【君の奏でる音楽】
「あぁ。この音色をもっと、みんなに聞かせてあげたい。」
"この君の奏でる音楽を。"
拍手の波の中、鈴森はスポットライトを浴びて頭を下げている。次の曲が鈴森の人生でタクトを振る最後の曲だと思うとやはり感慨深いものだな。と感じる。
腕を振り上げ、しばしの静寂を楽しみ、腕を振り下ろすと同時に素晴らしい音色が空間を包み込む。
腕を左右に振り、それに合わせてホールに音色が広がっている。
しかし、何かがおかしい。何か違和感を感じる。鈴森はタクトを振りながら、オーケストラに視線を向ける。
(あぁ、こいつが俺の音楽を汚している元凶か。)
視線の先はチェロ奏者の太田。太田の椅子が定位置から少しずれていた。太田はチェロを構える時に足を他の人より開く癖を持っていた。その癖が、音の反響をずらして鈴森の完璧な音楽を汚していた。
演奏は終了し、拍手喝采を受ける中、不完全なまま幕を降ろす事になった鈴森は、壇上を降りた後、自分の控室に太田を呼び出した。
呼び出された太田は、賞賛されると思っていたのだが、鈴森の表情を見て困惑した。
「どうかされたんですか?」と太田は声をかけるが鈴森は反応をしない。
「太田くん。そこに座りなさい。」
素直に従う太田に鈴森は太田を動けないように縄で縛る。太田は突然の行動に反応が出来ず、「え、え、」と声を出すだけで動けずにいた。
すると鈴森は
「この脚はいらないな」と縛られた太田の脚をタクトケースで思い切り殴った。
声ともならない声を上げ、太田は悶絶する。
何度も何度もタクトケースを振り上げた。
鈴森は悲鳴を聞きながら高揚していた。
振り上げるたびに、太田は悶絶し、次第に声が大きくなっていく。
「なんで。わからない。ごめんなさい。」
そんな言葉を漏らしながら、悲鳴をあげる。
次第に声も反応も薄くなっていく太田。
あぁ。この音色をもっと、みんなに聞かせてあげたい。
この君の奏でる音楽を。
鈴森は、最後の一振りをするために右手を振り上げた。
【麦わら帽子】
「ほらね。ゆう。雨は一人だけに降り注ぐ訳じゃないんだよ。」
そう言って、祖父は被っていた麦わら帽子を僕の頭に乗せてくれた。勇人はブカブカな帽子が落ちないように手で押さえながら、祖父を見上げると、祖父は目を細めて空を見上げていた。
その年の春、眠った祖母に親戚のみんなは「大往生だ」なんて言ってたけど、勇人はよくわからずにいた。そして今年の夏休みも大好きな祖父の家に来ていた。
祖父はいつもと変わらず、勇人を笑顔で迎えてくれた。
雲一つない空の下、セミの声がうるさいほど鳴き、麦わら帽子を揺らしてる祖父の大きな背中に抱きつきながら、勇人は自転車に揺られている。
川の岸辺に着き、祖父と一緒に釣り竿を振りかぶって針を飛ばした。
「ゆう。学校は楽しいかい?」祖父は何気なく聞いてきた。
「学校は楽しいけど、雨の日の学校は嫌い。体育はできないし、服が濡れるし、服を汚すとお母さんに怒られるし、」
そうか、そうか、と笑顔で頷きながら聞いてくれる。
「ゆうのおばあちゃんも昔は"雨が嫌い"って言ってたんだよ。服は乾かないし、外にも出れないし、化粧も取れるからって。でも、おじいちゃんに会ってから好きになったんだって。」
「なんでおばあちゃんは雨が好きになったの?」
目を細めて釣り竿を見つめる祖父は
「雨が降ったら、傘を差してくれる人と一緒にいれる。もしその人が傘が無くても一緒に濡れると不思議と笑顔になるから。って。おばあちゃんは素敵な人だったんだよ。」
勇人は、ふーん。と返事ともいえない返事をして釣り糸を眺めていた。
すると、川面にポツポツと波紋が広がっていくのが見える。次第に雨は目で見えるほどになっていった。
「ほらね。ゆう。雨は一人だけに降り注ぐ訳じゃないんだよ。ゆうも大きくなったら、困ってる人に傘を差してあげれる人になるんだよ。」
