子供の頃はよく一緒に遊んでいて、手を繋ぐことも日常的なものだった。私はあなたが好きだったし、一緒にいて楽しかった。
大きくなるにつれ、やるべきことがだんだんとわかって、私達の関係は昔のように純粋なものじゃなく、お互いたくさんの物を背負った重い物に変わってしまった。
久しぶりにちゃんと向き合ったパーティーで、そっと手を引かれ、二人でこっそりバルコニーに出た。
「踊ろう」
そう言うあなたの手をぎゅっと握る。
流れてくる音楽に合わせ、あなたの動きに身を任せ、踊る。
久しぶりに繋いだ手から温もりを感じる。楽しい時間が過ぎていく。
二人手を繋いで、そして――
バルコニーから、私は宙を舞った。
繋いだ手が離れた。
『手を繋いで』
「ありがとう」「ごめんね」
その言葉で思い出すのは、数年前に亡くなった祖母のことだった。
いつも感謝の気持ちを忘れない。穏やかで優しい祖母。何かをしてもらうたびに「ごめんね」と言う。祖母の「ごめんね」は「ありがとう」だった。
その祖母とのことをいろいろ書こうと思ったし、実際途中まで書いたんだけど、書いてるうちに温かい気持ちと同時に寂しい気持ちが襲ってきたので、やめた。
大好きな祖母のことは、ずっと忘れない。そして祖母の、他人への感謝の気持ちを忘れない心を、忘れない。
おばあちゃん。「ありがとう」
『ありがとう、ごめんね』
部屋の片隅で燻っている。灰皿の上にある潰れた煙草の吸い殻のように。
部屋の片隅に溜まっていく埃のように。そこにあっても気にしないか、不要で汚れた物として蔑んだ目で見られるか。
新しい煙草に火を点け、紫煙を吐き出す。
つまんねー世界。
自分にとっての世界は、この六畳とたいして変わらない狭い世界で、その世界の片隅で誰にも気にされず目にも留められず生きている。きっとなくなっても気付かれない。消えたらむしろ喜ばれるような。
消えてしまいたくなる。でも、本当は死にたくない。そんな勇気はないから。
部屋の片隅の埃だって、潰れた煙草の吸い殻だったとしたって、今を生きている。たとえつまんねー世界だとしても。この世界の片隅で生きている。
毎日部屋の片隅で、煙草を吸いながらそんなことを考えている。
『部屋の片隅で』
いつの間に眠っていたのか。気持ち悪さを感じて、そっと目を開く。
広がる世界が逆さまだ。
苦しい。頭に血が上る。足が痛い。
そこでようやく、自分自身が逆さまになっていることに気付いた。なぜか逆さまに吊されていたのだ。
誰もいない見知らぬ部屋。手足は固定されていて身動きが取れない。
――ここはどこだ? 何が起きたんだ?
状況が把握できない。記憶を引っ張り出そうとしても、この体勢の辛さに思考が邪魔される。
声を上げ、しばらくもがいていると、部屋の扉が開いた。
現れたのは覆面を被った男だった。
「眺めはどう?」
――最悪に決まっている。
なんだこのイカれた野郎は。
危ないとかそんなことを思うより先に怒りが湧き、「ふざけるな」と声を荒らげるが、覆面男は意にも介さず「そうだよね」と笑った。
「たしかにこっちからの眺めはいいね。そっちは最悪でしょう」
眺めがいいって? なんて悪趣味な野郎なんだ。
「降ろせ!」
「降ろさないよ」覆面男は即答する。「僕は降ろさない。誰かに見つけてもらえるまで、君は助けてもらえない。僕がそうだったように」
覆面の向こうの瞳と目が合う。
そうだ。昔、こうやって、クラスメイトを学校の倉庫に吊したことがある。暗くて気持ち悪い男だった。
「いい眺めだな」と俺が言う。「やめて」「助けて」とそいつは言っていた。それを放置して、そいつは数時間後、帰らない息子を探しに来た母親と、一緒に探し回ってくれた用務員に見つかり助けてもらったらしい。
報復を恐れて言わなかったのか、それとも大地主の息子のやったことだからなのか、問題にされることもなく。それきり、そいつは学校からも地元からもいなくなったから、そのまま忘れていた。
「おまえ……」
「あぁ、わかったの。よく思い出したね」
覆面を外す。そこには、あの頃よりも暗くて血色の悪いあいつの顔があった。
「わ、悪かった……」
謝るのも癪だが、そんなことを気にしている場合でもない。仕返しするのは助かってからだ。
「謝る。何でもするから。だから助けてくれ」
「さっきも言ったでしょう、降ろさないって。助けない。同じように。それじゃあね」
そいつはそう言い捨てると、扉を開け、出て行こうと――
「待ってくれ! 頼む! 助けて!!」
その声は扉が閉まる音に掻き消された。
『逆さま』
眠れないほど、悩んでいる。
――なんてこともなく、よく眠れている。
『眠れないほど』
なんていうお題。自分には難しい。
光と闇。夢と現実。完全に偶然だが、ここ数日で眠りに関するお話はいくつも書いてしまっている。
また眠りに関するお話……しかも眠れない方。
眠れないほどあなたを想う話とか、そういったものを書くときっとロマンチックなんだろう。
全くそういうものを書かないわけではないが、今手元にはその欠片すらない。だから、そういうものは得意な人に託す。
眠れないほど……眠れないほど……。
なんて考えている間に眠りに落ちて、気付けばすっかり朝。
今日もしっかり寝たなぁ。
眠れないほど、悩んでいる。
――そんなことはなくて、悩んでいるのは、起きていたいのにすぐ寝ちゃうことだよ。
『眠れないほど』