それはおばあちゃんの家の壁に描かれていた。
色とりどりの絵の具が輝き、すももやあけびがいっぱいに実る楽園のような壁画の中に、私はある日、とぷん、と入ってしまったのだ。
羊や熊やカラス、いろんな動物たちがいて、そして私と同い年くらいの男の子と出会った。
「君、ひとり?」
「そうよ」
「じゃあ遊ぼうよ」
それからは、めくるめく月日を彼と過ごした。
お腹が空いたら甘い木苺を頬張って、川のせせらぎを2人でどこまでも追いかけた。緑色のそよ風は、いつもキラキラと光っていた。
虚弱体質で、一緒に遊ぶ友達もいなかった私にとって、そこは唯一の世界だった。
ある夏の午後、いつものように彼と草むらで寝転んでいると、彼がふいに立ち上がった。その横顔が少しだけさみしげにみえた。
「僕、もう帰らないと。」
それは別れを意味しているのだと直感した。
いつかは、そんな日が来るのだとは思っていた。でもあんまりに突然のことで、私は泣いた。今まで誰の前でも泣いたことがなかったけれど、小さな子どもみたいに泣きじゃくり続けた。
気づいたら私は壁の外だった。手を伸ばしても、冷たい壁に触れるばかりだ。私は泣きつづけ、悲しくて悲しくて、今までのことをすべて、おばあちゃんとお母さんに打ち明けた。
お母さんは私の頭をやさしく撫でた。
「来年の春に、あなたはお姉さんになるのよ。弟が生まれるの。」
おばあちゃんも私をそっと抱き締めてくれた。
「素敵な子ども時代を過ごしたのね。」
あれから、壁の絵には入れることは二度となかった。
5/19/2023, 11:13:04 PM