お題『蝶よ花よ』
今の主様が生まれて間もなく、母親である前の主様は亡くなってしまった。こういうときは子育ての経験があるハナマルさんの役目だと誰しもが思った。
俺だって例外ではない。前の主様が『あの子をお願い』と俺に言い残したけれど、育児は本で読んだ知識しかない俺には向いていないと思っていた。
しかし、主様の方が俺を選んでくださった。誰が抱っこしても泣き止まなかった主様だったのに、俺が少しあやしただけでニコニコとよく笑ったものだ。
ハウレスも「赤ちゃんはトリシア以来だな」と言って育児を手伝ってくれた。しかし後追いが始まると俺を泣いて探して、用足しもゆっくりできなくて、困惑の連続だった。
……それも今となってはいい思い出だ。
あのままだったら、間違いなく執事たちみんながちやほやして育てたことだろう。
だけど、それを良しとしなかったのは他でもない主様自身だった。
きっかけは草花の観察だった。アモンが育てていたアサガオという花の記録をスケッチブックにつけ始めた。そこから植物に目覚め、虫を始めとした動物にも興味を抱いた。そうして時間があれば馬小屋近くにある畑を丹精しているか、動植物に関する本を読み解くかという日々を過ごすようになっていった。
人の命は短くて儚い。ならば主様の興味の赴くがままにお育てしよう。それが執事たちの育児方針となった。
主様は文字通りの意味で【蝶よ花よ】と、逞しく成長なさった。
お題『最初から決まってた』
日々成長していくごとに、前の主様の面影に似ていく今の主様が怖い。
前の主様に勝手に恋慕の情を募らせていた俺は、今の主様にも同じような想いを抱くのではないかと恐れている。それは前の主様にも、今の主様にも、失礼にあたると思う。
それに、また恋をするのが怖い。一方的に恋をして、俺を残してまた先に逝かれるのも怖くてたまらない。
俺は、とても身勝手で、感情的な人間だ。328年以上生きてきて、何も学んではいないらしい。
「ねぇ、フェネス」
13歳になられた主様は無邪気な笑顔を俺に向けてくる。
「ハウレスが書庫で使う脚立を新しく作り直してくれるって約束してくれたの」
ハウレス、と聞いて腹の奥からドス黒い感情が湧き起こってきた。前の主様ともハウレスはお似合いだったじゃないか。きっと今の主様とも、ハウレスなら——
「フェネス……フェネス、どうしたの?」
主様のお声で我に返った。
「お腹痛いの? 大丈夫?」
おろおろと俺を気遣ってくださる主様は何と優しくお育ちになられたのだろうか。
「いえ、俺でしたら大丈夫です。ありがとうございます、俺なんかにも優しくしてくださって」
すると、主様はちょいちょいと手招きをする。俺にしゃがめとおっしゃっているのだ。言われるがままに片膝をついて視線の高さを合わせれば、手で覆った口元を耳に近づてけてきた。何の内緒話だろう。
耳を傾ければ、頬に柔らかい感触。
「俺『なんか』じゃないでしょ? それに、こーゆーことするのはあなたにだけだから」
なーんてね! とカラカラ笑う主様に、俺は顔を赤らめるしかなかった。
もし今の主様へのこの気持ちが恋であるならば、それは最初から決まっていたことなのかもしれない。置いて逝かれるなら見送るだけだし、ハウレスや他の執事たちにも渡すつもりもない。
なぁんて、執事兼親代わりとして抱く感情としては、やはりまずいよなぁ……うーん。
「お腹じゃなくて頭が痛かったの? 大丈夫?」
頭を抱えている俺を気遣ってくださる主様は、やはり優しい。
お題『太陽』
※保留
お題『鐘の音』
※リアルイベント直前につき保留
お題『つまらないことでも』
主様は多趣味な方だ。ミヤジさんやラトに習ってピアノ・バイオリン・チェロも一通り演奏できるようになり、今でもレッスンは欠かさない。
趣味の菜園作業はうだるような日中の暑さを避けて、早朝に様子を見に行くことが多い。畑仕事を終えると俺が用意した水風呂をひとしきり堪能すると、毎日のようにミヤジさんたちと室内楽のレッスンをしている。
……と言っても、貴族の前で歌や踊り、楽器演奏をする俺たち執事とは違い、主様はステージに立つことはないのだけれど。それでも熱心に練習するのは何故なのか。いつだったか、それをお聞きしたことがある。
「最初は演奏なんて興味はなかったの。でも、どんなにつまらないことでもひと通りやってみた方がいいって、その頃読んだ絵本に書いてあったのね。だから私もとりあえずミヤジに教えてって頼んだの。
その時、ミヤジがバイオリンで自己紹介をしてくれて。後で、これも本で知ったんだけど、何でもバイオリンの音は人間の声が出る仕組みと同じなんだって。それから私も『こんにちは、私は✳︎✳︎✳︎です』ってやってみたくなったの。気がついたら意地になっていろんな曲を練習するようになったけどね」
主様の音楽熱にそんな裏話があったとは思いもよらなかった。
主様が初めて楽器を触ったのは4歳だった。あれから8年が経とうとしている。
屋敷には今日も演奏が響いていて、そっと聴いているのは多分俺だけではないだろう。