いつの間に眠っていたのか。気持ち悪さを感じて、そっと目を開く。
広がる世界が逆さまだ。
苦しい。頭に血が上る。足が痛い。
そこでようやく、自分自身が逆さまになっていることに気付いた。なぜか逆さまに吊されていたのだ。
誰もいない見知らぬ部屋。手足は固定されていて身動きが取れない。
――ここはどこだ? 何が起きたんだ?
状況が把握できない。記憶を引っ張り出そうとしても、この体勢の辛さに思考が邪魔される。
声を上げ、しばらくもがいていると、部屋の扉が開いた。
現れたのは覆面を被った男だった。
「眺めはどう?」
――最悪に決まっている。
なんだこのイカれた野郎は。
危ないとかそんなことを思うより先に怒りが湧き、「ふざけるな」と声を荒らげるが、覆面男は意にも介さず「そうだよね」と笑った。
「たしかにこっちからの眺めはいいね。そっちは最悪でしょう」
眺めがいいって? なんて悪趣味な野郎なんだ。
「降ろせ!」
「降ろさないよ」覆面男は即答する。「僕は降ろさない。誰かに見つけてもらえるまで、君は助けてもらえない。僕がそうだったように」
覆面の向こうの瞳と目が合う。
そうだ。昔、こうやって、クラスメイトを学校の倉庫に吊したことがある。暗くて気持ち悪い男だった。
「いい眺めだな」と俺が言う。「やめて」「助けて」とそいつは言っていた。それを放置して、そいつは数時間後、帰らない息子を探しに来た母親と、一緒に探し回ってくれた用務員に見つかり助けてもらったらしい。
報復を恐れて言わなかったのか、それとも大地主の息子のやったことだからなのか、問題にされることもなく。それきり、そいつは学校からも地元からもいなくなったから、そのまま忘れていた。
「おまえ……」
「あぁ、わかったの。よく思い出したね」
覆面を外す。そこには、あの頃よりも暗くて血色の悪いあいつの顔があった。
「わ、悪かった……」
謝るのも癪だが、そんなことを気にしている場合でもない。仕返しするのは助かってからだ。
「謝る。何でもするから。だから助けてくれ」
「さっきも言ったでしょう、降ろさないって。助けない。同じように。それじゃあね」
そいつはそう言い捨てると、扉を開け、出て行こうと――
「待ってくれ! 頼む! 助けて!!」
その声は扉が閉まる音に掻き消された。
『逆さま』
眠れないほど、悩んでいる。
――なんてこともなく、よく眠れている。
『眠れないほど』
なんていうお題。自分には難しい。
光と闇。夢と現実。完全に偶然だが、ここ数日で眠りに関するお話はいくつも書いてしまっている。
また眠りに関するお話……しかも眠れない方。
眠れないほどあなたを想う話とか、そういったものを書くときっとロマンチックなんだろう。
全くそういうものを書かないわけではないが、今手元にはその欠片すらない。だから、そういうものは得意な人に託す。
眠れないほど……眠れないほど……。
なんて考えている間に眠りに落ちて、気付けばすっかり朝。
今日もしっかり寝たなぁ。
眠れないほど、悩んでいる。
――そんなことはなくて、悩んでいるのは、起きていたいのにすぐ寝ちゃうことだよ。
『眠れないほど』
今日はちゃんと正しい時間に目覚ましが鳴った。
だからといって、眠くないわけではないし、しっかりと起きられるわけでもない。
眠い。とても眠い。
頭はまだ寝ていて、さっきまで見ていた夢の断片が、もうどうにも制御できず、また襲いかかってくる。
今目の前に広がる光景は夢なのか現実なのか。
もう何もわからないまま、再び夢の中へ。
『夢と現実』
久しぶりにその場所を覗いてみた。
あぁ、まだちゃんとそこにいてくれたんだね。懐かしいなぁ。
心の中でそっと呟く。
そこは変わらない。何も変わらない、進まない。でも、それでもいい。まだそこにいてくれるだけで、それだけで構わない。そこだけ時が止まったように。
あ、あの人……。
似ている人を見かけた。別人かな? もしかして、本人かもしれない。どうかな。どっちだろう。
考えても仕方ない。
そっと見ているだけで、声をかけてみる勇気もないし。でも、もしもあなただったら。まだ元気でいてくれたなら、それだけで嬉しい。
……消えた?
そうか。もう随分長かったもんね。お疲れ様。
何もなくなった、存在すらなくなったその場所。そんなに期待はしていなかった。だって、まだ存在している方が奇跡だったから。
――でも、寂しい。
さよならすら告げずに、みんな消えてしまった。
さよならは言わないで。消えないで。置いていかないで。ずっとそこにいて。――などと都合の良いことは言えない。だっていつからか、ずっと遠くからあなた達のことを眺めるだけになってしまっていたから。自分だけの庭で、元気でいてくれたらなと願っていただけ。
気付けば、自分だけそこに取り残されてしまっている。少しだけ姿を変えて、でも、大きく形は変えないで。自分はまだここにいる。ここでずっと待っている。
静かな時を過ごしながら。いつか誰かが見つけてくれる。そんな時を待っている。自分だけの庭で、たまに誰かが顔を覗かせるのを待っている。
『さよならは言わないで』
間違えてセットした目覚ましに起こされた。
そこはまだ暗い闇の中。
瞼が重くて、まだ眠っていても大丈夫な時間だし、柔らかな布団に沈むように、再び眠りについた。
光と闇の狭間は、とても心地が良い。
そろそろ空は白んできて、きっともう少ししたら明るい朝がやって来るんだろう。
でもそんなことはさておいて、今はまだまどろみの中に。
『光と闇の狭間で』