お題【距離】
主様から連日ラブコールを戴き続けてきたのに、まさか俺から振るだなんて。
「俺は何てことをしてしまったんだ……」
ここは別邸一階。ユーハンとテディはそれぞれ別々の依頼で部屋を空けている。俺は育児のプロであるハナマルさんに話を聞いてもらうために夕食後に押しかけてきた。
「まあまあ、いいんじゃねぇの。子離れができて」
焼酎をストレートで煽ると、茶化すことなく真剣に向き合ってくれる。
「生まれたばかりの赤ん坊だった主様が、俺じゃなくてお前の腕を選んで以来、いずれこの手の悲哀が付きまとうのは分かってたさ」
俺の手の中の、ロックで飲んでいた焼酎のグラスが、カランと音を立てた。
「ハナマルさんも、こういう感情を経験してきたんですね」
「俺? 俺ねぇ……うーん」
ひと口、ハナマルさんはグラスに口をつけてから少しだけ思案する。
「忘れた」
「えっ」
「何人も子どもがいたからなー。もしかしたらそういう感情もどこかにあったかもしれねーけど」
それは実にハナマルさんらしくもあり、同時にすごく真摯な回答だと思った。
「なぁフェネス、知ってっか?ペットロスの一番の癒し方」
「それなら……新たなペットを飼うこと、ですよね」
ご名答、と言ったハナマルさんは口の端を持ち上げる。
「俺たちの主様をペットになぞらえるのもおかしな話だけど。
お前、せっかく子供たちから人気があるんだからさ。ミヤジ先生の勉強会にもっと足繁く通って、そいつらを構い倒すのもいいんじゃね?」
俺の頭をワシワシと掻き回してハナマルさんは、そーら飲むぞと、まだ焼酎の残る俺のグラスになみなみと透明の液体を注いだ。
主様の方から距離を取ってくださっているんだ。
これを最大限に活かして、街の子どもたちともっと触れ合ってもいいのかもしれない。
俺は二日酔いの頭を抱えながら、ハナマルさんの言葉を噛みしめるのだった。
お題『泣かないで』
晩秋の午後、主様はコンサバトリーで秋薔薇のデッサンに勤しんでいた。
「随分前にフェネスと行った展覧会があったじゃない?あそこまで盛大じゃなくて、もっとこじんまりとした展示みたいなのができたらいいな」
それが主様の目下の夢らしい。
主様に目標があるのなら、それを叶えて差し上げたい。
俺が頭の中で展示会ができそうな場所をピックアップしていると、主様はうーん! と大きな伸びをした。
「そろそろ休憩になさいますか?」
俺の進言に主様はこくんという大きな頷きを返してくださった。そう、まるで幼な子のような。
「今日はチャイがいいな。とびきりシナモンが効いたやつ」
「フフッ、かしこまりました。それではミヤジさんを探してきますね」
スパイスと言えばミヤジさん。ミヤジさんと言えばスパイス。この屋敷でミヤジさんほど美味しいチャイを淹れられる人はいないと思う。
地下の執事室のドアをノックしようとしたら、ドアの方から開いてきた。出てきたのは探していた人物で、
「フェネスくん、どうしたんだい?」
とやさしく声をかけてくれた。
キッチンでチャイを淹れるミヤジさんの手つきを覚えたくて、食い入るように見ていると、ミヤジさんが、
「私がどうこう言える立場ではないのだけど」
と、重い口を開いた。
「主様の想いへの返事を、君はそろそろはぐらかさずに伝えた方がいいんじゃないのかな?」
小鍋の中でグツグツと煮えたぎるチャイを火から下ろすと、温めておいたポットに濾していく。
「いつかは熱い想いも冷めていくかもしれないけど、それを待つには主様の人生は短すぎると思うんだ」
「ミヤジさん……」
二の句を次げずにいる俺に、「少しお喋りが過ぎたね」と言いながらスパイシーなお茶が香るトレイを渡してきた。
「君がどんな返事をしても、主様はいつか笑ってくれると思うよ。何と言っても私たちの主様だから」
