの寂しさに、ちょっとした鉢植えを買った。
 スーパーで売っていたよく知らない植物だが、それでいいと思った。知らない方が成長が楽しみだと思った。

 毎日毎日仕事に忙殺されていた。休みも少なく、たまの休みは家で眠るだけ。そんな毎日だった。
 最初はちゃんと水もあげていた。大きくなるのが楽しみだった。
 それが、日々に追われ、毎日の水遣りが数日に一回となり、いつしか存在を忘れていった。

 気付いた頃には枯れていた。

 枯れ落ちた葉をつまむ。
 呆気ないものだ。しっかりと世話をしないと、こうも簡単に枯れてしまうのだ。水と、栄養と、愛情を込めて育てないといけないのだ。

 日々に忙殺される私のように。
 何もなければ簡単に死んでしまう。きっとこの植物は自分と同じだった。
 寂しさで傍に置かれ、忙しさに忘れ去られ、何もなくなって死んだ心。

 生き物を飼わないようにしている。
 きっと私には育てることができない。
 もう何も失わず、もう失われたくなかったから。


『枯葉』

2/18/2024, 10:40:35 PM

「『今日にさよなら』……ねぇ……」

 一日一つ何かしらのお題が出て、それに沿った文章を投稿するアプリをやっているわけだが。今日のお題が私的にはなかなか難しく『今日にさよなら』というものだった。
 こういう時はまずどうするか決まっている。メニューからみんなの作品を見てみるのだ。みんなはどんな内容を投稿しているのか。勿論パクるわけではない。参考にするのだ。実際刺激されて良い物が書けたりするのだ。
 みんなの作品を開いてみる。
 ――なるほど、こんな感じか。へぇ、こんな視点もあるんだなぁ。あ、これ面白い。
 手が止まる。これ好きだ。
『いいね』の代わりの『もっと読みたい』ボタンをタップしようとする。その前にお気に入りに登録する必要があるのだが、案の定、既にお気に入りに入っていた。
 しかし、悔しい。面白い。このオチが好きだ。よくあることだ――みんなの作品を読んで悔しくなるのは。実際に、そんなことを以前、少し前に黒いアイコンに変わってしまったSNSでも呟いたことがある。
 はぁ……悔しいな。こんなお題、早く変わってしまえ。でも絶対何かしらは書くと決めている。だから。
 こんな気持ちを込めて投稿する。
 これで、今日のお題よ、さようなら!


『今日にさよなら』

2/18/2024, 5:38:02 AM

 絶対に誰にも見せたくない。渡したくない。僕だけのお気に入りのものがあった。
 だから宝箱にしまっておくことにした。
 宝箱の中にしまって、僕だけが見られるように。僕だけが触れるように。
 お気に入りのそれは、とても美しかった。僕だけのものだと思ったら、余計に愛おしく、大切だと思えた。

『――○○日午後、××県△△市にあるアパートの一室で、女性の遺体が発見されました。警察は、部屋の契約者である男を死体遺棄容疑で逮捕しました。男は「お気に入りだからしまっておきたかった」などと供述し、容疑を認めています』


『お気に入り』

Next