「お誕生日おめでとう! そして、成人おめでとう! 20歳なんて早いねー」
成人式の日。それは、俺の20歳の誕生日でもあった。
その言葉が欲しくて、真っ先に隣の家のお姉さんに会いに行った。
「あ、もう成人は二年前にしてるね」
お姉さんはそう言うが、成人しているかどうかはさほど重要ではなかった。
「ありがとう。……約束、覚えてる?」
「約束……? って、それより、そろそろ成人式の会場に向かわないとまずいんじゃない?」
『それより』ではない。
20歳になったらお酒が飲める。煙草が吸える。でも、そんなことよりも、20歳になったら――
物心ついた頃には一緒にいた。
隣の家のお姉さんは五つ年上で、よく自分はお姉さんだと、それらしく振る舞っていた。
今の丁度半分の年の頃。お小遣いでおもちゃの指輪を買って、お姉さんにプロポーズした。いつから恋になってたかなんてわからない。でも、本気だった。
お姉さんは困ったように笑って、
「じゃあ……20歳になってもまだ好きでいてくれたらね」
そう言ってくれたのだ。
「本当? 約束だよ!」
「わかった。約束するよ」
それから少しでも意識してもらえるよう、今まで「お姉ちゃん」と呼んでいたのを名前で呼ぶように変えたし(呼び捨てにしたら怒られたので「さん」付けだけど)、身嗜みにも気を付けた。彼女と並べるよう、少しでも身長を伸ばしたくて、牛乳もたくさん飲んだし好き嫌いもしなかった。追いつきたくて、勉強も頑張って今は良い大学に通っている。
「約束だよ。何よりも大事な約束。忘れたなんて言わせない」
彼女の左手に触れ、薬指をなぞる。
そうしてようやく思い出したのか、彼女は顔を真っ赤にした。
「あ、あれは、子供の頃の憧れとかいうやつじゃ……!」
「今日の夜、空けといて」
「成人式の後なら、友達と集まって同窓会とかするんじゃないの!?」
「それこそどうでもいい。それよりも、もっとずっと大事なことだから」
薬指にそっと唇を落とす。
ますます彼女は顔を赤く染める。リンゴみたいでかわいい。
「ど、どこでそういうの覚えてくるの!」
いたずらっ子の笑みを浮かべ、彼女の手を離す。
「いってきます」
20歳になるのをずっと楽しみに待っていた。
今夜、彼女の指に触れたら、もう二度と離さない。
『20歳』
「僕と契約して魔女になってよ!」
目の前に現れたウサギのような生物に、まさかの日本語で突然こんなことを言われた。
「夢か、夢だな。もしくは幻覚。疲れてるんだ」
「夢でも幻覚でもないよ!」
そのウサギに足を噛み付かれる。
「~~……っ! いったぁー……。何すんの!」
「これで現実だって信じた?」
話せるくせに謝りもしない。
仮にこれが現実だとして、怪しい生物と怪しい契約なんてするはずもない。これでも十数年は生きている。何も考えずに契約するほど馬鹿じゃない。
「他をあたってください」
「なんでぇー!? 話だけでも聞いてよ!」
足にしがみ付くウサギ。
そして勝手にいろいろと語り始めた。どこから来ただの。自分の使命だの。宇宙が危ないだの何だの。
とにかく、ニチアサにやってそうな、魔法少女になって悪者と戦ってくれ的なやつだった。
「それなら警察行ってください。もしくはCIAかFBIかMIBかそっちの方へ!」
「MIBは都市伝説でしょ! 違うんだよ~! 君じゃないとダメなの~」
そして私じゃないとダメな理由をいくつかあげてきたけど、専門用語みたいなのをたくさん使うからよくわからなかった。
「戦って怪我したくないし、死にたくもない。契約するメリットが何も浮かばない」
「みんなに感謝されるよ! 宇宙一のヒーロー……ヒロイン? だって!」
「感謝されたところでお腹は膨れないよ。命の方がずっと大事だし」
せめて一生遊んで暮らせるくらいのお金でも貰わないと割に合わない。
「うぅ……魔法が使えるようになるんだよ! 雲や三日月の上に乗ったりすることもできるよ!」
――雲の上でスキップしてみたい。ちぎって食べてみたい。きっと、わたがしのように甘い味がするんだ。そして、夜になったら、輝く金平糖の星を口に頬張りながら、三日月の上で眠りたい。
それは子供の頃に憧れた夢。
「……雲は水蒸気だし、月は大きな丸い星だよ」
今言われたことが現実にはできないって、もう知っている。嫌でも現実を理解してしまうくらいには生きている。
「何言ってるの! たしかに水蒸気の雲もあるけど、全ての雲が水蒸気だなんてどうして思うの。全ての雲を触ったことがあるの? それに三日月だって丸くないよ。見ればわかるでしょ?」
何を言っているんだ。たしかに私自身は直接それに触れたわけではないが、当たり前の知識だ。
当たり前の知識なのに。
「乗ってみたくない?」
「…………」
そして、私は魔法少女になった。
「觔斗雲って実在したんだね」
雲に乗りながら呟く。雲の上は予想通りふかふかしていて、なかなかに快適だ。
その雲に乗ったまま三日月まで移動した。
三日月は想像ほど大きくなかったものの、客船くらいのサイズはあった。
「やっぱり大きいじゃん!」