キッチンを出て、コンサバトリーに向かいながらミヤジさんの言葉を反芻する。
『主様はいつか笑ってくれる』
……俺は主様のことを信頼していなかったのかもしれない。それに主様ももう17歳だ。ミヤジさんの言うとおり、はっきりさせるのも優しさなのかもしれない。
主様の待つテーブルに到着した俺は、
チャイをカップに注ぎながら、主様がいつも俺に語りかけてくださる「フェネス大好き。愛してる」を聴きながら曖昧に微笑んだ。
「……フェネス?」
いつもなら、ありがとうございます、と笑ってみせる俺と雰囲気が違うことを察したのだろう。俺が何か言うより早く、主様のお顔がこわばった。
「主様……すみません、やはり主様のその想いに俺はお応えすることはできません。俺は執事で、その一線を越えることはできませんから」
ワンテンポ遅れて、主様の目元に真珠のような涙がふつりと溢れ出した。
「フェネ、ごめ、今はほっといて」
俺はそれ以上何も言えず、ただ礼だけしてその場を後にした。
入れ替わりにやってきたミヤジさんに肩を叩かれ、それはまるで俺を労ってくれているように感じた。
泣かないで、なんて言える資格は俺にはない。
ですが、お願いです。いつかまた俺にも笑顔を見せてください——
お題【冬のはじまり】
主様を起こすお声がけを俺がすることは、近ごろめっきり減ったどころの話ではない。
朝になったら主様の部屋の窓を全開にしたハウレスがそのままお目覚めをサポートしているらしい。
なぜ「らしい」なのかというと、主様が一週間前、突然俺に宣言したからだ。
「フェネス、明日から担当を変えるから」
「……は……?」
「用事はそれだけ」
主様はきっと、俺よりも気が利いて腕も立つハウレスを選んだに違いない。
「はぁ……」
手すさびに落ち葉掃除をしていたけど、いつの間にか呼吸が浅くなっていたらしい。それを取り返すかのようにため息をつけば、「フェネスくん、ちょっといいかな?」と気さくで明るい声に振り向かされた。
「何でしょう? ベレンさん」
「ふふっ、最近疲れてそうだなって思って。俺の机の上にチョコレートタルトがあるから、よかったら食べて」
にこにこというには穏やかで、微笑んでいるというには元気な笑顔でベレンさん自身の好物を勧めてきた。
「え、そんな……悪いです!」
自分でも思っていた以上の声量だったからか、頭上に広がる木の枝から数羽の小鳥が飛び立った。
「いいから、いいから。テディくんが淹れてくれたコーヒーが絶妙に合うんだ。それにコーヒーを淹れているテディくんってとても楽しそうで、幸せを分けてもらえるよ」
ほら、と箒をやさしく奪われてしまえばやることがこれと言って思いつかなくて、『せっかく勧めてもらったんだし……』と心の内で言い訳をしながら別邸へと向かった。
ノックしてドアを開ければ、テディが人懐っこい笑顔をぱっと見せた。
「フェネスさんもコーヒーはいかがですか? 今日はちょっと趣向を変えて、カフェモカにしてみたんです。寒くなるとやっぱりココアやチョコレートが恋しくなりますよねー!!」
彼のこのパワーには、本当に元気づけられる。
「それじゃあ、一杯いただこうかな」
「ラッキー! 本日2人目のお客様だ」
え、2人目ということは……?
「他にも誰か来てたの?」
「あれ? フェネスさんなら知ってるかと思っていたんですけど、さっきまで主様がいらっしゃっていました」
『フェネスさんなら知ってるかと』
いや、テディに悪気がないのは分かっている。分かってるけど、今は涙腺に沁みる。
「コーヒーを淹れてくれている間に、2階にあるチョコレートタルトを貰ってくる」
鼻声で伝えれば、鼻歌で分かりましたと返ってきた。
屋敷の中にいる執事たちの何人が、一体俺と主様の仲違いを知っているのだろう?
