▶52.「ゆずの香り」
51.「大空」
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1.「永遠に」近い時を生きる人形✕✕✕
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✕✕✕を連れて森の散策中、懐かしい匂いがした。
…ましたか?」
甘みのある爽やかな香り、
「博士、博士」
どこで嗅いだのだったか。
「博士?博士!」
「っうぁ、な、なんだ」
突然揺さぶられて思考が途切れてしまった。
「博士、歩みが止まっています。どうかしましたか?」
「え?ああ…悪かった。懐かしい匂いがして、気になったんだ」
「匂い…」
私の返しに、✕✕✕は考え込むような仕草と匂いを嗅ぐ仕草をしてみせた。
「匂いの元になっているのは柑橘類のようです。」
その言葉に、やっと私は思い出した。
「柚子だ!その場所まで案内できるか?」
「…少々、人間の嗅覚の基準範囲を逸脱しますが」
「今は私しかいないんだ。構わない、やってくれ」
✕✕✕の案内でたどり着いた場所に生えていたのは、
とても柚子と近い匂いだが、違う樹だった。
「これがユズ、ですか?」
「いや、違う。匂いの元はこの木で合っているが、私の知っているものではなかった」
当たり前だ、私の故郷のものが、ここにあるはずが無い。
「そうですか。収穫しますか?」
「…1つ、もらっていこう」
手に取り、顔を近づけて香りを吸い込む。
距離が近づくことで、より違いが分かる。
脳が、これではないと訴えてくる。
知らなければ幸せだったろうか。
いや、遅かれ早かれ確かめに来ていただろうな。
叶わぬ夢を見させられるよりは、早く現実を知れる方がいい。
すぐに分かって、良かったんだ。
「帰ろう、✕✕✕」
▶51.「大空」
50.「ベルの音」
:
1.「永遠に」近い時を生きる人形✕✕✕
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「今日は晴れ、ね」
花街の女、子猫は、いつものように開けた窓から外を見ていた。
小さい頃はお使いを頼まれるたびに外に出ていた。
不吉といわれる黒髪のせいで虐められることも多かったが、
それでも外に出るのは好きだった。
だが、お使いを頼む側になってからは窓から眺めるばかりで、
自ら外に出ることをしなくなった。
大好きだった母親と同じ黒髪。
窓から入る風に煽られ、そよぐ。
冬の風は冷たいけれど、それでも昼下がりなら気持ちがいい。
成長した子猫の黒髪は「妖艶」と映るらしく、
客からの人気がそこそこあるのだから人間は誠に勝手である。
もっと見上げれば、視界いっぱいの大空。
人形が同じ天気の場所にいれば、きっとその旅は順調に進むであろう。
そうであって欲しい。
渡り鳥だろうか、上空に小さく、鳥が2羽飛んでいくのが見えた。
「✕✕✕も、仲間ができればいいのにね」
花街を、ううん。
いっそのことなら、この街を出て本当の外を見てみたい。
花街の子猫ではなく、ただの人間として。
夢見る気持ちを新たに、子猫は窓を閉めた。
▶50.「ベルの音」
49.「寂しさ」
:
1.「永遠に」近い時を生きる人形✕✕✕
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太陽を追うように少し移動しながら日没まで過ごし、人形は岩の穴から研究所へと戻ってきた。
途中、何か薄い膜のようなものを通り抜ける感覚があったが、土埃がなくなった以外は何も起こらなかった。
昨夜よりも、部屋の中が明るい。
稼働したことで、どこかから動力を取り込み始めたようだ。
大型機器の方も順調に進んでいるようだ。
引き続き、施設の探索と資料の読み込みを進めていく。
資料は、隣国の人間が書いたものであった。
ここフランタ国がある大陸は、共通の文字を使っているものの、言葉には国により若干の違いがある。
それに加えて、専門用語の多用により意味の取れない単語が増えているのだった。
とはいえ読み込みを続けていけば、ある程度解読はできるだろう。
人形は、昼は山、夜は研究所の探索を繰り返した。
山では人間とのニアミスもなく、
資料からは、人形に使われているだろう技術をいくつも見つけた。
また、地下に長い通路を見つけて入ってみたが、
あまりにも長く、途中で対策無しに向かうのは危険と判断した。
そして引き返したところで、
チーン…
大型機器から、
待機時間終了を知らせる軽妙なベルの音が鳴った。
人形が向かうと、
電子音声が流れてきた。
「開始ボタンを押してください」
✕✕✕は、電子音声に指示されたボタンを押した。
▶49.「寂しさ」
48.「冬は一緒に」
:
1.「永遠に」近い時を生きる人形✕✕✕
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寂しさどころか、楽しみも苦しみもない。
あるのは、感情とも呼べない程わずかな揺らぎ。
それが✕✕✕という名の人形。
日の出予想時刻に合わせて覚醒した✕✕✕は、
研究所から外へ出た。周りに人間の姿はない。
空はからりと晴れ、朝日がのぼり始めている。
昨晩は光源も乏しい中で動き回り、かなりエネルギーを消耗している。
人形は出てきた穴のすぐ横に座り、岩に寄りかかって日光浴を始めた。
その間、人間の足音にいち早く気づけるよう耳をすませる。
この土地特有の風により、木々が揺れて葉が擦れ、
ざぁ、ざぁ、と音を立てる。
遠くに鳥の鳴く声がする。
返すように、もう一羽。
(眼瞼の瞬間的開閉、胸郭の膨張と収縮、体表面の放熱、思考と表情の連動…)
✕✕✕は日光からエネルギーを取り込みながら、
人間的動作をひとつひとつ確認、ルーティンから停止もしくは手動に切り替えていく。
村人に知られている山であるから、遭遇する可能性がないわけではないが、
それでも、人形はいつも人間の住む場所を渡り歩いてきた。
誰かと一緒にいることの方が少なかったものの、
その道は人間がつくり、人形の通った後にも、誰か人間が同じように辿り歩いてくると理解している。
ここには、それが無い。
だからここは、人間のいる所ではない。
▶48.「冬は一緒に」
47.「とりとめもない話」
:
1.「永遠に」近い時を生きる人形✕✕✕
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「冬はいいわねぇ」
「そうか?こうも寒くちゃ仕事にならねぇよ」
「だからこそよ」
「ああ?」
「この季節はあなた、ほとんど仕事に行かないでしょ?
だから冬は一緒にいられる。それが嬉しいの」
「そうかよ。さっさと買い出し行くぞ」
耳が少し赤いのは、照れか寒さか。