僕には夢がある。他の人からしたらごく当たり前のことでバカにされるような、少しの努力で簡単に叶ってしまうこと。
――― 一人暮らしをしてみたい
昔からどこか人とズレている。
みんなが笑っていても、悲しんでいても、それを数歩後ろから眺めているだけだった。混ざりたいと思わなかったし興味もなかった。曖昧に笑ったり悲しむフリをしたり何一つ共感できないまま、心底どうでもいいと線引した。
おかげで教師からは嫌われ、友人なんてものはいない。隣の席になった、ペアやグループになった、そういうときだけ僕はクラスメイトとして存在を認識される。居ても居なくても変わらない影の薄い陰キャだ。
そんなだから、どこに行っても上手く馴染めずストレスばかり溜まって生きることが嫌になった。酒に溺れ、部屋に引きこもり、検索履歴が死を連想させるものばかりになって壊れていった。
めちゃくちゃな生活だったから当然の結果ではあるが病気になった。一応就活に挑戦してみたりしてたのに、ほぼ自暴自棄のヤケクソだったから何も進展はなかったけど、それでも自分の存在価値を見つけたかった。結局、全部が無駄だった。入院して生きることに必死な人たちと過ごして狂いそうだった。退院して死に損なったことに絶望しつつ、あの反吐が出るような生の渇望の巣窟から抜け出せたことを嬉しく思った。
いつか、みんな死んでしまう。
だったらやりたいことやっても構わないだろう。生きているうちは法やしがらみに縛られて苦しいけれども、死んでしまえば関係なくなる。ようやく僕は、明日は何をしようか、と前向きに考えられるようになった。
でも、人というものは完全に変わることはないのだ。根底にある為人は染みついて消えもしない。一歩踏み出そうとする足を掴んで暗い底に引きずり込もうとする。どうせお前には無理なのだ、これまでもこれからもずっと、諦めろ、と。何の希望もない真っ暗闇な未来の何に夢をみているのだ。ああ、本当に死に損なった。
―――僕は今も昔も、生きることに向いていない
【題:明日に向かって歩く、でも】
雨の中来ない人を待ち続ける君を、好きになった。
恋愛とかそういうものじゃなくて、その人の在り方に惹かれた。自分が目指していた人物像が目の前で意思を持って動いているようで感動したんだ。
傘を差し出したとき君は驚きながらも嬉しそうに振り返ったあと、すぐに待ち合わせ相手とは違うと気づいて泣きそうな顔をしていた。たったそれだけの仕草で君が羨ましくてたまらなくなった。そうやって誰かを想って一喜一憂できる姿がとても眩しかった。
どれだけ親しくなろうとも、どれだけ言葉を重ね行動を共にしようとも、君が待ち続ける人へ向ける想いとは比べ物にならない。思い出は美化されるものだと分かってはいたけど悔しいものだ。まさか一生それが覆らないなんて予想外だった。
でも最期の最後、一瞬だけ僕と目が合った。それまでは透明なガラスを挟んで向かい合うだけだったのが、直接その視界に僕を映して視線を突き刺してきた。
――ずるいひと、
その言葉をそっくりそのまま返してやりたい。
確かに最初はあまりにも僕の理想そのものすぎて、嫉妬から君の在り方全てをめちゃくちゃにしてやりたいと思ったさ。でもできなかった。その魅力に僕の方が先にめちゃくちゃにされてしまったから。
そこからは君の独壇場だった。無茶な要求も理不尽な訴えも全てが愛おしくて逆らうこともできなかった。そうしなければ何の取り柄もない僕を君は置いていってしまうだろうからね。必死だったんだよ。
結局、君は僕を置いていくんだ。過去のアイツを忘れさせることもできない不甲斐ない僕を残して遠くへ行ってしまう。こんなにも、こんなにも僕は、―――。
―――わたしも、あなたひとりだけよ
君も、僕も、肝心なことだけは口にできない。
そこだけは、似た者同士でいられたね。
【題:ただひとりの君へ】
冬の雨のような人だった。
冬なのだから次第に雨は雪に変わって屋根や道路脇を白く染めて雪化粧を楽しめると期待したのに、雨粒は雨粒のまま地面を黒く濡らすだけだった。あのがっかりした気持ちをまさか人にまで感じるとは思わなかった。