いや、仲違いじゃない。俺が主様を傷つけるようなことを言ったから……だから、主様に遠ざけられても仕方がないんだ。
タルトを持って戻るだけには遅すぎるくらい鼻を啜って階段を降りた。
そこには丁度のタイミングで淹れられたコーヒーが供された。
「それにしても今日は寒いですよね。今朝から私も洟が止まらなくて」
2階に行っている間に戻ってきたらしいユーハンは顔の前で両手を合わせると、大袈裟なくらい吐息を、はあ〜、とかけている。
ああ、みんなあたたかいな。
そう思って、人のやさしさを素直に受け止められるようになった自分の変化に気がついた。
ひとしきり甘いもので身体を満たしたこともあってか、すこし元気が出た。
「ありがとう、美味しかった」
「こちらこそありがとうございます。またのご来店をお待ちしてます」
うやうやしくお辞儀をする彼に、俺は手を軽く振って応えた。
外には、ぽつりぽつりと白い結晶が降りてきていた。
主様に最高のお風呂に入っていただくために俺は本邸へと急いだ。
お題『風に身をまかせ』
お風呂からあがられた主様は「夕涼みがしたい」とのことだったので、見張り台に簡易的なテーブルと椅子をご用意して差し上げた。
「何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」
「んー……?」
一応考える素振りをするけれど、大体既に決まっている。
「ニルギリのアイスミルクティー、ほんのり甘め……いや、少し強めの甘めで」
いつもと少しだけ違うオーダーに、あれ? と思ったけれど、お風呂上がりで疲れが昇ってきたのかもしれない。そもそも主様が疲労を感じているのであればそれを癒して差し上げるのが俺の役割だ。
「かしこまりました。
それと、湯冷めしてはいけないのでここにブランケットを置いておきますね」
タオル地の、カラフルな水玉模様があしらわれているブランケットは、衣装係のフルーレのチョイス。快活な主様にはぴったりだと思う。
俺がミルクティーをお持ちした頃には陽がだいぶ翳っていた。逆光の中に主様がいて、そこだけ影絵のように切り取られている。
その光景は俺の胸を掴むには充分すぎた。
「……フェネス? どうしたの?」
その声は今の主様のもののはずなのに、俺は前の主様のことを思い出さずにはいられなくて。
前の主様と過ごした時間は、今の主様とのそれとははるかに短かったけれど、あのときの一目惚れの片思いを今でも覚えている。いや、影絵の主様を目の当たりにして、却って鮮烈に蘇ってしまった。
震える手でテーブルにアイスミルクティーを置き、使われることなく置き去りにされた水玉ブランケットを広げて、
「お風邪を召してはいけませんから」
主様を包み込んだ。
すると、主様の方から俺の胸に飛び込んできた。
「……フェネス、また私のお母さんの面影を見てるでしょ?」
俺を見上げてくる瞳は怒ってはいないけれど、寂しいと訴えかけてくる。
「……すみませ、おれ……」
ついに涙をこぼしてしまった俺のことを主様は抱き止めてくださった。
俺はその小さな身体に腕を回す。
俺と主様はしばらくそうして、風に身をまかせて過ごした。
お題『愛を叫ぶ』
(本日は少女主のお話はお休み)
一昨日の5月10日、最推しのフェネス・オズワルド(『悪魔執事と黒い猫』というゲームに登場する執事のひとり)がお誕生日を迎えた。
誕生日と言えど、300年以上生きている彼は自分の年齢を数えることをいつからかやめ、誕生日すら忘れていたという。そこで執事になった日を誕生日と定めてお祝いをしている……というわけだ。
そんな彼への想いのたけを叫ばせてください。
フェネスー! 愛してるううううう!!!
あなたのことを幸せにする自信はめちゃくちゃあります!!!
だからっ!!!
結婚して私の一生を見届けてーーー!!!!
本当にフェネスを、心の底から幸せにしてあげたい。
あなたの笑顔を守りたい。ずっと笑っていてほしいし、私なんかでよければ逆にお世話させてください。
そんなわけで、今年私は彼のカードを引くためにウン万円課金してしまいました。
来月以降の私へ。
「頑張って!」
今月の私より。