お題『赤い色』
これは、主様がまだ6歳だった時の話。
「ねえ、フェネス」
主様用のティーカップを磨き上げていると、それまでソファに寝転がって静かに絵本を読んでいた主様がふいに俺を呼んだ。
「なんでしょうか、主様?」
俺が返事をすれば主様は起き上がってちょこんと座り、隣の空いた座面をぽふぽふ叩いている。座ってほしいときの仕草だ。
俺が望まれるがままに主様の隣に座ると、主様は俺に絵本を突きつけてこうおっしゃった。
「よくわかんない」
それは東の大地の絵本で、赤い糸を巻き取ると人々が抱える苦しみや悲しみが聴こえてくる……という話だ。絵柄が幼児向けでかわいいのだけれど、内容は哲学的で、大人にももしかしたら難しいかもしれない。
それなのに俺が主様にこの本を選んだ理由は、主様自身が感じている理不尽を、もしかしたら自力で解消していただけるきっかけぐらいにはなるかもしれない……そう思ったからだった。
「そうですね。とても難しいお話だと思います。ここに書かれていることを分かりやすくお話いたします。
主様は先日、なぜ自分にはお父様やお母様がいないのかとおっしゃっていましたよね?」
こくんと頷いたのを見届けてから話を続ける。
「それを俺に聞いてきたとき、悲しいと泣いていらっしゃいました。俺は幼い頃に両親に捨てられてしまったので、その悲しみはよく分かります。
これはそういった、主様や俺の力ではどうにもできなかった願いが叶うようなお話です」
俺の話を聞いていた主様は、みるみるうちに目に涙を浮かべた。
「あかいいとをまけば、おとうさんとおかあさんにあえるの?」
「……そうですね、もしそのような糸があれば、主様はお父様とお母様に会えるかもしれません。ですが……その代わりに俺や他の執事たちと一緒に暮らせなくなります。主様はこの屋敷でみんなと暮らすのはお嫌ですか?」
言いながら、俺は自分の卑怯さを呪った。俺だって幼い頃になかなか受け入れられなかったことを主様に突きつけて、しかも俺を、俺たちを選ばせようとしているのだ。
案の定、主様は首を横に振った。
「フェネスたちとバイバイしたくない」
主様の目元に浮かんだ涙をハンカチで拭きながら、俺は主様を抱きしめた。
6/30/2023, 12:53:12 PM