この距離感が好きだった。
君と軽口を叩き合って、笑って、お互い気を遣わずに、自然体でいられる。この関係、この距離感が好きだった。
――本当は、もう少しだけ近付きたかった。
ここから一歩踏み出すのは怖くて、少し距離を間違えれば逆に遠ざかってしまいそうな気がした。
だからこそ、近付き過ぎず、遠過ぎず、丁度良いこの距離感でいたんだ。この状況に甘えていた。あなたの隣にいるのは私だと信じて疑わなかった。
「結婚するんだ」
あなたがはにかんでそう告げた。
青天の霹靂。
相手は、呼ばれたパーティーで知り合った娘らしい。
私は、距離感を間違えていたのだろうか。近付かなくても遠くへ行ってしまった。いや、近付かなかったからこそ遠くへ行ってしまった。
――あぁ、なんて嬉しそうな顔でその娘の話をするんだろうか。
涙であなたの姿が滲んで、あなたとの境界線がわからない。この距離は近いのか遠いのか。でも、今更どうにもならない。きっともうこの距離が縮まることはない。届かないと理解しながらも、手を伸ばした。
『距離』
泣かないで。と、君の泣き顔を見つめて願う。
悲しまないで。僕がいる。僕がここにいるよ。
その頬を流れる涙を拭ってあげる。肩を震わせながら泣く君を抱き締めてあげる。
触れたら壊れてしまうんじゃないかと、不安になる。その細い肩が、白い肌が、簡単に割れてしまう陶器のようで、本当は僕も触れるのが少し怖い。
それでも、君を慰めたい。君の心を理解してあげたい。優しく包んであげたい。
そうして、君に初めて触れた。
君は一層声を大きく上げた。
『泣かないで』
「見られたって?」
その言葉に同僚は静かに頷いた。
「馬鹿だな、あれだけ気を付けるよう言われてるのに。おかげでこっちの部署は大慌てだ」
ばたばたと走り回る仲間達。
別部署の同僚の尻拭いをこちらの部署がする羽目になってしまい、本当は自分も急いで働かなくてはいけないが、落ち込んでいそうなこの同僚をほっとくことも出来ず、とりあえず話を聞きに来た。
「まぁでもわかる。ようやく自分の出番がやってきて、楽しくなって、ちょっと気が抜けちまったんだよな。今年はあっちの部署がやけに長い期間働いてたから」
その部署の方を向いてみれば、この尻拭いを手伝ったりしていた。ありがたいが、お前達の出番じゃないのに。
「そもそもあいつらが長く出張ったりしなければこんなことにはなってなかったかもしれないのに……」
思わずぶつぶつと不満が漏れる。
それに、同僚がふるふると首を横に振った。そんな心優しい同僚を困らせるのが許せなかった。
「いや、たしかにお前も不注意だったが、俺はそもそも納得いってない。本来この時期にはお前のところの仕事もちゃんと終わって、俺達の仕事が始まってたはずだ。あっちの部署のせいで、人間達も不満に感じていることだろう」
そんなことを考えていたら一言文句を言わないと済まなくなってしまい、立ち上がる。
「やっぱり一言言ってやる」
そう言うと、同僚は俺を必死に止めようとした。
まぁそうだよな、おまえは優しいから止めるよな。
不意に、同僚が笑う。
何がおかいしのかと尋ねると「君は熱い人だね」と嬉しそうに微笑んだ。
「まるで夏みたい」
それ、あっちの部署じゃん。最悪の褒め言葉だな。
――はぁ、そろそろ俺も働くか。
「あとは俺達に任せとけ。秋はもう今年は終わり。ゆっくり休んでろ」
そう言い残し、仕事に戻る。ここからは俺達の出番。
さぁ、冬を始めよう。
『冬のはじまり』
会場に湧き上がる熱気。声を張り上げ、腕を振り上げるこちらの熱も入る。
舞台上の彼等の音楽に合わせ、歌い、踊る。
ライブは楽しい。なぜこんなにも楽しいのだろう。
大好きな人達の大好きな音楽、生の歌声。楽しい。楽しい。
曲が一つ始まっては終わっていく。ラストの曲が終わり、アンコールが始まり――あぁ、もうすぐこの時間が終わってしまう。
終わらないで。
いつも終わりに近付くとそう思ってしまう。どうか終わらないで。この時間を終わらせないで。そう願っても、時間は無情に過ぎ去ってしまうけど。
最高の一時を過ごして、心が熱くなって、また日々を生きていく元気を貰って。ライブ後に時間があれば仲良くなった友人達と飲みに行って感想を言い合う。そんな素晴らしい一日が終わる。
そしてまたその時間を求めて、私は今日も生きていく。
『終わらせないで』
愛情か? とか訊かれても困る。
一言で言えば、腐れ縁のようなものだ。正直、面倒臭い。
注意しても聞かないし、こっちをおちょくってくるし、仕事の腕はいいようだがまともなところなんて見たことがない。
それでいて、他の人には優しく接しているが、俺の前ではあの態度だ。
でも、俺のことを遠回しに心配してくれているのは知っている……してるよな? 俺にだけああいう態度を取るのも、まぁ、俺には甘えているんだと思えば悪くない……そうか?(自問自答)
だから、体調を崩して、俺の前なのに少ししおらしくしているお前は調子が狂う。早く元気になっていつもみたいに軽口を叩いてくれ。
少し調子が戻ったお前に「気安く頭を触るな」とさっき怒られたばかりだというのに、ベッドで眠るお前の頭を撫でる。
愛情か? とか訊かれても困る。
この複雑な想いをまだその一言にまとめたくない。
『愛情』