わたしは「そらちゃん」と呼ばれる。
良い空と書いて空良という名前なのに、いつも大雨や雷を起こして、なごやかな周囲の空気を曇天に変えてしまう。わかっているのに、小さい頃からそうだった。
わたしの癇癪がはじまりそうになると「今日の空模様も怪しいな」と、家族は少しおどける。空模様という言葉がいい意味で使われている場面なんてない気がする。だいたいが、さっきまで晴れていたのに崩れてきそうな空をさしているのだ。
わたしは、わたしの気分が崩れかけてきたら物陰に引っ込む。どこにいても、できるだけ空気とか石ころとかになりすまそうとする。めぐりめくる空模様はわたしのなかにしまいこむのだ。そうすれば誰も傷つけることはないし、わたしも傷つかない。
そして、今日もダメだった。せっかくの誕生日パーティーだったのに、急に大泣きをしたくなってしまって、わたしはやっぱりベランダの隅に逃げるようにうずくまる。いつもこうだ。たぶん、これから先も。曇天、雷、大嵐。
「そらちゃん」とわたしを呼ぶ声がして、顔をあげるとお母さんがいた。わたしが生まれてきてから
今日まで、恐らくいちばん傷つけてしまっている人。
お母さんの手には薄いアルバムがあった。
昔火事にあってほとんど残っていないんだけれど、おばあちゃんの部屋にこれだけあったの。
これはそらちゃんのアルバムよ、と。
それには、あまりみたことのない、幼いわたしの姿がおさめられていた。仏頂面で激しく泣きじゃくっているかと思えば、次の瞬間には弾ける笑顔。写真の下には、懐かしいおばあちゃんの字がある。
空良ちゃん そらいろ空模様
「似た者同士だったわよね、ふたり。」
どんな空模様でも良い空、あなたでいいんだよと。夜の月が眩しく感じる。明るい星空にそのとき気づいた。
この名前は、おばあちゃんがつけてけれたものだったと思い出した。
潮の引いた浜辺を歩いていたら、なめらかな砂に白く光る欠片が埋もっているのをみつけた。拾い上げるとそれは薄く光を吸い込んで、桃色の朝焼けに照り映えているみたいだった。
ナルキッソスの鏡だな、と君がいう。
僕は適当に笑った。なんでこれをみてナルキッソスが出てくるのかよくわからなかったから。貝殻の破片にも、薄く削がれたガラスにもみえるこの欠片が不思議だった。
昔から美しいものに吸い寄せられていく君だ。
そっと僕の手のひらから欠片をすくいとり、しばらく丹念に見つめている。その小さくきらめくものから、自己陶酔に溺れ死んだ人間の姿を見いだそうとでもしているんだろうか。僕は少し危うげな気持ちになりながら、恐ろしく端正な君の横顔に視線を送る。
そのとき、君がふいに顔をあげる。遠くの波のゆらめきに、花束が漂っていた。
「誰か死んだんだろうか。」
君があまりに自然に呟いて、僕も思わず頷いた。
青い水仙の束だった。胞子のような泡の粒に呑まれながら、それはどこか切なげに、冷たい海水に漂いつづけている。
幼い頃は、太陽を描くのに赤いクレヨンを使った。
それから光を気にしだして、黄色く塗りあげるようになった。ときどきオレンジ色にもした。でも太陽にはならなかった。
光の芸術家とは太陽のことだ。朝から夜へと移ろいゆく光。空という大きなキャンパスに、決して人の手では触れえない色を描き出すのだから。私はその太陽を、もっと正確に紙に起こしたかったのに。
負けず嫌いで、天の邪鬼だった私は、ある日太陽を黒く塗りつぶしてみた。太陽をじっとみていると、その強い光がだんだん黒くぼやけてくるから。描いてみたそれは、案外良いできに思えた。
さっそく母に見せたが、まともに取り合ってくれない。父は「良い感性だ」と笑う。私が欲しい反応じゃない。
もううまく喋れなくなってきた祖父にみせると、
しばらく眺めて、それから「ビルマの太陽だ」と、ぽつりと呟いた。
そのとき私は外国というものがよくわからないでいて、「ビルマというところの太陽は黒いんだな」というくらいにしか思わなかった。