「気に入った?」
「……まぁ、それなりには」
私の言葉を聞くと、ウサギは嬉しそうに笑った。
そのまま三日月に乗って、宇宙間を適当に移動していた。
そこへ現れた。怪物の姿をした、倒すべき悪者ってやつが。
「ぎゃはは! おまえら、覚悟しろ――」
――三日月は急に止まれない。
そして、その悪者は三日月に跳ねられ、宇宙の塵となった。
「なんか勝った」
こうして私は無事に初勝利を収めた。
「おめでとう! 頑張ったね。戦ってみてどうだった?」
思わず引き攣ってしまう。
いや頑張ってないし、そもそも戦ってない。どうと訊かれても、みんなも飛び出しには気を付けようという感想以外浮かばない。
もうさっきの出来事は忘れることにする。遊覧を続けよう。
三日月に揺られながら、地球を見下ろす。あれが私の住んでいた星。その光景はとても美しかった。
その時、魔法少女になって良かったと、心からそう思えた。
「これからもよろしくね!」
ウサギが手(前足)を差し出してきた。私はそれを優しく握り返した。
『三日月』
色とりどりの花が咲き乱れている。
その光景が、あまりにも美しく、あまりにも現実離れし過ぎていて、「あ、死んだんだ」と気付くことができた。
最期は呆気なかったなぁ。でも、それなりに楽しかったから、未練はないかも。
それに、あの世がこんなに美しい場所なら、戻りたいとか思わないかも。この景色をずっと見ていたい。居心地が良い。
美しい花をじっとよく見てみる。
そして気付いた。この花一つ一つが、自分が過ごしてきた思い出でできていることに。
花びらの上に、綺麗に色付いた思い出が流れている。
これは親に褒めてもらった時。これは初めて自転車に乗れた日。弟ができた日。クリスマスにゲームを買ってもらえたこと。入学。卒業。就職。恋人ができた日。プロポーズされて嬉しかった夜。結婚。大切な子供が産まれた日。子供が成長していく様子……。
生きてきた長い時が、こんなにも色とりどりに、美しく咲いている。
「あぁ……戻りたくなっちゃったかも」
景色が涙で滲んだ。
『色とりどり』
空は青く澄み渡り、ただ冷たい風だけが吹き抜ける。
ずっと待っているのに、出逢えない……雪。
雪が見たい。早く。この悲しみを白で覆い隠してほしい。
世界を塗り潰してくれ。
何も見えないくらいに、真っ白く。
『雪』
「行こうか」
「それじゃあ出発ー!」
彼女と駅前で待ち合わせて、予定していた場所へと向かう。
今日は彼女に楽しんでもらいたくて、自分がデートの計画をした。
まずは、そこの人気のお店でモーニングを――
「休業」
何でだ。よりにもよって、今日休業なんだ。
たしかに不定休という情報は見たけど、何で、どうして。最初から連絡して聞いておけば良かった。ちゃんと予約を取れば良かったんだ。
「えーと……私別にどこのお店でも大丈夫だよ?」
そうして、彼女に引かれて別のお店に入る。
……出鼻を挫かれてしまった。
今日は自分が彼女を楽しませると決めていたのに。情けない。
「次はどこ行くの?」
そうだ。落ち込んでばかりいられない。次は――
「水族館です!」
近くの水族館までやって来た。
冬でもいろんなショーが見られるという。
「イルカショー始まるって。行こう」
「……いやぁ、冬って、寒いねぇ……」
屋外で水を使うショー。
思いのほか寒くて、震えながら館内へやって来た。
これなら、最初から寒いかもしれないって、防寒対策ちゃんとしてくるべきだった。いやそもそも、水族館じゃなくて別の施設へ行くべきだったんだ。
「行こう」
「え、ちょっと待って。まだ見てるよ」
彼女の腕を引いて、次の場所へ。
今度こそ失敗しない。
「映画を観よう」
場所を移動して、映画館へ。
「いいけど……どれ観るの?」
時間を確認しながら、丁度良さそうな映画を選択する。
チケットとポップコーンを購入し、座席へ向かった。
「疲れてるんだね」
…………彼女のデートの最中、映画を観ながら、思い切り寝てしまった……。
正直内容も微妙だったし、眠くもなるだろ、こんなの……。
彼女を楽しませたいのに、上手くいかない。空回りばかりしている。
どうしていつもこうなんだ。いつもしっかり者の彼女が手を引いてくれる。だからこそ、今度はこっちが手を引いてあげたかった。
「お疲れ様。寝ちゃったのって、今日のこと一生懸命考えてくれたからでしょ? クマが出来てるよ」
……彼女は何でもお見通しだ。
格好付けたくて、人気のスポットをいくつも調べたんだ。昨夜も考えて、緊張して、そして楽しみで、よく眠れなかった。
「別にどこでもいいのに。どこだって楽しいんだよ。君と一緒なら」
「……! 俺だって!」
俺だってそうだ。どこだって関係ない。君がいれば、どこだって天国だ。
「でしょ? そんな簡単なことに気付いてなかったの?」
笑いかけてくる君。いつもこうやって、大切なことを思い出させてくれる。
場所なんて些細なこと。君といる。それだけが大事なことなんだ。
「君と一緒なら」
君と一緒に、どこまでも行ける。
『君と一緒に』