雨が降って、花が咲いて、催花雨と呼び
雨が降って、花が散って、桜流しと呼び
季節が移り変わるその間を歩いていく
それでいいの
【題:それでいい】
これも私のエゴだから許さないでね
昔、羽の生えた男の子と遊んだことがあった。
一度きりだったし、もう顔も名前も覚えていないけど真っ白で汚れ一つない綺麗な羽はずっと忘れられずにいる。
引っ込み思案で人が怖くて上手く話せないから一人遊びばかり上手くなった。そのまま大人になったせいで孤独でも寂しいと感じることはない。楽しそうにしている人の輪が眩しくても羨ましいよりあの場に自分がいなくてよかったと安堵してしまう。どうしようもない日陰者なのだ。
何かの本の付録でついてきたフェイクブックの小物入れを本棚から取り出す。隠しておきたい宝物を入れるのに最適で今でも手放せずにいるものだ。中身はその時々で変わるけど、一つだけ変わらないものがある。
おもちゃのアクセサリーや着せ替え人形の靴、押し花のカードなどの下、底に同化するように折り紙で包んで一等大事に隠したもの。
「相変わらず、だね」
インスタントカメラを買い与えられたとき、何か撮ろうとはしゃいで公園に行った。誰もいない夕方過ぎの夜の入りに真っ白な羽を広げた男の子がいた。あんまりにも綺麗だったから思わず写真を撮ってしまったのだ。
男の子は困ったように笑いながら、私の身勝手な撮影に付き合ってくれた。一緒にポーズをとったり、遊具のてっぺんから星空を撮ったり。フィルムがいっぱいになるまで撮って、あっさりバイバイして帰宅した。
後日、現像した写真には男の子は写っていなかった。
「まあ、実物があればいいもんね」
薄明るい公園がぼやけて写る写真をひらひらと揺らす。
シャリンシャリン、と音が鳴ったからそちらをみると、真っ白な髪の男性が、いや私の夫が、おかえりと言いながら部屋に入ってきた。
「まだ鎖は解けないの?」
あのときと同じように困った顔をしながら、それとは裏腹に嬉しそうに声を弾ませて、まだだよ、と言う。
私にはみえない背中の何かを気にしながら言うから、私は黙って頷くしかない。もう私にはみえない羽を、どこにもいけない彼を、私はどうすることもできないから。
「いつになったら幸せになれるかな」
あのとき交わした約束が私と彼を繋いで離してくれない。だからもう、これは私の罪で罰なのだろう。
分不相応な願い事なんてするものじゃない。
【題:幸せに】
雨は降り続ける、だから嬉しい
いつか伝えようと決めていたことがあるの。
でも口に出す勇気を私は持ち合わせていなかったから、遠ざかっていく列車をただ見送ることしかできなかった。
寂しいのは私だけではないと願いながらあなたの成功も祈っていたの。ずっと憧れていた夢に近づいていくあなたがとても誇らしい。
あなたの負担にはなりたくないと思っていて黙っていたのだけど、やっぱり私はだめみたい。
昔、あなたと話したことがあるでしょ。いつか素敵な恋をして桜の木の下で愛を誓い合うのが憧れだって。
大きく枝垂れた枝から薄紅色の雨が降って恋人たちをそっと閉じ込めて隠すの。誰にも聴こえないように二人だけで囁き合う場面は何度読み返しても胸が熱くなる。本を閉じて何度ため息をついたことか、本当に素晴らしかった。
あのときからずっと私の憧れだった。
この前贈ってくれたもの、本当に嬉しかった。1日で読みきってしまったのだけが難点でね、それ以外は完璧だった。さすが私の一番自慢の親友ね、次も楽しみにしてる。
ああ、そうだ。前置きが長くなってしまったけれど伝えたいことがあるの。こんなのは邪道だと嫌がられてしまうでしょうし、あなたに嫌われてしまうかもしれない。
でも後悔するのはもう十分。あのとき言えなかったことが悔しくて堪らなかったの。
同封したものを上に掲げてから続きを読んで頂戴。
いい?ちゃんと掲げた?
