ああ、うるさい。うるさいな。
「黙ってきけよ」
ギャアギャアと鳴き喚く群衆が静まり返る。イラ立ちと憎しみを隠しもしない視線が俺を突き刺して、たった数秒のこの沈黙すら我慢できないとばかりにギラギラしている。誰かが舌打ちをしたのを合図にまたあちこちから怒号が上がった。
もはや誰にむけているのかすら分からないそれらを延々と吐き出すマシーンでしかない。なんて鬱陶しいのだろう。こいつらこそくたばればいいのに。
可哀想に。司会者が顔を青くして震えてしまっているじゃないか。警備隊ですら呆れ返って度を越しそうなやつだけを押さえるだけで他は無視している。
まあ、育ちだけはいいはずだから人やものを傷つけるほど浅はかではないのだろう。お上品な言い回しでも隠しきれない汚い欲が渦巻いているのが残念だ。
きれいな花に囲まれその中心で微笑む少女の遺影。
この場に遺体がないのだけが、薄幸だった少女にとって救いなのかもしれない。
『ねえ、黙ってきいてくれる?』
真っ黒な瞳からボロボロと涙をこぼしながら、やっと出てきた言葉だった。誰かへの恨み言でもなく、日常生活の愚痴でもなく、理不尽な我儘でもない。ただ自分の言葉をきいてほしいと懇願してきたのが最後だった。
俺は、ちゃんときけていたのだろうか。
【題:言葉はいらない、ただ・・・】
ベランダで青々と繁るミントの鉢植えがある。
いつからか豆粒くらいの小さなカエルが住みついた。たまにいなくなったかと思うと、今度は数が増えていたり色が違ったりで中々出入りが激しい物件のようだ。
そんな小さな住人たちは私が水を撒く度に欄干に飛びのってじっくりとこちらを観察してくる。臆病なやつでも欄干の裏に隠れるだけで、私がいなくなればまた鉢植えに戻っていくのだ。
突然現れては、ある日突然姿を消して、またある日は突然増えたり色を変えたりする。自由気ままな君たちの訪問は私の楽しみの一つなんだよ。
「また来てね」
【題:突然の君の訪問。】
俺は間違っていたらしい。
大雨の中を傘もささずに歩き回った挙げ句、静かに佇んだまま泣く姿はとても弱々しい。
あんなに悪口や嫌がらせを受けても笑っていて、平気なふりをするでもなく興味関心なんてないといわんばかりの態度で普段通りに接することをやめなかった。なのに、なぜ彼女は泣いているんだ。
彼女は決して善人ではない。真面目な人間を演じることで善人にみえるようにしていたのだ。それだけで敵も味方もいないつまらない人間であろうとする。ただその目にはギラギラと静かに煮えたぎる感情が見え隠れしていて、とても面白い。
いつからかその姿を目で追うようになった。堂々と善人の皮を被る強かさに惹かれた。
興冷めだ。がっかりした。
急速に萎んでいく恋心に吐き気がする。せっかく気にかけてやったのに期待はずれもいい加減にしてほしい。
俺はいつだって味方でいてやったのに、礼もなければ挨拶すらまともにしてこないのだ。元からそういうやつだったっけか。どうでもいい。ああいうのはタイプじゃないし、むしろ大嫌いな部類だ。
「メンヘラとかむり」
手に持っていたペンケースを校庭にいる女にむかって投げつけた。肩にあたって地面に落ちて泥だらけになったものを拾い上げた女が俺を睨みあげてくる。
校舎の2階にいる俺と泥だらけの校庭に佇む女。とうていつり合うはずもない存在を見下ろして嗤った。そうしたら人が集まってきたからみんなで嗤った。
なんて無駄な時間だったんだろう。俺にふさわしい女なら他にいくらでもいる。
それからひと月後、あの女は死んだ。
【題:雨に佇む】
書きたいことだけ書きなぐってビリビリに破って捨てるだけの存在。最後には1ページも残らない可哀想なもの。
【題:私の日記帳】
いつも食卓をはさんで向かい合わせに座るの。
二人で使うには広すぎるテーブルに惣菜を皿に盛った夕飯だ。もちろん手作りのものもおいしいけれど、毎日作るのはとても大変だからね。はりきる理由もないのに作る必要はない。
いただきます、と手を合わせて食事をはじめる。
食べてるときは特に無口になってしまう私の代わりにニュースキャスターが喋ってくれる。それをたまに拾ってポツポツと話しながら食べるのだ。
つい最近までずっと晩酌をしていたのだけど、減量とその他諸々の理由でやめた。最初こそ驚かれたし誘われもしたけど頑なにお酒を口にしないでいたらそれもなくなった。
「そういえば――」
そうやって私から切り出した話題は失敗だった。
あふれ出る不満と悪口の数々に閉口せざるをえなくて、食事の味なんてどこかへ消えた。
主に両親の夫婦仲や父の経歴、私を含めた姉弟を貶す内容で、私に涙ながらに同意を求めてくる姿に一切の感情も湧かない。挙句の果てに誰にもいうなよと念を押されてしまえば笑って頷くしかない。
こういうとき向かい合わせに座っていることを後悔するんだ。涙を浮かべて困ったように眉を下げているくせに嘲るような笑みは全く隠せていないのがよく見えてしまうからね。
自分の両親や兄弟、親戚は褒めて自慢までしてくるくせに。なぜ私の前で両親と私たち姉弟を貶し私に同意を求めることができるの。
母に当たり散らし、父とぶつかり合って、私にベラベラと腹の中を曝すあなたに何がわかるというの。弟妹に当たらないところだけはまだ理性が働いているんだね。よかった。
でもね、勘違いしないでほしいの。
あなたは私が狂ったのは両親せいだといったけれど、こうやって二人きりで食卓を囲むことになった時点で察しなよ。狂ったのは私なのか、それともあなたなのか。両方かもしれないね。
ねえ、うるさいからもう黙っててよ。
【題:向かい合わせ】