川柳えむ

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「僕と契約して魔女になってよ!」
 目の前に現れたウサギのような生物に、まさかの日本語で突然こんなことを言われた。
「夢か、夢だな。もしくは幻覚。疲れてるんだ」
「夢でも幻覚でもないよ!」
 そのウサギに足を噛み付かれる。
「~~……っ! いったぁー……。何すんの!」
「これで現実だって信じた?」
 話せるくせに謝りもしない。
 仮にこれが現実だとして、怪しい生物と怪しい契約なんてするはずもない。これでも十数年は生きている。何も考えずに契約するほど馬鹿じゃない。
「他をあたってください」
「なんでぇー!? 話だけでも聞いてよ!」
 足にしがみ付くウサギ。
 そして勝手にいろいろと語り始めた。どこから来ただの。自分の使命だの。宇宙が危ないだの何だの。
 とにかく、ニチアサにやってそうな、魔法少女になって悪者と戦ってくれ的なやつだった。
「それなら警察行ってください。もしくはCIAかFBIかMIBかそっちの方へ!」
「MIBは都市伝説でしょ! 違うんだよ~! 君じゃないとダメなの~」
 そして私じゃないとダメな理由をいくつかあげてきたけど、専門用語みたいなのをたくさん使うからよくわからなかった。
「戦って怪我したくないし、死にたくもない。契約するメリットが何も浮かばない」
「みんなに感謝されるよ! 宇宙一のヒーロー……ヒロイン? だって!」
「感謝されたところでお腹は膨れないよ。命の方がずっと大事だし」
 せめて一生遊んで暮らせるくらいのお金でも貰わないと割に合わない。
「うぅ……魔法が使えるようになるんだよ! 雲や三日月の上に乗ったりすることもできるよ!」
 ――雲の上でスキップしてみたい。ちぎって食べてみたい。きっと、わたがしのように甘い味がするんだ。そして、夜になったら、輝く金平糖の星を口に頬張りながら、三日月の上で眠りたい。
 それは子供の頃に憧れた夢。
「……雲は水蒸気だし、月は大きな丸い星だよ」
 今言われたことが現実にはできないって、もう知っている。嫌でも現実を理解してしまうくらいには生きている。
「何言ってるの! たしかに水蒸気の雲もあるけど、全ての雲が水蒸気だなんてどうして思うの。全ての雲を触ったことがあるの? それに三日月だって丸くないよ。見ればわかるでしょ?」
 何を言っているんだ。たしかに私自身は直接それに触れたわけではないが、当たり前の知識だ。
 当たり前の知識なのに。
「乗ってみたくない?」
「…………」

 そして、私は魔法少女になった。
「觔斗雲って実在したんだね」
 雲に乗りながら呟く。雲の上は予想通りふかふかしていて、なかなかに快適だ。
 その雲に乗ったまま三日月まで移動した。
 三日月は想像ほど大きくなかったものの、客船くらいのサイズはあった。
「やっぱり大きいじゃん!」
「気に入った?」
「……まぁ、それなりには」
 私の言葉を聞くと、ウサギは嬉しそうに笑った。
 そのまま三日月に乗って、宇宙間を適当に移動していた。
 そこへ現れた。怪物の姿をした、倒すべき悪者ってやつが。
「ぎゃはは! おまえら、覚悟しろ――」
 ――三日月は急に止まれない。
 そして、その悪者は三日月に跳ねられ、宇宙の塵となった。
「なんか勝った」
 こうして私は無事に初勝利を収めた。
「おめでとう! 頑張ったね。戦ってみてどうだった?」
 思わず引き攣ってしまう。
 いや頑張ってないし、そもそも戦ってない。どうと訊かれても、みんなも飛び出しには気を付けようという感想以外浮かばない。
 もうさっきの出来事は忘れることにする。遊覧を続けよう。
 三日月に揺られながら、地球を見下ろす。あれが私の住んでいた星。その光景はとても美しかった。
 その時、魔法少女になって良かったと、心からそう思えた。
「これからもよろしくね!」
 ウサギが手(前足)を差し出してきた。私はそれを優しく握り返した。


『三日月』

1/9/2024, 11:53:23 PM