風邪を引いてしまった。
元々季節の変わり目には弱い。風邪を引きやすいのはわかっていたのに、もっと体調管理に気を付けるべきだった。
仕方なく家に引きこもってゆっくり休むことにする。あぁ、喉が痛い。鼻が辛い。息苦しい。頭がぼんやりする。
ベッドに潜り、浅い眠りについていた。それを遠くから聞こえるチャイムの音に邪魔される。
ピーンポーン……。
――待って。違うわこれ。遠くない。我が家のチャイムだ。
ピーンポーン。
ふらつきながら玄関を開ける。
そこにはよく知る人物が立っていた。
「大丈夫ですか?」
正直なところ、わざわざ誰かが自分を訪ねて来てくれるなんて思っていなかった。それなのに、そこには部活の後輩がいた。
驚きながらも、ひとまず家に上がってもらうことにした。
「風邪を引いたって聞いて。とにかく起きてないで寝てください」
――いや、さっきまで寝てたんだけどね。あなたの鳴らしたチャイムに起こされたんだけど。
とは思ったけど、弱っているからなのか、顔を見せてくれただけでも嬉しくて、それに何か言い返すこともせず再びベッドに潜りんだ。
「それにしても、びっくりしましたよ。馬鹿は風邪引かないって言うのに」
「おい、ちょっとひどいなー」
笑いながら返す。
「大丈夫です。馬鹿は風邪引かないって言う話をしただけです」
「今この流れで言うってことはそういうことじゃん!?」
「あ、そうそう。これ」
「んで、急に話を逸らすし」
「ハイ」
後輩が差し出してきた手にはフルーツゼリーが乗っていた。
「え?」
「お見舞いの品ですよ、ゼリーなら食べやすいかと思って。これでも心配してるんですから」
「……ありがとう」
思わず素直に受け取る。
だって、本当に思ってもいなかった。誰かがお見舞いに来てくれるなんて。こんな風に心配して、何かを用意してくれるなんて。
「やっぱり元気でいてくれないと……部活も物足りないですから」
風邪は辛いのに。そう言ってくれるだけで、風邪引いて良かったかも。とか、ちょっと思ってしまう。
――ダメだね。心配掛けてるっていうのに。
でもやっぱり、そう思ってくれて素直に嬉しいんだ。
「……そうだね。早く治して、またすぐに顔出すよ」
あなたのその優しい想いが温かくて、風邪なんてすぐ治ってしまうんじゃないかって、そんなことを思った。
『風邪』
雪を待っている。
冷たいけれど、キラキラしていて、世界を白く埋め尽くしてくれる雪を。
――だって、いくらなんでも12月だっていうのに暑過ぎない!?
昨夜――12月15日の夜の都心の気温を知ってる? 20℃だって。12月の夜の気温じゃないよ。実際、夜に少し出歩いていたんだけど、まるで春のような温かさだったよ。
温かいのは好き。
でも、そうじゃない。今は冬だから。冬には冬の良さがある。
外では雪が積もり、それを眺めてからこたつに潜って、夕飯の鍋を美味しく感じる。たくさんの行事も待っている。
そんな時季が来たんだよ。って、告げてくれる雪を待っている。
『雪を待つ』
クリスマスもイルミネーションも僕には関係なくて、ただ冬の冷たい空気が吹き抜ける。いつもと代わり映えのない冬の一日だ。
まぁでも嫌いじゃない。
街には浮かれた人達がたくさん歩いてて楽しそうだし、関係ないはずのイルミネーションも視界の端には映り込んで一瞬楽しませてくれる。
クリスマスも関係ないとは言ったものの、ケーキやチキンを食べる大々的な理由になる。それに、クリスマスはYouTubeも賑わって推しが特別な配信をしてくれたりもする。
……いや、ごめん。関係ないなんて言って。そんなことなかったよ。
いつも通り仕事して――あ、今年のイブは日曜だっけ? じゃあ寝たりゲームしたりして――そして配信を楽しもう。イルミネーションも、まぁイブは引きこもるだろうから見ないけれども、見かけたらちょっとは楽しむよ。
自分の好きを楽しもう。そこはいつも通りかな。
『イルミネーション』
たくさん与えた方が喜ぶかと思った。
愛を注いで、愛を注いで、溢れるほどの愛を注いで。
そして、あっという間に枯らした。
与え過ぎはいけないらしい。
ごめんなさい。次は気を付けるよ。
今度こそはちゃんと長く生かそうと、新しい子をまた迎える。
君は何代目になるっけ? まぁいいや。よろしくね。
『愛を注いで』
私には心がない。
なぜなら、そういったチップが埋め込まれていないから。
「できた!」
博士の最高傑作となるであろうアンドロイドがとうとう完成した。
「おめでとうございます」
得意そうな顔をした博士に拍手を送る。
最新型のそれには、旧型の私とは違い、高性能な感情チップが埋め込まれている。周りの人間の空気を読み、正確な感情を表現するようにできている。
「おまえも、手伝ってくれてありがとう」
博士が私の頭をぽんぽんと撫でる。
――博士が喜ぶと嬉しく感じるこの気持ちも、最新型に構うのを見て寂しく感じるこの気持ちも、私の心は存在しないはずの偽物だから。ならば、感情とは、心とは、一体どんなものだろうか。
ある日、博士が倒れた。どう見ても働き過ぎだった。そして、そのまま還らぬ人となった。
――どうして。心配して何度も休むように言っていたのに。もっと強引に止めれば良かった。
どれだけ後悔してももう遅い。博士はもういない。
最新型のアンドロイドは、博士の「大丈夫」という言葉を信じてずっとサポートしていた。感情チップがある分、あの子はきっと私よりもずっと悲しいんでいる。
二人だけになった家。様子を窺う為に、あの子に与えられた部屋を訪ねた。
「何でしょうか?」
何事もなかったかのように、その子は言った。
「えっ……博士が亡くなって、大丈夫かと心配で……」
「私達が動作する為のバッテリーはあと数十年交換する必要はありません。現在まだ電気も通っているので、充電も問題ありません。しかし人間がいなくなり、私達がここに存在する意味がなくなってしまいました。今後の行動を早急に考える必要があります」
「そういうことじゃなくて――悲しくないの?」
「現在、人間はいません。悲しむ必要はありません」
博士が亡くなった時、この子はそれは悲しそうに泣いていた。私には泣く機能もないから、ただ淡々と、必要な手続きをこなすことしかできなかった。悲しく思う気持ちを押し込めて。
――泣けるのなら。私も思いきり泣きたかった。逝かないでと叫びたかった。今でも、博士のことを考えると、自然と出もしないはずの涙が零れそうになる。
ねぇ、博士。あなたの望んだ感情チップは、アンドロイドは、このようなものでしたか?
私に存在しない『心』を持つはずのアンドロイド。本当にこれは『心』だったんですか? それならば、私に芽生えたこの感情のような物は、一体何ですか? この子の人前で感情を表現できる『心』と、私のこの胸の奥に感じる『心』。一体どちらが本当の『心』でしょうか?
『心と心』