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5/26/2023, 9:49:06 AM

君の秘密は裏庭にある。
雨の日にひどく怯えるのはそのせいなんだろう?

君は悪くない。君の親父は本当に最低な生き物だったから。父親のいた痕跡をすべて燃やして、ナイフまで埋めたのはいい判断だった。警察もただの失踪事件として扱っている。ほとほと困り顔だ。

君がそれを埋めたのも、穏やかな雨の晩だったね。
もちろん、君の秘密は僕の秘密だ。死ぬまで明かしやしない。

いつか、雨でぐずぐずになった土の表面に白い骸が浮き出てきたって、僕が完璧に埋めなおしてみせるさ。

だからこれからも、降りやまない雨の夜は、
僕のもとへ来ればいいよ。永久に。

5/23/2023, 2:04:50 PM

たとえば、自らの糸に絡まって死んでしまった蜘蛛なんていないだろう。でも、ときどき人間は、自分の編み出した糸に絡めとられて息ができなくなることがある。

それがいいものにしろ、悪いものにしろ。
僕が彼とキスをしてしまったのも、僕たちを縛りつけるそれぞれの糸が奇妙に絡み合ってしまった結果ともいえる。

周りからのけ者扱いにされてきた君と、両親に捨てられた僕。僕たち2人の孤独を求める魂は、どういうことだか強い引力で引き合わされてしまったようなのだ。

月のない夜だった。僕は、僕のたった一言が永遠に君を捕らえつづけてしまうのだとわかっている。わかっているのに、だからこそ、とどまることができなかった。


「僕も君を愛しているよ」


君は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
僕は男に性的な興味があるわけではない。彼に恋情を感じているのかもわからない。


もう誰も愛したくない。
石のように孤独でいたい。


そういう僕らの望みは皮肉にも、互いに情愛を植えつけ結びあわせる強い呪縛になってしまったんだろう。

僕は今夜も君に触れる。その体温は蜘蛛の糸のように僕たちを絡めとり、もう逃れることはできない。


5/22/2023, 10:40:26 PM

あの小さなコンサートホールで、彼のグァルネリは高らかに唄っていた。1703年ものだというそれはべっこう色の艶々とした輝きを放って、4本の弦は胎動のように震える。150人ほどの意識が一点に張り詰まる空間で、彼の奏でる音は、確かに生きていた。

ヴァイオリンなんて眠くなってしまうと思っていたのだ。クラシックなど微塵も触れたことがなかったのに、あの日、私の命は絶え間のない音楽に揺さぶられつづけた。


「300年前の音を聴いてたんだね。」


帰り道、思わず呟いた私に彼はやさしく微笑んだ。


「バイオリンは年月を重ねて弾きこむほど豊かな音になっていくんだよ。乾燥したり、繊維がくっついたりして、日に日に少しずつ変化しているんだ。」


柔らかく噛み砕かれた彼の言葉を、私はいささか信じられないような気持ちで聞いていた。

彼の演奏は、その界隈で「歌うヴァイオリン」と評されている。繊細かと思えばはっとするほど重厚な音色を響かせて、まるで舞台でアリアを歌う女性の声のようだと確かに思ったけれど、その音が変わりつづけていってしまうなんて、本当に人間みたいだ。


「じゃあ昨日の音も、明日の音も、私は知らないんだ。」


彼のコンサートは3日間で、私はちょうどその中日に行ったわけだ。

昨日はどんな繊細な音色を響かせたのだろう。明日はより磨き上げられたビブラートを奏でるのだろうか。

でも私は、今日の音を知れてよかった。


あれから10年がたった今でも思う。



5/21/2023, 11:37:12 PM

生まれ変わったら水になりたいと思っていた。
水は死なないから。

山に染み、川に流れて、海とひとつになり、雲になってまた山に降る。いろんな命をぐるぐると廻る。

どれだけ汚れてしまっても、またいつか透明になってかえってこれるから。

5/19/2023, 11:13:04 PM


それはおばあちゃんの家の壁に描かれていた。
色とりどりの絵の具が輝き、すももやあけびがいっぱいに実る楽園のような壁画の中に、私はある日、とぷん、と入ってしまったのだ。

羊や熊やカラス、いろんな動物たちがいて、そして私と同い年くらいの男の子と出会った。


「君、ひとり?」

「そうよ」

「じゃあ遊ぼうよ」


それからは、めくるめく月日を彼と過ごした。
お腹が空いたら甘い木苺を頬張って、川のせせらぎを2人でどこまでも追いかけた。緑色のそよ風は、いつもキラキラと光っていた。

虚弱体質で、一緒に遊ぶ友達もいなかった私にとって、そこは唯一の世界だった。

ある夏の午後、いつものように彼と草むらで寝転んでいると、彼がふいに立ち上がった。その横顔が少しだけさみしげにみえた。


「僕、もう帰らないと。」


それは別れを意味しているのだと直感した。

いつかは、そんな日が来るのだとは思っていた。でもあんまりに突然のことで、私は泣いた。今まで誰の前でも泣いたことがなかったけれど、小さな子どもみたいに泣きじゃくり続けた。

気づいたら私は壁の外だった。手を伸ばしても、冷たい壁に触れるばかりだ。私は泣きつづけ、悲しくて悲しくて、今までのことをすべて、おばあちゃんとお母さんに打ち明けた。


お母さんは私の頭をやさしく撫でた。


「来年の春に、あなたはお姉さんになるのよ。弟が生まれるの。」


おばあちゃんも私をそっと抱き締めてくれた。


「素敵な子ども時代を過ごしたのね。」


あれから、壁の絵には入れることは二度となかった。





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