お題【冬のはじまり】
主様を起こすお声がけを俺がすることは、近ごろめっきり減ったどころの話ではない。
朝になったら主様の部屋の窓を全開にしたハウレスがそのままお目覚めをサポートしているらしい。
なぜ「らしい」なのかというと、主様が一週間前、突然俺に宣言したからだ。
「フェネス、明日から担当を変えるから」
「……は……?」
「用事はそれだけ」
主様はきっと、俺よりも気が利いて腕も立つハウレスを選んだに違いない。
「はぁ……」
手すさびに落ち葉掃除をしていたけど、いつの間にか呼吸が浅くなっていたらしい。それを取り返すかのようにため息をつけば、「フェネスくん、ちょっといいかな?」と気さくで明るい声に振り向かされた。
「何でしょう? ベレンさん」
「ふふっ、最近疲れてそうだなって思って。俺の机の上にチョコレートタルトがあるから、よかったら食べて」
にこにこというには穏やかで、微笑んでいるというには元気な笑顔でベレンさん自身の好物を勧めてきた。
「え、そんな……悪いです!」
自分でも思っていた以上の声量だったからか、頭上に広がる木の枝から数羽の小鳥が飛び立った。
「いいから、いいから。テディくんが淹れてくれたコーヒーが絶妙に合うんだ。それにコーヒーを淹れているテディくんってとても楽しそうで、幸せを分けてもらえるよ」
ほら、と箒をやさしく奪われてしまえばやることがこれと言って思いつかなくて、『せっかく勧めてもらったんだし……』と心の内で言い訳をしながら別邸へと向かった。
ノックしてドアを開ければ、テディが人懐っこい笑顔をぱっと見せた。
「フェネスさんもコーヒーはいかがですか? 今日はちょっと趣向を変えて、カフェモカにしてみたんです。寒くなるとやっぱりココアやチョコレートが恋しくなりますよねー!!」
彼のこのパワーには、本当に元気づけられる。
「それじゃあ、一杯いただこうかな」
「ラッキー! 本日2人目のお客様だ」
え、2人目ということは……?
「他にも誰か来てたの?」
「あれ? フェネスさんなら知ってるかと思っていたんですけど、さっきまで主様がいらっしゃっていました」
『フェネスさんなら知ってるかと』
いや、テディに悪気がないのは分かっている。分かってるけど、今は涙腺に沁みる。
「コーヒーを淹れてくれている間に、2階にあるチョコレートタルトを貰ってくる」
鼻声で伝えれば、鼻歌で分かりましたと返ってきた。
屋敷の中にいる執事たちの何人が、一体俺と主様の仲違いを知っているのだろう?
いや、仲違いじゃない。俺が主様を傷つけるようなことを言ったから……だから、主様に遠ざけられても仕方がないんだ。
タルトを持って戻るだけには遅すぎるくらい鼻を啜って階段を降りた。
そこには丁度のタイミングで淹れられたコーヒーが供された。
「それにしても今日は寒いですよね。今朝から私も洟が止まらなくて」
2階に行っている間に戻ってきたらしいユーハンは顔の前で両手を合わせると、大袈裟なくらい吐息を、はあ〜、とかけている。
ああ、みんなあたたかいな。
そう思って、人のやさしさを素直に受け止められるようになった自分の変化に気がついた。
ひとしきり甘いもので身体を満たしたこともあってか、すこし元気が出た。
「ありがとう、美味しかった」
「こちらこそありがとうございます。またのご来店をお待ちしてます」
うやうやしくお辞儀をする彼に、俺は手を軽く振って応えた。
外には、ぽつりぽつりと白い結晶が降りてきていた。
主様に最高のお風呂に入っていただくために俺は本邸へと急いだ。
11/29/2024, 4:18:47 PM