お題『日差し』
※8月の新刊の締め切り(7月18日)まで寝かせます。
お題『窓越しに見えるのは』
※今回のお題、少し寝かせます
お題『赤い色』
これは、主様がまだ6歳だった時の話。
「ねえ、フェネス」
主様用のティーカップを磨き上げていると、それまでソファに寝転がって静かに絵本を読んでいた主様がふいに俺を呼んだ。
「なんでしょうか、主様?」
俺が返事をすれば主様は起き上がってちょこんと座り、隣の空いた座面をぽふぽふ叩いている。座ってほしいときの仕草だ。
俺が望まれるがままに主様の隣に座ると、主様は俺に絵本を突きつけてこうおっしゃった。
「よくわかんない」
それは東の大地の絵本で、赤い糸を巻き取ると人々が抱える苦しみや悲しみが聴こえてくる……という話だ。絵柄が幼児向けでかわいいのだけれど、内容は哲学的で、大人にももしかしたら難しいかもしれない。
それなのに俺が主様にこの本を選んだ理由は、主様自身が感じている理不尽を、もしかしたら自力で解消していただけるきっかけぐらいにはなるかもしれない……そう思ったからだった。
「そうですね。とても難しいお話だと思います。ここに書かれていることを分かりやすくお話いたします。
主様は先日、なぜ自分にはお父様やお母様がいないのかとおっしゃっていましたよね?」
こくんと頷いたのを見届けてから話を続ける。
「それを俺に聞いてきたとき、悲しいと泣いていらっしゃいました。俺は幼い頃に両親に捨てられてしまったので、その悲しみはよく分かります。
これはそういった、主様や俺の力ではどうにもできなかった願いが叶うようなお話です」
俺の話を聞いていた主様は、みるみるうちに目に涙を浮かべた。
「あかいいとをまけば、おとうさんとおかあさんにあえるの?」
「……そうですね、もしそのような糸があれば、主様はお父様とお母様に会えるかもしれません。ですが……その代わりに俺や他の執事たちと一緒に暮らせなくなります。主様はこの屋敷でみんなと暮らすのはお嫌ですか?」
言いながら、俺は自分の卑怯さを呪った。俺だって幼い頃になかなか受け入れられなかったことを主様に突きつけて、しかも俺を、俺たちを選ばせようとしているのだ。
案の定、主様は首を横に振った。
「フェネスたちとバイバイしたくない」
主様の目元に浮かんだ涙をハンカチで拭きながら、俺は主様を抱きしめた。
お題『入道雲』
遠くで雷が鳴った。
大きな、大きな、もくもくとした雲がのっしのっしと近づいてきて、頭の上で泣き出した。
あまりにも激しく泣くものだから、私は言ったの。
『あなたの涙は私を部屋に閉じ込めたけれど、草木や作物をうるおしてくれた。それに低くうなる雷鳴も、地面を叩きつける雨音も、たまには気分転換になるもの。だから、ありがとう。泣きたくなったらまた来てね』
「……どうかしら、フェネス?」
主様は街にいる、教育環境の整っていない子どもたちを集めてミヤジさんが開く勉強会によく参加なさっている。
年齢も性別もバラバラな参加者の中でも、特に幼い子どもに絵本の読み聞かせをしているのは俺も知っていた。
そして、ただ絵本を読むだけでは物足りなくなったらしく、とうとう絵本そのものを完成させたのだ。スケッチブックに描かれた積乱雲の絵は立体感も素晴らしく、そして添えられた文章からは主様のやさしい心が垣間見れて……俺は、俺はこのように素敵な女性に育ちつつある主様を誇らしく思う。
「なんで泣いてるの? そんなに酷かった?」
ボロボロ泣く俺なんかのことまで気遣ってくださる。
「いえ、俺は感動してしまいました」
ハンカチで目頭を押さえれば「大げさ」と肩を竦めて笑っていらっしゃる。
「フェネスの涙じゃ草木も作物も潤わない。だから、仕方がないから私がそばにいて守ってあげる」
俺の隣に座った主様は、そのままこてんと俺の腕に頭を預けてきた。
お題『夏』
馬小屋前の菜園の一角に主様専用の畑があり、そこでは主様の食卓に並ぶ野菜を育てている。しかも主様ご自身の手で野菜を栽培していただいており、執事は必要最小限のお手伝いしかしないことになっている。主様に自然を学んでいただくのが目的だ。
どうしてこのようなことになったのかというと、話は3年前の夏まで遡る。
「主様、どうしたんっすか?」
主様が庭に出たいとおっしゃるのでご一緒に外へ出たところ、庭師の執事・アモンが花に水遣りをしていた。とある蔓草の前にしゃがみ込んでじっとしていた主様は、うーん? と首を傾げていらっしゃった。
「主様はもしかして、このアサガオに興味をお待ちっすか?」
こくんと頷くと俺とアモンを見上げて、
「きのうよりもせがのびてるきがする」
とおっしゃった。
「へへっ、主様。もしよかったら毎朝この子の成長を見にきませんか?」
「みにきていいの、アモン?」
「もちろんっすよ。ここの花は全部、主様に見ていただくために育てていますからね」
そしてその翌日から、スケッチブックを持って庭にしゃがみ込む主様を日傘でガードするのが俺の日課になった。
アサガオの観察日記をつけているうちに、他の植物にも興味を持たれるようになった主様だった。
どのような植物が気になりますかと伺った結果、翌年はひまわりを、さらにその翌年はトマトを育てることになり……。
そして今年は、主様の畑にはトウモロコシが植わっている。
「フェネス、フェネス!」
「はい。何でしょうか、主様」
スケッチブックから顔を上げると主様は眩いばかりの笑顔でこうおっしゃった。
「とうもろこしって二期作ができるって、この前本で読んだの。私もやってみたい!」
もしかしたら主様には農業にも才能がおありなのかもしれない。
「はい、分かりました。あとで二期作に関する本をお持ちしますね」
主様、十歳の夏はまだ始まったばかりだ。俺は俺にしかできない方法でお手伝いしていこうと心に誓うのだった。