そう言って、祖父は被っていた麦わら帽子を僕の頭に乗せてくれた。祖父を見上げると、祖父は目を細めていつまでも空を見上げていた。
【終点】
「あなたが動けば、景色は変わる。」
だんだんと景色がゆっくり流れていくのを、視界の端に捉えながら、旅行会社の広告のキャッチコピーが、自然と頭に入ってくる。
退屈な人生が突然変わる事を期待して、ただ毎日会社に行って帰るだけの人生を過ごしている健二は、今も電車に揺られている。
"突然女性の叫び声とともに、数人の乗客が健二のいる車両に流れ込んできた。
そちらに視線を向けると、刃物らしきものをも持った男性とその男性に捕らえられている女性が見えた。
健二はそんな展開を期待していたのだが、実際に起きると不安と緊張を感じながら、ただただ拳を膝の上で握って下にうつむくだけで動けずにいた。
そんな自分に嫌悪感を感じ、何か出来ないかと顔を上げると
"あなたが動けば、景色は変わる"
の文字がくっきりと見えた。
(そうだよな。動かないと何も変わらないよな。)
そう思った瞬間、身体は勝手に動いていた。
気付けば、目の前には、刃物を持った男。男は叫びながら健二に向かって刃物を突き刺してくる。健二はそれを左へ受け流すと同時に刃物を叩き落とした。健二のまさかの反撃に驚いてる男の後ろに回り、腕を捻りあげる。先程とは違った叫び声を聞きながら、健二は女性に"もう大丈夫ですよ"と声を掛け、乗客から拍手を受けていた。"
「終点。お忘れ物の無いように。」
アナウンスと共に、健二の妄想は終わる。
今日も退屈な1日がやっと終わる。
【上手くいかなくたっていい】
「誰だって、最初はみんな上手く行くって思うもんなんですよ。サッカーだって、算数のテストだって、なんの努力も準備もしてなくても"きっと上手くいく"って。僕は多分大丈夫って。大輔さんはそう思いませんか?」
最近よく一緒になる津田はそう言った。
(まったく、こんなギリギリの状態でよく言えたもんだ。)
無言を返事として、髪を揺らしながら、とにかく足を動かしていた。
こんな時にあっけらかんとした津田を尊敬すらする。
「あそこを登って、一旦状況を確認しよう」
追跡者は3人。まだ増える可能性もある。さて、どうしたものか。
「津田。お前の"大輔さんに付いていきます"は、それは物理的に、なのか?」
「僕はずっと大輔さんに付いていきますよ!大輔さんといると勝てないものも勝てそうなんですよね。」
気付けば追跡者は4人。そろそろ限界が近づいている。
「とにかく一旦ここから離れよう。追跡者の意識を分散させるために、ここからはバラバラだぞ。いいな?」
津田は満面の笑みでこちらを見つめている。
後ろから津田を感じる。
まったく…。やはりこいつはわかってない。
「津田!あそこを登って逃げろ!」
足を動かす速度を緩め、横を駆け抜けていく津田の背中を見ながら、追跡者の手が肩に触れた。
「大輔くん、タッチィー」
ここからは、俺も鬼。
追う者としてまた物語が始まる。
上手くいかない側にも物語は存在する。
"上手くいかなくたって、いい"
【つまらないことでも】
「つまらないことでも続けることに意味がある」
そんな事をある人は言っていた。
僕はいつも"つまらない"。
勉強をしても平均以下。
運動なんてもってのほか。
鏡なんて見たくもない。
僕はいつも"つまらない"。
僕には何も無いから。
だから、僕は僕に期待をしない。
だから、僕は誰とも比べない。
だから、みんなは僕と比べたらいいと思う。
僕がいるから、みんなは褒められる。
僕がいるから、みんなは期待される。
僕がいるから、みんなは輝ける。
僕はいつも"つまらない"
だけど、
僕がみんなを照らすことができるなら、
「つまらないことでも続けることに意味がある」