―――
「涙の雨くらい晴らしてほしかったのに」
こんな薄っぺらい栞一つではあなたの憧れには辿り着けないでしょう。囁き合う口も隠す姿も、何も残してはくれないのね。せっかちで残酷な私の親友め。
「さようなら、愛しい人」
【題:My Heart】
『嘘だけじゃ辛いでしょ』
いつまでも付き合ってくれるのは、単なる優しさだけではないはずだ。頼られると断れない性格も見返りを求めない気遣いもすべて「私だから」だという。嘘のような本当の話に私はどれだけ甘えているのか、知ることすら怖い。
ここは違うのに、いつも帰ってくる人をおかえりなさいと出迎える。嬉しそうに目を細めてただいまと返してくれるのを一日中ずっと待っていた。
頬に触れて、輪郭をなぞって、顎先から指先が離れる。一瞬の触れ合いを名残惜しそうな表情で終えて洗面所に向かう背中を眺めた。
今日は雨が降っていたから冷えたのだろうか。
うずくまったまま出てこないから何度も部屋を覗いて声をかけた。その度にひしゃげた声であーとかうーとか要領を得ない返事をするだけで出てくる気配はない。
温かな布団に乗り上げてたぶん頭がある位置を軽く撫でる。すると冷たい手だけ出してきたので近くにあった体温計を乗せてやると手は引っ込んで、モゾモゾと布団が動いた。しばらくしてピピピと電子音が鳴ると、特大のため息とともに体温計が放り出されて代わりに私を布団の中に引っ張り込むのだ。
体調が悪いときはいつもこうなる。薄暗い布団の中で寒さに震えるのが可哀想で私は体温を分けてやろうと身を寄せた。
泣いて、泣いて泣いてまた泣いて。壊れていく姿をただみていた。私はここにいるよと伝えることしかできない。
私にだけみせてくれる優しさだけは失わないからずっと好きだよ。だから泣かないで、あなたのことが大好きな私がいるから泣かないでいいよ。側にいて、同じ時間を同じ場所で過ごせばいいの。
『すぐに戻ってくるから待っててね』
そんな何でもない壺になんか縋ってバカみたい。
私はここにいるよ、嘘じゃない。
だからドアを開けて迎えに来てね。
【題:バカみたい】
何も楽しくない
言われた通りにしたのに無能だと罵られた。言い返すのも面倒でいつも通り黙って笑いながらその場を去る。
一時期流行った感染症のおかげでマスクをしていても誰にも文句を言われなくなったのが救いだ。目元だけ細めて眉を少し下げれば困ったように笑う人の完成である。口元は一ミリも動かしていないのに、随分と楽をさせてもらっている。
書き心地がよくて気に入っているボールペンでもう何度もリピートしているリングノートを抉るようになぞる。ジャッジャッと重い音が鳴るのを無感動に聴きながらページを埋めていく。文字を書いていたのが線になって、それが湾曲して幾重にも重なり正体不明の絵になって黒く侵食する。紙が反って手を斬りつけてくるので、しかたなくページを破って丸めてゴミ箱に捨てた。
綺麗なものを探して手芸用品を床一面に広げた。
色とりどりの刺繍糸、キラキラなビーズ、無駄なく巻かれたレース糸、ふわふわな毛糸、太さの違う編み針、細く鋭い縫い針、編みかけの何かと縫いかけの布地。
どれもこれも好きで集めたものばかり。目的があるわけでもないのに一目惚れして手元に置いて、しまい込んでは引っ張り出してまたしまうのを繰り返す。
完成した作品は一つもない。最後に何かを完成させたのはいつだっただろうか。全部捨ててしまったから分からないや。
空の瓶にビー玉を詰めて、空に掲げたらカランと音がした。色のついた影が服や床を染めるから何度もカランカランと鳴らす。あんまり鳴らすものだから、一つ、また一つとビー玉が飛び出して最後に残った一つをただ見つめた。
昔、祖父がよく食べさせてくれた缶のドロップを思い出して喉がなった。一番好きだったリンゴの味と同じ色のビー玉が瓶の中にいたから、口を開けて瓶を空に戻してやった。
味はしない。飲み込めもしない。
「…おいしくない」
はやく、誰にもみられないうちにこっそりと吐き出してしまおう。もう、鬱陶しく怒鳴られたくないからね。
【題:夢が醒める前に】