にこにこと機嫌よく帰ってきたと思ったら、誕生日おめでとうとケーキの箱を差し出してきたあの日。確かに私の誕生日ではあったけど渡された箱はとても軽くて、開けてみたら中は空っぽ。ひどく酔った彼はそれに気づかず褒めてほしいとすり寄ってくるだけで話にならない。
腹立たしいとすら思えないほど呆れて、すうっと気持ちが冷めていった。彼の手を振りほどいて自宅に帰り、別れのメッセージを送ってブロックした。
彼とはそのまま会っていない、もう会えない。
次の日からの記憶は朧げで、あまり覚えていないのだ。警察とか彼の両親や友人、会社の人がきて私を責めたり殴ったり散々だった。気づいたら病院のベッドで寝ていて、謝罪やら賠償やら喧しい。退院しても煩わしいそれらを弁護士さんが静かにしてくれた。
ぼんやりしたままの私を弁護士さんは励まし叱咤してくれた。彼とは違う、春の嵐のような人だと思った。突然現れて季節を塗り替えてしまうような圧倒的な力をもってすくい上げてくれる。季節は巡る、時は止まらない。今も次の瞬間には過去になっていくのだと教えてくれた。
いつか、私のような薄情者が許される日がくるのだろうか。今はまだ分からないけれど、私は私の背を押す風を信じたい。
【題:追い風】
誘われるがまま後をついて回って、役に立てるのなら何でもする。悪いことでも責任を肩代わりしても嘘をつくことで守れるならばいくらでも言葉や態度を飾ろう。私を必要としてくれるならば、他のことなんてどうでもいい。
そういう盲目的な言動でしか他人との関係を保つ方法を知らない。本やネットでは、自分を大切にしようとか自分の意見を伝えようとか解決策で溢れているのにその全てがピンとこないのだ。大切にするってどうやって?意見を伝えるのと我儘との違いは?そもそも自分って何なの?
よくわかりもしないことで他人を困らせてうざがられるなら、適当にいい思いをしてもらって関係を切られたほうが安心する。よく偽善だなんて言われるけど全部本気だよ。相手が満足できたならそれでいいじゃないか、自分とは違って明確な幸せを得ようと頑張っているのだからその手伝いができたら嬉しいでしょ。
生きる意味は人それぞれなんでしょ、だったら偽善なんて言う資格も権利も誰にもない。これが私の幸せだよ。
【題:幸せとは】
なんだかもう全てがどうでもよくなった。
ひたすら無心になって、目につくことも目を瞑って、聞きたくなかった裏話に耳をふさいで、問われたこと以上に口を開かず、ずっと同じような言葉を吐き続けた。
社交性なんてものは昔からなかった。人といることが苦痛で混雑した場所なんて地獄でしかない。
人の声が隣で喋る同行者と同じ音量で聴こえるから何を話しているのかわからない。適当に無難な相槌しか返せなくて罪悪感と苛立ちで頭がおかしくなりそうだ。
人を前にすると何を話していいのかわからなくて面白くもないのにずっと口角を上げて笑っている顔を保つ。マスクをつけるようになってからは目元で喜怒哀楽を表せるようになった。何も言わずとも一時的に好感を得られるから便利でいつの間にか当たり前になった。
こんなもの身につけたくなかったのに知らないうちに勝手に身についていた。
何でもないフリはとても簡単だ。でも自分を殺す。
我慢に我慢を重ねて、何もよくないのに他人を許さなければいけない。怒るだけの気力もない、争うほどの意見もない。
これってふつう?それともおかしい?どちらでもいいけど変だと言われたらそれはそれで開き直れるから気が楽になる。何一つ解決してないのに楽になれる優しい薬のようで結構好きなんだ。
今回で治療が終わる。命にかかわる大病だった。
よく死に直面すると人生観や死生観が変わると言うけど本当だった。私の場合1番大きくは変わったのは『どうせ死ぬならなんでもやっとけ』という心構えができたこと。
いつ死ぬかわからないなら今したいことをやってスッキリしたい。お金や時間との兼ね合いも考えながら計画するのは楽しかった。
まあ、何でもないフリをしなければいけない場面が多くてストレスはあったけど、それを差し引いてもいい体験だったなと思う。自分のことなのに他人事みたいなのはあんまり考えたくなかったから。それこそ何でもないフリだ。
なんかもういつでも死んでいいよって思える生き方が幸せなのかもね。
【題:何でもないフリ】