スクール・オブ・バナナフィッシュ
僕は自然史博物館のすぐ近くにある広場で、本を読んでいた。土曜日の昼だったこともあり、広場には子供や大人がレジャーシートを広げて、その上でランチをしていたりした。僕はあまりお腹が空かなかったので、家から持って来たバナナを二本食べたばかりである。
僕が医者から言われたのは、『とにかく陽を浴びること』。だから、仕事以外で(そもそも既に仕事は辞めているのだが)久しぶりに家の外に出て歩いてここまで来たものだから、やけにしんどさを感じた。何か別の病気かもしれない。心の病の他に何か別の、恐ろしい病気だったりして。
こうしてのんびりと本を読んでいると、生を実感する。ほんの半年前まで銃弾が飛び交う世界に居たとは思えないくらい、平和だ。さっき食べたバナナもそうだけど、あの世界ではバナナは貴重な食糧だったものだ。それが今じゃ当たり前に店で買える。あれほど泥水を濾過した水を飲んでいたのが馬鹿らしくなるくらい、すぐそこに自動販売機がある。
つまり、僕はラッキーだった。だけど、何も幸福を感じないんだ。この半年間ずっとだよ。きっともう僕は別の国からやって来たのだろう。僕は、この世界で一人ぼっちだと思った。仲間は皆死んでしまった。僕が今読んでいる本もちょうど、そんな内容なんだ。
もう帰ろう、と立ち上がり、海沿いを歩いて帰る途中、不思議な魚の群れを見た。その魚は、本で読んだものにそっくりで、僕は彼らに余ったバナナを与えて、一匹がそのバナナを咥えて消えていくのを確かに見た。バナナを食べる魚が本当に居たのが、嬉しくて仕方なかった。同時に、僕は一人ぼっちじゃないという気持ちが沸き上がってきていた。
遠くで、広場ではしゃぐ子供達の声が聞こえた。
コンプレックス・ボックス
僕は弟を、殴った。
反撃してこようものなら、蹴りも入れた。
弟の全てが、憎かった。
殺さない程度に、痛め付けた。
そして最後に、小さな箱の中に閉じ込めた。
僕は泣いた。
小さな箱を抱きしめながら。
僕より背が高いのが大嫌いだった。
僕より賢いのが大嫌いだった。
僕より大人っぽいのが大嫌いだった。
僕よりおしゃれなのが大嫌いだった。
僕より顔立ちが良かったのが大嫌いだった。
僕より女の子にモテるのが大嫌いだった。
僕より家族に愛されていたのが大嫌いだった。
だけど、僕は弟が好きだ。
きっと死んでしまったら、喪失感から立ち直れないだろうと思う。
死ぬべきは、この僕だ。
だけど、僕が死んだら、弟は泣いてくれるだろうか?
僕への憎悪で満たされた小さな箱を抱えながら、僕はただみっともなく泣くしかなかった。
リバーサイド
そこは、まるで天界の楽園だった。
美しい庭園が無限に広がっており、春のような陽気さえ感じた。
空は神々しいまでに無数の星ぼしがきらめき、夜のように見えるのに、辺りは有り得ないほど明るい。
光のきざはしを昇ると、一本の川が流れていた。
川岸から向こうを見ると、さらに美しい世界が広がっており、何やら音楽のようなものまで聴こえてくる。
川の向こうには、たくさんの白い人が笑顔で並んで座って、楽しそうにおしゃべりしていた。
さて、どうやって向こう側へと川を渡ろうかと私は考えていると、視界はぐにゃぐにゃと歪んでいくではないか。
私は待ってくれと、手を伸ばしたが、間もなくそれらの楽園は忘却の彼方へと砂のように消えていき、目を覚ました私の目には涙が浮かんでいた。
夢なんかじゃない。なぜなら、そこら中に大量の薬の空き箱が散らばり、昨晩、私はあと一歩のところで失敗したのだから。
止めどなく涙は溢れ、私はよろめきながら、まだ記憶が鮮明なうちに、もう一度あの世界へと飛んでいくためにカミソリで何度も何度も手首を切ろうとしていた。
マンホール
部屋の壁に耳を当ててみました。
外の、雨風の音が聞こえてきます。
大理石の床に寝転んでみました。
背中に冷たくて、硬い感触がします。
私は靴を履き、扉を開けました。
あなたは傘を差し、私を待っていてくれてます。
私はあなたの傘の中に入りました。
ふたりとも、歩き出しました。
世界は死んだように暗く、不気味です。
昼なのか、夜なのかさえ分かりません。
あなたはずっと黙ったまま。
私は壊れたラジオのように、ひとりぼっちで喋り続けますが、あなたは私をたまに見るだけです。
私たちは、知らない街に来ていました。
あなたは、マンホールを開けて、傘を閉じると、その中に入ってしまいました。
私もマンホールの中に入りました。
全てが楽になりました。
地下の世界は晴れ渡っていました。
あなたは初めて笑いました。
私も笑いました。
全てが楽になりました。
暖かくて、眩しい。
セックスとは異なる快楽に溺れました。
全てが、楽になりました。
スーサイド
ここまでだ。
もう、
ここまで。
もう、
終わりだ。
もう、
手遅れだ。
もう、
おしまいだ。
本当に。
本当に。
全てが、
何もかもが、
終わってしまった。
二度と、
修復できない。
二度と、
元に戻せない。
僕を、
地獄に、
落としてくれ。
ここから、
出してくれ。