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5/9/2023, 12:59:48 PM

美しい天使は、地上にエーデルワイスを残して空へと飛び立っていった。天使に恋をしてしまった登山家の、叶わぬ想いに応えるために。

だから、エーデルワイスの花言葉は『大切な思い出』なのだという。

私は天使でもないし、美しくもない。でもそろそろ天にいかなければならないというところだけは、奇しくも一緒なのだ。

それだから、そうね。私も何か、あの人に残せるのだろうか。残してもいいのだろうかと思ってしまった。天使のそれが、すごくナイスアイデアに思えたのだ。

あの人は、多分私のことなんて忘れてしまう。だって私たち、出逢ってまだひと月も経っていなかったんだもの。でも、それでいいのだ。

あの人はこれからも、いろんなことを経験して、恋をして、私の存在があの人の心の片隅にもいられるスペースなんてないのだ。私がいなくても、あの人の世界は回り続けるのだから。私の知らない幸せの世界を、あの人は生きていく。

だから私のことなんて、思い出してくれなくていい。
でも、やっぱり、忘れないでほしい。

形に残るものだと重いかな。お菓子だと余りにもあっけない。

だから、花の種を植えた。
花なら、咲くまでの間だけ、私はあの人の中に生きていてもいいでしょう。枯れてしまえばそのまま捨てて、何も残らない。

種は、まだ身体が自由に動かせた頃にお花屋さんで買ってきた。可愛らしくて、どこかせつなげで、昔から好きな花だった。いつか自分で育ててみようと思っていたそれを、あの人に託すのも悪くない。いいえ、本望といってもいい。


「ここにね、花の種を植えたの。来年には咲くと思うから、待っててね。」


ほら、やっぱりあなたは不思議そうな顔をしている。ちょっと気難しそうで、何かじっと考えている。私、あなたのそういう顔が好きだった。


「私だと思って、待っててね。何の花が咲くかはお楽しみ!」


エーデルワイスではないんだけれど、きっと綺麗な花が咲くのよ。星の涙のような、深い海の色をした小さな花が。


願わくば。あなたにとって『大切な思い出』になってくれたのなら。
これで忘れられない、いつまでも。


~勿忘草~
『私を忘れないで』










5/8/2023, 1:44:29 PM


百年、私の墓の傍で座って待っていてください。きっと逢いに来ますから。


「ここにね、花の種を植えたの。来年には咲くと思うから、待っててね。」


もう命の尽きようとしている君が笑顔たっぷりにそう言ったとき、僕は、夏目漱石の『夢十夜』にある1節を思い出した。

これを頼まれた男は、本当に百年の月日を待った。自分は騙されているのかもしれないと思いながら、唐紅の赤い日が昇り沈むのを数え、ただ待ち続けた。

これからもうすぐ死ぬという、知らない女だ。涙を流しながら言われたからとして、果たして百年も待てるものなのか。


「私だと思って、待っててね。何の花が咲くかはお楽しみ!」


思えば、あの病院で君と出逢ってからまだひと月も経っていなかったのだ。君はどうして、僕なんかに自分の分身を託してくれたんだろう。

君の笑顔は最期まで眩しくて、僕は何だか、ぼんやりとした心地だった。

君から受け取った白い植木鉢は、今、僕の部屋の窓辺にある。

起きて、仕事して、食べて、寝る。一年なんて、ほとんど瞬きの速度で過ぎていくものだと思っていた。

あれから、植木鉢には毎日水をやっている。ようやく柔らかな緑がでてきたが、まだまだ蕾すらつける気配もない。

いったいどんな花を咲かせるのか。君のことだ、間違えて草の種でも植えてしまったんじゃないか。そうやって、ときどき君の眩しさを思い出す。


君の蒔いた種は、まだ花を咲かせない。
一年は、時に百年のように長いのだと知る。


5/7/2023, 12:06:31 PM

ときめきも、熱っぽい甘さも感じたことがない。

でも、いるはずのないあの人の匂いがふっと香ったとき、思いもよらない動揺と少しの安堵、その重なりの隙間に、締めつけられる思いを抱く自分がいる。

恋に気づいてしまった、そんな雨の日。

5/6/2023, 11:00:49 AM


何かの間違いで、誰か1人だけが生き残ってしまわないことを祈る。

はじまりが不平等であっても、終わりは等しく訪れて欲しい。

それに、皆それぞれの祈りを抱いて消えていくというのなら、世界の終わりは、世界がはじめて1つになるひとときを与え得るのかもしれない。

たった1人、終わったあとの世界をみるのは辛いだろう。

5/5/2023, 11:30:34 AM



君と出会ってから、私は君に愛されることだけを望んで生きてきた。


「君はいったね?いつか必ず迎えに来ると」

「ええ。」

「どうしてあの時、私を突き放してしまったんだ。何年も、何年も何年も、私はただ君だけに焦がれてきたというのに。私はもうすっかり年をとってしまった。」

「ごめんなさい。」


骸骨のように肉の削げた私の手を、彼女はしっとりと握る。ああ、私はこの時をずっと待ち望んでいたのに。


「あなたは、私を愛してしまってはいけなかったのよ。」


次の時には、彼女の姿は跡形もなくなっていた。妖しく、さみしげな笑みを残して。


霧で閉ざされた意識が戻ったときには、私はすでにベッドの上で、そこには、もう二度と見ることのないはずであった妻と友人たちの顔があった。


「ああよかった……気がついたのね。」

「まったく運のいいやつだ。あんな崖から飛び降りておきながら、木の枝に引っかかって助かるなんて。」


安堵めいたため息が、蜘蛛の巣のように私を包みこんでゆく。

私はまた、君に愛されなかった。


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