間もなくして祖父が亡くなったあと、祖父は第二次世界対戦時ビルマの兵士で、仲間の過半数が餓死をしたという無謀な作戦の、数少ない生き残りだったということを祖母が話してくれた。気難しい祖父の口からは1度も聞いたことのない過去の話だった。
泥水をすすり枯れた草を食べ、痩せた子馬や仔牛をなぶり殺してでも、祖父は黒い炎天下を生きのびたのだと、今ならわかる。
でも、自分が気まぐれに生み出してしまった黒い
太陽がひどく苦しいものにみえて、そのとき私は少し後悔した。
私が得意気に描いた黒い太陽を見て、祖父はどんな顔をしていたのか。今もわからない。
「さあ、目が覚めるまでにここを出てしまわなくては。」
もう何年も前になる。母を亡くして日が経った頃、僕はひと夏をプラハで過ごした。仕事の都合という言い分で、父が僕を連れ出したのだ。
プラハは美しい場所だった。
太陽の花々と新緑が抑えられない幸福のように溢れかえり、石畳の街角にエメラルドの影を落とす。
雄大なヴルタヴァ川が古都の風を運ぶ、伝統的な
硝子細工のような城下町。流れる雲の一筋すら、
慈しみたい思いにさせられる。
だけれど10才だった僕には、そのどれもが退屈にみえた。年の割にこまっしゃくれていて、同い年の子どもたちの感性を冷めた目で見つめている、そんな子どもだった。
だから、旧市街で父とはぐれてしまっても、それが「迷子」だという認識はなかった。取りあえずここいら辺りにいれば万事ないだろうと、見知らぬ外国の土地であっても噴水の広場をふらふらしたりなんかしていられる余裕すらあった。僕に迷いはなかった。
観光客に混じってしばらくそうしていたが、父の姿はいっこうに見えない。燦々と照りつける太陽が そのうち暑くなってきて、僕は涼もうと古びた石の教会に入った。いつもは閉めきられている扉だが、その日はなぜか隙間ができていた。
中には誰もいなかった。チェコにきてから教会には散々行ったが、ここは特別暗く、お香の匂いも独特だ。神秘的な雰囲気に吸い寄せられるように、僕は奥へと進んだ。そうして気づけば、石像が立ち並ぶ静謐な空間にたどり着いていた。一人の老人が、
部屋の一角にうずくまっている。石像の足元に蝋燭を捧げているようだ。橙色の灯火がこぼれている。
やがて、おじいさんはくるりと振り返り、小さな僕をみつけた。
「ロストボーイ」
そう呟いてにたりと笑う。その年老いた笑顔をみて僕は初めてぞっとした。
「さあ、目が覚めるまでにここを出てしまわなくては。」
おじいさんは徐に近づき、僕の手をとった。
「覚めるって?」
「石像さ。彼らの怒りに触れないうちにね。」
「石が怒るものか。」
「それでも祈りつづけるのだよ、人々は。夢から
覚めても生きられるように。愚かだと思うかね?」
ぐいぐいと手を引っ張られてゆき、あっというまに光の下に放り出される。教会の外だった。眩しい
広場で、僕の名を叫ぶ父がみえる。まだ唖然としている僕に、しわがれた声が降りかかった。
「じゃあな、Lost boy(失われた少年).」
背後を振り返っても、おじいさんの姿は
そこになかった。荘厳な門扉に、にたりと笑う
ガーゴイルが僕をみつめている。
まだ少しだけぬくもりが残っている僕の手に、今度は父の大きな手が重なる。母さんが死んでから、
僕ははじめて泣きそうになった。
ちょうど3ヶ月前まで病室にいた。
空にいちばん近くて、海の底のようだとも思った。
生と死と、ふたつの静けさがまざりあった場所だ。
点滴やら何やらの管に繋がれた写真を送ると、
「薄幸美少女じゃ~ん」と友だちからからかわれて、それがちょっと面白かった。美少女といわれて悪い気はしない。私の脳味噌の構造はいたってシンプルだ。自分にとって都合のよろしい単語だけをピックアップして生きている。
そう、生きているってすごいってこと、入院生活で実感した。痛くて辛くて苦しくて、心はもう無理だと嘆いても、身体は生きたいと叫んでいる。この
矛盾に身悶えしながら、それでも私の身体が点滴を吐き出すことなんてなかった。
動くことも食べることもできずにいたあの病室で、
生きているって凄まじいなあと、他人事のように思っていた。